第75話

 俺が迷っているのは、どれぐらい手加減してこの勝負に臨むか、である。このかけっこは、負けるわけにはいかないものだ。


 しかし、本気でやってはあまりにも大人げないのではないだろうか。だからこそ俺は、こうして迷っているのである。


「ここがスタートラインで、あのジャングルジムがゴール。丁度いい距離だろ?」


「あ、ああ。分かったよ」


 確かにここからジャングルジムなら、50メートル近くはあるかもしれない。正確に測ってないので分からないが、大体そんなものだろう。


「よし。じゃあスタートラインに立て」


「あ。合図は私がするから」


 俺と純也君がスタートラインに立つと、俺がさっき捕まえた女の子がそう言ってくれた。まるちゃんを含めた他の子供たちは、ゴールを真横から見るためにジャングルジムまで向かっている。


 そして、まるちゃんたちがジャングルジムに着くと、その子たちが大きく丸を作った。オッケー、ということだろう。


「じゃあ、行くよ?よーい……」


 いよいよ、かけっこがスタートする。俺はここで、迷いに結論を出した。


「……スタート!」


 俺と純也君は、その掛け声に合わせてほぼ同時に走り出す。俺はチラリと純也君を見ながら、ジャングルジムに向かって走った。


 俺が出した結論は、ギリギリで純也君に勝つ、というものだ。途中まで接戦にして、最後ギリギリで勝つ。


 つまり、間を取った作戦である。この作戦は純也君の足の速さにもよったが、どうやら問題なさそうだ。


 やはり、美保も流石に手加減をしていたようだ。明らかに、美保の全力の方が速い。


 これなら、作戦通りにいける。俺はジャングルジムが近づいてきたのを確認し、純也君より少し前に出た。


 それを見た純也君も速度を上げようとしたのだろうが、もう追い付かない。俺は全力を出さずに、ギリギリで純也君よりも先にジャングルジムに触れた。


 その瞬間、少し離れたところから歓声が聞こえた。まるちゃんたちだろう。


「くそっ……!後、ちょっと……!」


 この声は、俺のすぐ隣から聞こえてきた。純也君が悔しがっているのだ。


 この様子なら、俺の選択は間違っていなかったようだ。勝てたし、大人げないことはしなくてすんだ、よな?


「パパ~!」


 すると、まるちゃんが俺のことを呼びながら、俺の元へと向かって来ていた。俺はそんなまるちゃんに、笑みを向けながら手を振る。


 だがその笑みは、すぐに凍り付くことになった。まるちゃんが躓いてしまって、こけたのだ。


「……まるちゃん!」


 一瞬、呆気にとられていた俺だったが、すぐにまるちゃんの元へと全力で駆け出した。そして、まるちゃんに大丈夫かどうかを尋ねる。


「まるちゃん!大丈夫か!?」


「……パパ?足、足が痛いの……」


「足……。見せてくれ」


 まるちゃんに言われて、まるちゃんの足を見ると、右膝から血が出てしまっていた。もちろん軽傷ではあるが、まるちゃんが痛がっているのには変わりない。


「大丈夫。怪我は軽い。取り合えず中に戻って、手当をしよう」


「うん……。ありがとう、パパ……」


 俺はまるちゃんを抱きかかえて、療心学園に向かう。その途中で、俺が鬼ごっこの時に捕まえた女の子に声をかけた。


「悪い。まるちゃんの手当てをしてくる。後、よろしく」


「う、うん……」


 それだけ言った俺は、まるちゃんを落とさないようにしながら、できるだけ早く療心学園の中へと向かう。焦っていた俺は、後ろの声は聞こえなかった。


「ま、待って――。……いいな」


「さっきより、速い……?じゃあ、さっきのは、全力じゃ――!」



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