第三話 別れの峠
いよいよそのときがやってきた。ルシェラに渡すため、コツコツと貯金したお金で買ったダイヤモンドの指輪を俺はまじまじと見つめる。
「……」
神精錬でダイヤの大きさや輝きを『0』から『1』にしてあげようか……そんな欲望をぐっと押し殺す。それじゃダメなんだ。
エゴなのかもしれないが、彼女にはありのままの飾らない自分を見てほしい。本当に大事なものは、値段とかブランドとか目に見えるものなんかじゃない。裸の心……すなわち、どんな高貴な宝石でも放てない輝きを持つ真心こそが本当の宝物だと思うし、それを見てほしいんだ――
「――た、大変だ! ハワード兄貴っ……!」
俺が泊っている質素な宿の一室、ただならぬといった顔で駆けつけてきたのは俺の弟分、グレックだった。
「どうした、グレック? そんなに慌てて……」
「はぁ、はぁ……ラ、ランデルのやつが……いなくなったって……!」
「なっ……」
「それも、もう二度と帰ってくることはないっていう内容の置手紙を残してるもんだから、みんな大騒ぎしてて……」
「……わかった……」
「え……?」
「ランデルがいそうな場所がわかった。多分あいつはそこにいる。グレック、今すぐみんなを呼んできてくれ!」
「りょ、了解っ!」
「……」
これじゃ、今日は愛の告白なんてできそうにないな。まあいいや。チャンスはいくらでもあるんだし――
「――うっ……?」
なんだ? 今、頭の奥がズキっとしたような。今日ルシェラにプロポーズする予定だったから昨晩はあまり眠れなかったし、疲れてるんだろうか……。
王都から遠く離れた場所……故郷の近くに『別れの峠』という名所がある。これ以上ないような絶景が見渡せる場所だが、自殺者が多く出ることでも知られてるんだ。
幼い頃、俺とルシェラ、それにランデルの三人でよく遊んだもんだ。親からは危ないから行ってはダメだと何度も注意されたが、子供ってそういう場所ほど冒険心をくすぐられるから好むものなんだよ。
「――来るなあっ!」
やっぱりあいつはそこにいた。いじけたときや腹に据えかねたときは決まってこの場所へ来て俺たちに不満をぶつけてきたもんだ。
「少しでも近付いたら、ここから飛び降りてやるうぅ! 僕は……僕は本気だぞっ……!」
「……」
それでも、そこまで心配はしてない。本気で死ぬ気があるならとっくに飛び降りてるはずだからな。俺たちになんらかの要求をするか、あるいは自分の辛さを訴えて同情を引くつもりなんだろう。
「ランデル、落ち着け」
俺が近付くと、ランデルは血相を変えて睨みつけてきた。
「誰が落ち着けるもんかっ! 僕は……片思いのルシェラには相手にされないし、憧れの女王様にもスルーされるし、何より没落した貴族の息子……ハワード、君にすら負けてるし……こんなの耐えられないよっ!」
「ラ、ランデル……」
ルシェラが複雑そうにあいつのことを見ている。ランデルの気持ちはわからんでもないが、そんなことを言われても困る。
「ずっと……ずっと屈辱だった。ハワード……子供の頃から臆病者だと罵られてきた自分が君に勇気を鍛えられて、僕はそのおかげで勇者として相応しくなれた。でも、それがある限り……僕は君に一生頭が上がらないじゃないかっ!」
「ランデル……俺はお前に恩を着せたつもりは一度もない――」
「――黙れ! その余裕が気に入らないんだよ……。ねえ、知ってる? 勇者の血統ってさ、凄いんだよ? 世界で唯一の存在なんだよ? それが……あははっ、たかが鍛冶師なんかに負けるなんて……!」
「ラ、ランデル、なんてこと言うの!?」
「そうだよ、ランデル。ハワード兄貴は伝説の鍛冶師の孫なんだぜ……?」
「うんうん、恩人のハワードお兄様に向かってそんなこと言うなんて……ランデルさんひどーい!」
「はあ……みんな揃いに揃ってハワードの味方か。あーあ、僕なんてこの世に要らない存在なんだ。もう死んでやるかなっ!?」
「……っ!」
まずい。あいつが一歩手前、すなわち崖っぷちに立とうとしたとき、一段と強い風が吹くのがわかった。
「わ……わわっ!?」
「ランデルッ……!」
気付けば俺は右手一本でランデルの手を掴んでいた。
「たっ……助けてくれえぇっ! 死にたくないぃぃっ!」
「あ……暴れるなっ!」
右手の感覚は既にない。でもこれを離したらランデルは間違いなく死んでしまう。俺は幼馴染を死なせるわけにはいかないという執念で持ち堪える。
「ハワード!」
「兄貴!」
「お兄様!」
三人の声がしてまもなく、崖に乗り出していた俺の体がランデルごと引き上げられるのがわかった。
「――こっ……怖かったよおぉぉっ!」
「……」
泣き叫ぶランデルの声が遠くに感じる。み、右腕が……俺の右腕が明らかにおかしい。動かない、ほとんど動かないんだ……。
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