第四話 霞む景色


 あれから約一年の歳月があっという間に流れた。


「――ハワード、元気にしてた?」


「あ……ルシェラ、久々だな……」


 俺の仕事部屋にルシェラが入ってきて、微風とともに酔うような薔薇の香りがした。いつもの爽やかなハーブの香水とは違うんだな。


 それにしても、しばらく見ない間にまた一段と綺麗になったものだ。以前よりも服装が若干派手になってはいるが、それでも俺の大好きな恋人であることに少しも変わりはない。


「なんだかやつれたわね……髭だって伸び放題だし……」


「仕方ないさ。あれからずっと籠もりっぱなしだから……いてて……」


 時々こうして右腕が痛む。まだあのときから心身ともに傷は癒えない。それでも、俺は絶対にあきらめたくなかった。あらゆるものを精錬できたあの神の腕をなんとしても取り戻したかったんだ。今では、普通の武器を精錬することさえも厳しい状況だが……。


「大丈夫? ハワード……」


「あ、ああ……ルシェラ――」


 ルシェラが心配そうに顔を近付けてきたので、俺はキスをしてやろうと彼女を抱きしめた。


「――や、やめてっ」


「え……」


 普通に拒否されてしまった。


「ご……ごめんなさい」


「い、いや、こんな風貌だしな。俺のほうこそ気が利かなくて悪かった……」


「ううん、いいのよ」


 少々気まずい空気が流れたが、ルシェラは笑って許してくれた。


「……あのね、ランデルのことなんだけど……」


「……あ、あぁ、あいつがどうかしたのか?」


「あれから、本当に頑張ってくれてね……ハワードのためにもって。それで、ダンジョンに呑まれた人たちを何度も救ってるの。凄いでしょ?」


「……そうだな」


 複雑な気持ちもあったが、それが唯一の救いなのかもしれない。俺の右腕が使えなくなった上にあいつまでおかしくなったら、それこそ一体なんのために助けたのかって話になるわけだから。


「それにね、ランデルはずっとあなたのことを気にかけてくれてるし、私たちのことも大事にしてくれる。本当に変わったのよ。ハワード、あなたのおかげで」


「……」


「ハワード、聞いてる?」


「あ、ああ、聞いてるよ」


「人は変われると思うの。だから……そろそろランデルのこと、許してやってほしいかなって――」


「――ランデルの話ばっかりだな」


「……え?」


 我ながらガキっぽいとは思ったが、止められなかった。自分の中で何かが崩れてしまったかのように。


「ランデルが俺のことを気にかけてるって言うけど、あれからあいつが俺の仕事場を訪ねてきたことなんて一度たりともないんだぞ……?」


「そ、それは、ハワードに合わせる顔がないって思ってるからでしょ……!?」


「違う……。あいつが興味を持ってるのはルシェラ、お前だけだ」


「そ……そんなの、ハワードが穿った見方をしてるだけでしょ! 一体どうしちゃったのよ、あなたらしくないわよ……?」


「ルシェラ……お前のほうこそどうかしてる。俺の前であいつの話ばかりして、無神経にもほどが――」


「――もういいわ! 見損なった!」


「ル……ルシェラ……?」


 我に返ったときには、ルシェラが俺の仕事場から勢いよく飛び出してしまったところだった。


 そんな……どうして……こんなことを言うつもりなんてなかったのに、彼女に側にいてくれるだけでよかったのに、俺は感情に任せて傷つけてしまった。しかも、よりによって一番大事な人を……。


「ルシェラ……!」


 気付けば俺は宝石箱を取り出し、ルシェラを追いかけていた。


 今すぐ謝りたい。俺が言いたいのはお前が全てだということ、一番だということ……それを伝えたくて、もう足が千切れても構わないという気持ちであとを追いかけたが、衰えた筋力が足を縺れさせる。


「くっ……!」


 それでも俺は歯を食いしばって走ろうとしたが、めまいがしてバランスを大きく崩すとともに派手に転倒し、宝石箱を落としてしまった。


「――あ……」


 それを震える右手でなんとか掴もうとしたときだった。前方でルシェラが誰かと腕を組んでいるのが見えた。あ、あれは……。


「そ……そんな……」


 それは紛れもなく勇者ランデルだった。


「……あ、あ……」


 二人は互いに笑い合ったあと、極自然に唇を合わせていた。こんなに近くにいるのに、俺とあの二人との間には、恐ろしいほどの距離感が巨大な壁のように立ち塞がっていた。


「ち、ちくしょう……ちくしょおおぉぉ……」


 宝石箱とともに俺の右手は霞んでいた……。

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