第10話 拝啓 気持ちの整理をつけるのに苦労しました
ホーンラビットを討伐した翌日、僕は朝食を残してしまった。やはりまだ食欲は戻らないので、朝食をそこそこに部屋へと戻っていく。
部屋に戻っても気落ちしたテンションは戻らず、ふとした瞬間には殺したホーンラビットのことが頭をよぎってしまう。
「はぁぁ……」
力なくベッドでゴロンと横たわると、出てくるのは溜息ばかり。今は以前に店員さんから薦められたお香を焚いていて、この落ち着く香りが今のところ僕の癒しでもある。
(お香を売っているお店を教えて貰っていたのが、功を奏したな……買っててよかった……)
とにかく少しでも昨日のことを考えなくてもいいように、僕は勉強に没頭してみようと気分を無理やり変えてみる。
「勉強……勉強……」
剣術の勉強だと昨日のことを思い出してしまうので、とてもじゃないが勉強する体勢とは言えないけど、寝たままでもできる勉強を模索することにした。
そして、思い至ったのは薬草関連の勉強である。これならば寝たままでもできるし、読書感覚で参考書を読むことができる。
以前に出した【初心者でもわかる薬草のいろは】は既に読み終えているので、今度はそれよりもワンランク上の参考書を出すことにした。
「なになに……【草花セレクション(中級者編)】」
タイトルからしてツッコミたくなること満載だけど、今までの傾向からして役に立つことがわかっているので、あえてツッコミを入れずに読み始めることにする。
「……これを理解すれば貴方はもう中級者です。世界に広く分布するあらゆる草花の知識を手に入れましょう。そして、目指すは上級者編です」
……なんと、この草花セレクションには上級者編があるみたいだ。確かにタイトルには中級者編と書いてあったので納得はできるけど……それなら初級者、もしくは初心者編はなかったのだろうか。
そのようなことを考えていたら、僕の寝転がっている隣のスペースにポンっと1冊の本が現れた。僕はそれを手にしてタイトルを見てみると、【草花セレクション(初級者編)】と書いてあるのを目にする。
「…………あったんだ……」
兎にも角にも、初級者編があるならその中身が気になるので、中級者編を読む前に読破しようと思い至って、予定を変更するとまずは初級者編を読み進めることにする。
「これを理解すれば貴方はもう初級者です。世界に広く分布するあらゆる草花の知識を手に入れましょう。そして、目指すは中級者編です……」
どうやら触りの文言は、中級者編と大して変わりはないようだった。むしろ、初級者編が先にあるのだから、中級者編を手抜きしたってことになるのか……
それから読み始めた初級者編は【初心者でもわかる薬草のいろは】を既に読破しているので、中にはかぶっている内容もあるのだけど、言ってみればそこら辺に生えているような草花がメインとなっている。
そして、初級者編を読み終えた僕は、そのまま中級者編を読み始めるのだった。
「へぇー火炎草なんてものがあるんだ……こっちは氷結草かぁ……どちらも街の近くには自生してないな。火山か雪山になるのか……」
中級者編は意外と面白い内容で構成されており、一般的な誰でも知っているような初級者編の草花とは違い、見たことのない種類の草花が掲載されていた。
そして、キリのいいところで昼食を挟んだら、午後からも中級者編の続きを読みふけっていき、その日は読書の日として終わりを迎えることになる。
その翌日、僕は相も変わらず読書を続けることにした。読書を続けている間はホーンラビットのことを考えずに済むので、わりと効果があったように感じたからだ。そして、昨日のうちで中級者編を読み終えてしまったので、今日は上級者編に移行する予定でもある。
それから僕は昨日と同じようにベッドでゴロゴロしながら、【勉強道具】から出した上級者編の相変わらずの触り文句を読み上げると、思いもよらぬことが書かれてあった。
「これを理解すれば貴方はもう上級者です。世界に広く分布するあらゆる草花の知識を手に入れましょう。そして、目指すはマスター編です」
……まさか、上級者編の上にマスター編があるとは思わずに、僕は本を広げたまましばし停止してしまう。
「……草花ってそんなに種類があるの……?」
各階級ごとに分類されている本とはいえ、少なくともこれで3冊目だ。
今までの傾向からいって、上級者編は手に入りづらく希少性が高い草花が掲載されているはず。マスター編ともなると、それはもう伝説の草花というレベルにまで達するのではないだろうか。
そう思うとマスター編を少し覗いてみたい気もするけど、お楽しみは最後に取っておくことにして、僕は上級者編を読み進めていくことにした。
その後は勉強するといった内容より、図鑑を見て楽しむといった内容の方が濃くなり、パラパラとページをめくっては流し読みをしていく。
「さすがに草花ばかりは飽きる……」
頑張ってパラパラとページをめくっていたものの、さすがに飽きてしまったのでマスター編を出すことはせずに、僕は別の教材で時間を潰せないかと考えるようになった。
「んー……勉強って言ってもなぁ……」
何を勉強しようか悩んでいるところで、ふと思い至ったのは元の世界で習っていた教科だった。
「とりあえず、習っていたところまでの復習でもするか」
いつか元の世界に帰れるかもしれないと思っている僕は、戻ってから勉強で苦労しないようにと、今のうちに習ったところの復習をすることに決めた。
そうと決まればベッドで寝たままではやりにくいので、備え付けの設備であるイスに座り直すと机の上に教材を出していく。
「国語、数学、理科、社会、英語……とりあえず5教科を押さえとけばいいかな。まずは何から取りかかろうか……」
実際に始めるとなると、何から手をつければいいのか悩んでしまう。得意なものから進めていくのか、それとも苦手なものから進めていくのかでモチベーションが変わるはずだ。
「んー……あまり気が進まないけど、苦手な英語からにしよう」
この教科から先に手をつけるのは、昔聞いた父さんの言葉を思い出したからでもある。
最近の社会情勢として、やたら横文字を使いたがる偉い人やサラリーマンが増えているのだとか。それで海外に行くことなんてないと思っていた父さんは、英語の勉強を真面目に取り組んでいなくて、現在は初めて聞くような横文字に困っているらしい。
そんな父さんの1番困っているものは、パソコンの扱い方らしいけど。
それと、父さんのように会社ではなく僕もニュースでよく耳にしていた横文字がある。それは、インフルエンサー、インターンシップ、エビデンス、ユビキタス――
数えればキリがない。そのうち日本語がなくなるんじゃないかと思えるくらいに、横文字が横行していっていると思う。横文字だけに……
そのようなくだらないギャグを思い浮かべていないと、僕の英語に対するやる気が起きてこないのだ。
そもそも、インフルエンサーを初めて聞いた時には、インフルエンザに罹った人のことを指すのかと思ったくらいだ。
それが蓋を開けてみれば、『世間に与える影響力が大きい行動を行う人物のこと』で、病気のインフルエンザとは全くの無関係であったのだから、紛らわしいにもほどがある。
インターンシップもそうだ。チャンピオンシップとかがあるから何かの大会かと思いきや、『特定の職の経験を積むために、企業や組織において労働に従事している期間のこと』で、これも紛らわしい。
エビデンスって何? 海老のこと? 『海老です』が訛って、『エビデンス』になったとか?
だが、実際は『証拠・根拠、証言、形跡などを意味する英単語』とあるのに、業界ごとで使い方が全く異なるらしい。統一しろよって思う。
ユビキタスだって横文字ってわからなければ、『指切ったっス』と聞き間違えられてもおかしくない……はず。それなのに、本当の意味は『遍在(いつでもどこでも存在すること)をあらわす言葉』とある。
こんなにも日本が横文字に汚染されていると、本来の日本語というものが忘れ去られていくのではないかと思う。
自信を持って「正しい日本語を使えます」と言える人は、日本人口の中で何人なんだろうか? ぶっちゃけ僕は使えない。
国語を習っていても、日本語を正しく使えない日本人……九鬼泰次です。
かといって、英語がペラペラなわけでもありません。至って中途半端な学力しかない一般人……それが僕、九鬼泰次なのだ。
「はぁぁ……」
長いこと現実逃避を続けていたけど、このままだと勉強が進まないので、嫌々だけど英語の復習から始めることにする。
「アイ・アム・ア・ペンって、間違ってた頃が懐かしいなぁ……」
昔のことを思い出すこと十数分、未だに英語の教科書は開かれていない。
「……よし、英語はもうやめだ! 別の教科にしよう!」
昔を思い返すだけで全く英語の勉強をしなかった僕は、次に嫌な教科となる社会の勉強を始めることにする。
「旧憲法と現憲法の違いから始めていこう……」
高校1年生の最初の方から復習を始めた僕は、思いのほか内容を忘れてしまっていたのか、四苦八苦しながら勉強を進めていく。
そして、気づけば夕暮れ時となっていて昼食を食べ忘れていたので、勉強に一区切りつけると夕食を食べに1階へと降りて、2食分とはいかないまでもいつもより沢山食べてから部屋に戻る。
「はぁぁ……これは今テストを受けたら確実に赤点だな……」
ベッド脇に座り、机に放り出したままの社会の教科書やノートを見ては、自身の学力低下を嘆いてしまう。
「まぁ、社会はそこまで将来に使うこともないだろ。どちらかと言えば父さんの言ってた英語か、もしくは国語と数学だな。理科は専門分野に進めば使いそうだけど、研究員を目指しているわけでもないし、ほどほどで済ませておくか」
あらかたの方向性を決めたあとは、ネックとなる英語の勉強は後回しにして、明日からは順次別の教科の復習を進めていくことにしたのだった。
それから数日間は高校の勉強を進めていき、気がつけばホーンラビットの件は、思い出してもそこまで気分を害するような気持ちには至らなかった。
「そろそろ剣術とかの勉強を再開しようかな……」
マジックポーチから剣を取り出しても嫌な気分にならなかったことから、そのようなことを考えていたら、ふと思い出したことがあるので剣術を後回しにして目的の指南書を出すことにした。
「【初心者でも安心・安全、みんなの護身術】か……」
そう、僕が剣術を後回しにして先に勉強しようと思ったのは、近接戦闘となる格闘技の方法だ。
これに至った経緯は、初めて出会ったホーンラビットにパンチをお見舞したところ、全く効いた様子がなかったので、喧嘩の能力が落ちているのではないかと思ってしまったからだ。
「格闘戦を想定していたけど、護身術に載ってるのかな?」
そのような不安を抱えながらも、僕の【勉強道具】のスキルは今のところ望んだものを出してくれているので、多分大丈夫だろうと思いながら指南書を読み進めていく。
そこには護身術に入る前に、人体構造の絵が描かれていた。それによると、どこが人にとって急所となるのかが説明されており、僕としては対魔物戦を想定していたけど、人型の魔物も存在はしているので無駄にならないだろうと、真面目に読むことにした。
そして、懸念していた格闘戦はちゃんと載っていたようで、人体のどこに打撃を加えると効果的なのか書いてあり、ベッド脇で指南書を開いたままの状態にして、僕は仮想敵を想像しつつ実践に取り組んだ。
その取り組みは動き方が体に馴染んでいないため、太極拳みたいな緩やかな動きで模倣していき、太極拳をしているわけではないのに、太極拳をしているような不思議な感覚に陥ってしまう。
「んー……ここで、こう? これを避けられたら、こう? ゆっくりやってるのに意外と難しいな。昔はこんなこと考えずに殴ったり蹴ったりしてたけど、確実に効果的なダメージを与える動きってのは、やっぱりプロの領域になるんだろうな」
初心者でも安心・安全と書いてあったけど、これを仮にマスターでもしたら、相手にとっては不安・危険な護身術となるに違いない。
そのようなことを考えつつも、その日は1日中みんなの護身術を勉強しながら、体を動かして実践したのだった。
そしてその翌日は、後回しにしていた剣術の復習をすることにした。
「えぇーっと、確か握り方はこうで……構える時は正中線を守るようにして……」
僕は久しぶりに剣を構えてみたが、ぎこちないながらも以前のように構えることができたので、そのままゆっくりと軽く素振りをしてみる。
「……うん、ちゃんとできているみたいだ」
ゆっくりだけど上手くできていると感じた僕は、それから縦、横、袈裟、逆袈裟の流れで素振りを続けていき、オリバーさんたちに習ったことを思い出しつつ指南書の型を倣う。
このようなことをしながら、この日も僕は宿から出ずに過ごしていたのだった。
そして、その日の夜にはだいぶ気持ち的にも落ち着いてきたので、明日は久しぶりにギルドへ行って顔を出そうかと思う。
「父さん……気分を紛らわせるためには別のことをすればいいってよく耳にするけど、結果から言うと正解みたいだよ」
オリバーさんたちにあまり心配をかけすぎるのも良くないし、ちゃんと乗り切れた姿を見せて安心してもらおう。
そのようなことを考えながら、僕は眠りにつくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます