第8話 拝啓 敵の敵は味方になりました

 良質な薬草で稼げると判断したあの日から1週間が経とうとしている。そして、今日も今日とてギルドに赴いた僕に対して、馬鹿にするためのヤジが飛んでくる。


「おい、ここは冒険者ギルドだぞ。薬草しか取り柄のない坊主が来るところじゃねぇ」


「はは、どうも……」


「ちっ、ヘラヘラしやがって」


 こういったヤジは飛んでくるものの、直接的な行動として暴力に訴えかけてくる人はいなかった。それもこれも冒険者登録時に、ギルドマスターの言っていたことが功を奏しているみたいだ。


 さすがに武器をさげているムキムキマッチョなおじさん相手に、僕が喧嘩で勝てるとは思えない。まぁ、一応僕も武器を携帯はしているんだけど。


 これを喧嘩で使ってしまえば確実に殺傷沙汰になってしまうので、できれば暴力に訴えかけてくるのだけは勘弁して欲しい。悪口だけなら聞き流せば済むだけの話だし。


「おはようございます」


「はい、おはようございます。あの人たちの言うことは気にしなくていいですからね。薬草を真面目に採取してくれるクキくんは、ギルドとしても重宝していますから」


 朝の挨拶を交わした受付嬢さんがそう言って励ましてくれるけど、裏話としては商業ギルドとのやり取りが見え隠れする。


 あの話さえ聞かなければいい人なんだろうと素直に受け取れていたけど、素材を高く売りつけるために良質な薬草を欲しがっているので、何とも言えない感情となる。


 まぁ、商売としての利益を出さないと冒険者たちにも報酬金を支払えなくなるし、致し方ないところがあることも理解しているつもりだ。


 かくいう僕も、その報酬金で生活ができているわけだし、そこのところの割り切りが大人への第1歩なのかもしれない。


「今日も薬草採取ですか?」


「はい、これしか取り柄がないもので……」


「気にすることはありません。薬草採取だって立派なクエストです。あの人たちは誰のおかげでポーションが買えているのか、それを理解していないだけです。市場に出回るポーションの数は、クキくんのおかげで少しずつですが増えてきているんですよ」


 僕にそう力説してくる受付嬢さんだけど、照れくさいことこの上ない。それに気づいているのか、受付嬢さんが温かい目で見てくる。


 その後は受付嬢さんに出発の挨拶をして、僕は街の外に出る。


 最近は近場の採取場所から取りすぎていたので薬草の生息分布を壊さないためにも、今日は少しだけ足を延ばして違う場所へ向かおうと思う。


 僕はいつもの森に到着すると、マジックポーチからノートを取り出した。


 これは、薬草の分布図を作るために用意した【勉強道具】を使って出したノートだ。


 この世界には詳細な地図なんて売ってないし、スマホの地図アプリなんて全く意味をなさないので、自分用に作ったお手製の地図になる。


 さすがに正確な計測をして縮尺図を作ったわけではないから、アバウトな仕様となる地図ではある。しかしながら、歩幅とスマホの万歩計を使うことによって、ある程度の正確さは記録できていると思う。


 方位についてもスマホが役に立った。今となっては不要となっている地図アプリを使ってみたところ、方位だけはきちんと指し示してくれていたのだ。


「今日はまだ行ったことのない森の外周部を回って、森の地図を完成させるかな」


 あまり街から離れたくない僕としては、敬遠していた行為ではある。森の奥に入らず薬草を採取していたので、街方面の森の浅い部分は刈り込んだ薬草が育つまでほぼないのだ。


 森の奥に入ればまだ生い茂っているのかもしれないけど、魔物と出会いたくないのでそれは敬遠している。


 不意に森のくまさんとかに出会ってしまったら、シャレにならない。熊型の魔物が棲息していないのは閲覧室の資料で確認済みだけど、もしかしたらってこともありえる。


 兎にも角にも、まずは森の外周部を完成させよう。


 そう思い至った僕は森の外周部を歩きつつ、未到達地からの部分をノートに書き込みながら進んでいく。


 歩く、歩く……ひたすら歩く……


 午前の時間を全て費やした結果、ようやく森の全体像の地図が完成した。次は森の中に入らなければならないけど、それは昼食を摂ってから取りかかることになる。


 それから僕は適度な場所を見つけて木を背もたれにしながら、買っておいたご飯を食べ始める。


「おい。見ろよ、あれ」


 ご飯を食べている最中に声が聞こえてきたのでふと顔を上げてみると、こちらを指さししている冒険者たちの姿が目に入った。


「薬草ハンターが飯食ってるぜ」

「薬草ハンターのくせに、飯は薬草じゃねぇのかよ」


 ゲラゲラと笑いながら通りすがる冒険者たちはどうやら僕を馬鹿にしたいようなので、相手にせず好きに言わせておくことにした。


 ここで揉め事なんて起こしたら、人の目もないことから確実にやられてしまう。とにかくああいった手前は無視するに限る。


 その後も僕が気にせずに黙々とご飯を食べていると、馬鹿にするだけした冒険者たちはそのまま立ち去って行く。


「それにしても“薬草ハンター”って……まぁ、間違ってはいないけど……」


 変なあだ名を付けられていることを初めて知った僕は、元の世界でも異称を付けられていたので特に気にすることはなかった。


「さて……次は薬草の分布図を作るかな」


 食休みを終えた僕は立ち上がって背伸びをすると、午後からの作業に取りかかる。


 午前中の作業とは違って午後からの作業は、森の中に入ってから薬草を探し回ることだ。また歩き回る作業にはなるけど、森の奥に入らないように注意しなければならない。


 僕は周囲のどこかで平野が必ず見える位置を意識しながら、森の中で迷わないように薬草探しを始めた。


「おっ! あった、あった」


 薬草の新たな棲息場所を見つけた僕は、ノートの別ページに作ってある薬草の分布図に書き込みをしていく。そして、それが終わると良質な薬草を採取して、マジックポーチに仕舞い込んだ。


 そういった作業を飽きることなく続けていたところで、薬草の採取中にガサガサと草むらが音を立てる。


 僕が反射的にその音がした方へ視線を向けると、膝丈位の高さはある草むらが揺れていて、明らかに風で揺れているような揺れ幅ではないことがわかった。


「ま……まさか……」


 嫌な予感が脳裏をよぎるけど、こんな時に限ってその嫌な予感が当たってしまう。


 そして、動悸が早くなる僕を他所に揺れる草むらから姿を現したのは、額から角を生やしたうさぎだった。


 あれは、ギルドの閲覧室に置いてあった資料で見たことがある。どこにでも棲息しているようなメジャーな生物で、タックルからの角攻撃が主体となるホーンラビットという魔物だ。


 こういう時は目を離したら負けだと、野生熊対人間のニュースで見たことがあり、それを実践しているんだけど、果たして効果はあるのだろうか。


 僕はとりあえずホーンラビットから目を離さないようにしながら、少しずつ腰を浮かせて立ち上がる。


 兎にも角にも、立ち上がらないことには逃げることができないからだ。


 ホーンラビットと相対して、“兎にも角にも”って……意外と余裕があるのか、僕は……


 そんなくだらないことを考えていた時に、ホーンラビットが動いた。


「――ッ!」


 ホーンラビットから目を離さなかったおかげか、僕はタックル攻撃を回避することに成功する。


「ったく、誰だよ! 目を離さなければ立ち去って行くなんて、デタラメなニュースを信じたのは! ……って、俺だよ!」


 さすがに“死んだフリ”という作戦は端から除外していたので、目を離さないという行動に出ていたのだけれど、幸か不幸か、そのおかげでホーンラビットの第1撃目を回避できていた。


「モキュっ!」


「も、モキュっ!? 角が凶悪なのに、何だよそのカワイイ鳴き声は!」


 ホーンラビットは自分の攻撃が当たらなかったことに腹を立てているのか、ぴょんぴょんと跳ねながら次の行動の準備をしているようだ。


「な、何とかして逃げないと……」


 僕がその行動の一挙手一投足を見逃さないように注視していると、再びホーンラビットのタックル攻撃が僕に襲いかかる。


 動物愛護団体から何か言われそうな気もしないでもないけど、角の生えたうさぎなんて異世界では魔物判定なので、多分大丈夫と自分自身に言い聞かせて僕は行動に出た。


「ごめん!」


 ホーンラビットのタックル攻撃は思いのほかスピードが乗ってないので、死ぬという現象に対して背に腹はかえられず、僕はそれを避けつつカウンターの拳をお見舞し、それがホーンラビットのボディに突き刺さる。


 その勢いも相まってかホーンラビットが飛ばされていったので、それを機に僕は逃走を始めた。


「モッキュぅぅぅぅうう――!」


「めっちゃ怒ってる?!」


 僕のパンチがさほど効いていなかったのか、体勢を整えたホーンラビットは逃げている僕を追いかけてくる。


「こっちに来るなよ!」


「モキュキュぅぅぅぅっ!」


「なに言ってるかわからん!」


 恐らく『待て、このド畜生がっ!』と、叫んでいるような気もしないでもないけど、それで待つほど僕は人間ができていない。


 むしろ、待ったらホーンラビットの餌食になる未来しか想像できない。


「はぁっ……はぁっ……」


 後ろを振り返りつつもがむしゃらに走っている僕を、ホーンラビットはまだ追いかけてくる。


「しつこい……な……何か……何か手は……」


 走りながらも打開策を考えていた僕は、地面を見ながら投げられるような小石が落ちていないか視線をめぐらせる。


「くそっ! こんな時に限って草ボーボーかよ! ってゆーか、この森の中が走りにくいんだよ!」


 一直線に走り抜けることができない森の中で、僕が木々に対して八つ当たりの愚痴をこぼしていると、天啓のような閃きが頭の中を走り抜けた。


「け……消しゴム!」


 投げられるような物が落ちてないなら出してしまえばいいと、僕は【勉強道具】を使って消しゴムを握っている拳の中に出現させる。


 それによって確かな感触を感じた僕は、拳を少し開いて消しゴムがあることを確認したら、足を止めてホーンラビットに体を向けた。


「いつまでも逃げているばかりの俺だと思うなよ!」


 大きく振りかぶって消しゴムをホーンラビットに向けて投げつけると、何かを感じ取ったのかホーンラビットが立ち止まり、飛んでくる消しゴムを避けようと身構える。


 それなりのスピードで飛んでいく消しゴムは、ホーンラビットの横を通り過ぎていき、その先で地面に落ちた。


「「…………」」


 僕が消しゴムの行く末を見つめ呆然と立ち尽くす中で、ホーンラビットもまた、消しゴムの落ちた先を振り返り見つめていると、1人と1匹の静寂な時間が過ぎていく。


「……モヒュっ!」


「お、お前っ! いま絶対に『……プッ!』とか言って馬鹿にしただろ!」


 僕の被害妄想かどうかわからないけど、先程のノーコンぶりを見たホーンラビットがニヤけているように見えてしまったので怒鳴ると、ホーンラビットはこれみよがしに同じ鳴き声を繰り返していた。


「モヒュヒュっ!」


「くそっ! 消しゴムは投げる物じゃないから外れただけだ! 次は当ててやる!」


 僕は逃げるという選択肢を取るよりも、ホーンラビットに馬鹿にされたという行為が頭を占めていて、どうにか消しゴムではない投げる物はないかと思考をめぐらせる。


「ボール! 野球ボール出てこい!」


 勉強道具とは違うような気も脳裏をかすめてしまうけど、“ボールを投げる勉強”というこじつけの理由によって、手のひらに野球ボールが出てくるように念じた。


 そして、そのこじつけが受理されたのか、僕の手のひらには野球ボールが出現していた。


「よっしゃぁぁぁぁっ!」


 起死回生の一手を打てると思った僕は野球ボールを掴んだ手を頭上に掲げ喜びの声を上げると、そのまま野球ボールを握りしめて大きく振りかぶる。既に動物愛護の精神なんて、棚の上に放り投げてやった。


 対するホーンラビットは、先程の消しゴムよりかは遥かに大きい物体を見てしまい、改めて身構える行動に移ったようだ。


「くらえ、これが本当の投げる物だ!」


 投げられるものが出てきたことによってあまりの嬉しさに力んで投げた野球ボールは、僕の手を離れると明後日の方向に飛んでいく。


「…………」


 早い話が力みすぎてすっぽ抜けたのである。


「モキュ?」


 それを見たホーンラビットは首を傾げて、いかにも『何がしたいの?』と言わんばかりの鳴き声を上げる。


「ま、まだだ……まだ終わりじゃない。今のは俗に言う“悪い例”だ!」


 そのような言い訳がホーンラビットに通じるとは思っていないけど、僕は気を取り直して野球ボールを再度出現させる。


 その僕の行動に対してホーンラビットは既に余裕綽々なのか身構えることすらせずに、『どうぞ、お好きに』と言っているような楽な姿勢を取っていた。


 それを見た僕は更に怒りを募らせてしまう。


「俺を侮ったことを後悔するといい……」


 僕は今一度心を落ち着かせて大きく振りかぶる。


 そして、僕の手から放たれた野球ボールは明後日の方向には行かず、ホーンラビット目掛けて飛んでいき、その上を通過していった。


「モキュぅぅぅぅ……」


 ああ、わかってるさ。僕はノーコンだ。これでド素人の僕が狙い通りに野球ボールを当てられるなら、メジャーリーガーにだってきっとなれる。


 だから、そんな同情しているような視線を向けないでくれ。魔物にそんな感情を向けられると居た堪れなくなる。


 だが、そのような時に思いもしないことが起きてしまう。


「――ぷぎゃ!」


「「…………」」


 僕とホーンラビットがどこか通じあっていると、遠くの方から変な声が聞こえてきたのだ。


(確か、あの方向は……)


 その変な声が聞こえてきた方向は、僕のノーコンボールが飛んでいった先だ。ここで僕の脳裏に最悪の展開が思い浮かんでしまう。


 そして、ホーンラビットの後方からガサガサと草むらをわけて進んでくる音が聞こえてくると、僕たちのところに姿を現したのは1匹のゴブリンだった。


「グギャ?」


 現れたゴブリンは僕とホーンラビットを見て、首を傾げている。


(もしかして、さっきの攻撃が誰のものなのかわからないのか? ゴブリンは知能が低いって言うし、助かるかもしれない!)


 そう判断した僕は、ここで取っておきの奇策をとることにした。


「そこのホーンラビットが、さっきゴブリンさんを攻撃したんだ! 見てくれ、その余裕綽々の態度を! これはきっと偉大なるゴブリンさんを見下しているに違いない!」


 あろうことか僕は、速攻で先程まで通じあっていたホーンラビットを売った。何せ、相手は魔物で味方ではない。しかも、襲ってきた敵だ。敵の敵は味方という言葉もあるんだし、ここは有効利用させてもらって、逃げの一手を打つ!


「グギャギャー!」


「モ、モキュキュっ!」


 僕の言った言葉を理解したのかどうかわからないけど、ゴブリンさんが怒り出すと、ホーンラビットがゴブリンさんに体を向けて必死の弁明を図っている……かのようにも見えるけど、僕の知ったことではない。


「ゴブリンさん、後は頼みました! しっかりとホーンラビットにお灸をすえて、ゴブリンさんが偉大だということを知らしめてください! では、またの機会に!」


 僕は言うだけ言ってゴブリンをおだて上げると、結果を待たずしてその場を走り去っていく。


「モ、モキュぅぅぅぅ……」


 『そんな殺生な……』と、ホーンラビットの嘆きが聞こえてきたような気もしないでもないけど、きっと僕の幻聴に違いない。人間の僕が魔物の言葉なんてわかるはずもないのだから。


 そして、無事に森を抜けて街へ走り逃げることができた僕は、門番さんの姿を見て安堵すると、身分証を見せる前に息を整えていく。


「どうした? 血相変えて走ってきてたが」


「ぜぇぜぇ……も、森でホーンラビットに出会ったと思ったら、ゴブリンまで出てきて……はぁはぁ……必死になって逃げてきました」


「ほう……それはいい行動だ」


「……え?」


 魔物から逃げ帰ってきたことを正直に話したところだったけど、何故か褒められてしまったので疑問に感じてキョトンとしていたら、門番さんがその理由を教えてくれた。


「冒険者になりたての若いヤツらは、自分の力を過信しすぎる傾向にあるからな。無茶な戦闘をしてそのまま死ぬやつも中にはいる。その点、お前は勝てないとわかって必死に逃げてきたんだろ? 自分の力をちゃんとわかってるってことだ」


「は……はあ……」


「しかも、飾ることなく魔物から逃げてきたと報告するあたりがなおいい。妙なプライドに固執することがないから、きっと長生きする冒険者になれるぞ」


「あ、ありがとうございます。森は怖いので、しばらくは森の外で薬草採取のクエストをこなします」


「ああ、頑張れ」


 何故だか門番さんに応援されてしまった僕は、身分証を見せると街中へと入り、そのままの足でギルドへと納品に向かう。


 そして、ギルドで納品と依頼達成の手続きを済ませたら、宿屋に戻って夕食の時間までのんびりと過ごすのだった。


「父さん……うさぎって結構怖い生物だよ……馬鹿にしてくるし、絶対に確信犯だよ。ゴブリンさんは上手く懲らしめてくれただろうか……」


 今日の反省会を人知れずやっていた僕は、ゴブリンがホーンラビットをやっつけてくれていることを密かに願うのであった。

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