第32話 「桜色の舞姫」というスパイが心を捧げた男、それが俺!(その1)
今年もあと一ヶ月で冬だ。
帝都では今頃「聖霊祭」の準備で賑わっている事だろう。
この街、ナーリタニアでは「収穫祭」が終わったばかりで、聖霊祭にはまだ気持ちが入っていないようだが。
……私がこの街に来て、もう一年になるのか……
私、リシア・トルマリンはそう感じていた。
風が冷たくなり始めるこの頃、ふと人恋しくなるのは私だけだろうか?
人々から『桜色の舞姫』と呼ばれ、王立調査委員会からは『パール・スパイク(真珠のとげ)』と呼ばれた私だが。
……この一年、結局何の進展も無かった……
私が漏らすため息も、いつの間にやらうっすらと白くなっていた。
そう、私に地位と帝都を捨てさせ、この街に残る決心をさせたあの男、『ザ・ブレイブ』との出会いが思い出される。
一年前の夏の終わり、私は王室中央局直属の王立調査委員会に呼び出し命令を受けた。
王立調査委員会は、近い将来に王室またはこの国に重大な危機となる可能性がある事態を、事前に調査するための機関だ。
私は初等教育機関である小中学校を通常の半分で終え、さらに高等学校、大学まで飛び級を繰り返した。
大学院では魔法学を専攻し、最年少の19歳で博士号と上級魔法士の資格を取得して王立中央局情報分析課に配属されていた。
情報分析課は国内外の情報を分析するのが仕事だ。
そして王立調査委員会に抜擢されるのはエリート・コースに乗った事を意味する。
初年度の訓練時代にもスパイとしての情報収集・分析、そして戦闘訓練でさえも抜群の成績を示した私としては「いずれ調査委員会に呼ばれるだろう」と考えていたが、こんなにも早く呼ばれたのは意外だった。
部長室に入ると、そこには部長以外に二人の男がいた。
いずれも王立調査委員会の上級職の人間だ。
一人の年配の男が言った。
「リシア・トルマリン。君には東の辺境地区にある都市ナーリタニアに潜入捜査をしてもらいたい」
私は疑問に思った。
ナーリタニアは確かにここ5年足らずで急拡大した街だ。
だが東の辺境地区の州都はティオーダのはずだ。
なぜそんな地方都市へ潜入捜査など?
「一つ質問をよろしいでしょうか?」
「許可する。言ってみろ」
「なにうえ潜入地域がナーリタニアなのでしょうか?州都のティオーダならまだ理解できますが」
「君はなぜナーリタニアが急速に発展したのか解るかね?」
私は素早く過去に見たニュースを記憶の中から拾い上げた。
「ここ数年で周囲の魔獣やモンスターの討伐が全面的に行われ、人の往来が盛んになり物資や情報が集まるようになったため、と聞いております。それ以外にも元々歴史のある町で、大寺院の門前町であった事も理由の一つです」
「その通りだ。だがその魔獣やモンスターの討伐が、ほとんど一人の人間によって成し遂げられたとしたら?」
私はその言葉に驚いた。
いや驚いたのは「一人の人間によって周辺のモンスターが討伐された」という部分ではない。
そんな与太話を調査委員会が真面目に口にした事にだ。
「お言葉ですがそれが真実とは思えません。それとも事実と認定できるような証拠があるのでしょうか?」
「それが君の一つ目の仕事だ。リシア・トルマリン」
年配の男がキッパリと言った。
「しかも噂ではその男はまだ少年らしいのだ。五年前、彼がナーリタニアに現れて以来、日々熱心に周辺の未開発地区に出かけ、そこで妖魔・魔獣・モンスターを討伐して行ったらしい。すでにナーリタニアの近辺で脅威があると思われるのは東の『クゥワトリガ神殿遺跡』と西の『シャンクラ迷宮』だけだと言われている」
「はぁ」
私にしては珍しく曖昧な返事を返した。
それが事実なら、その男は千人規模の軍勢に匹敵する力を持っている事になる。
それをそのまま鵜呑みに出来る訳がない。
年配の男も私の考えを察知したのだろう。
「もしその男の話が本当なら、彼は個人で一個大隊に相当する戦闘力を持っている。そんな男を野放しにしてはおけない。逆にその男が王室の軍に加われば強力な防衛力となる。よって君にはその男の噂が真実かどうか確認し、事実ならば中央近衛隊に加入するように説得してもらいたいのだ」
そこで部長が始めて口を開いた。
「どれほどの戦闘力を秘めていようと所詮は男だ。リシア、君のような美しい女性がその魅力を持って接近すれば、男の心を動かす事も難しくはないだろう。六ヶ国語を操り、教養豊かで歴史だけでなく、古代語や伝説にも詳しい上、『桜色の舞姫』と呼ばれた君の踊りを見れば、どんな男も落とす事は可能だ」
そう言って部長は私の全身を上から下まで舐めるように見た。
彼の言う通り、私は自分の容姿には自信がある。
毎年『帝都でもっとも美しい顔』のトップ5位に入っており、街を歩けばモデルとしての勧誘がひっきりなしに来るほどだ。
胸はGカップで、そこらの『細身だけが取り得のファッション・モデル』とは違い、男性の視線が痛いほどだ。
「解りました。それでは資料を……」
そこまで言った時、王立調査委員会から来た若い男の方が口を挟んだ。
「待ちたまえ。ナーリタニアでの調査目標はもう一つある」
私は視線を彼に向けて発言を待った。
「これは未確認情報なのだが、『伝説の魔女、グレート・ウィッチ』が復活した可能性があると言うのだ」
「伝説の魔女が?まさか!」
私も思わず驚きの反応を示した。
『伝説の魔女、グレート・ウィッチ』は600年前に世界を滅ぼしかけたと言われる恐怖の魔女だ。
その力は台風を呼び、地震を引き起こし、火山さえ噴火させ、隕石を落とすという天災レベルの化け物なのだ。
『都市ごと異次元に吹き飛ばされた話』『一つの都市から人間だけが丸ごと消失した伝承』『島大陸とも呼ばれた巨大な陸地を一夜で海に沈めた伝説』など、数々の信じがたい記録が残っている。
実際、世界各地で『600年以前の歴史』が途絶えている文明がいくつもある。
これは全て『グレート・ウィッチ』が文明を破壊したため、記録と歴史が断絶してしまったためなのだ。
その名を口にする事も
「何年か前に王国の境界地付近の未支配地域にある古代遺跡で、何かの封印が破られたのだ。それがどうやら『伝説の魔女』を封印した墓地だと言うのだ」
「でも世界中に『伝説の魔女を封印した遺跡』はたくさんありますよね?なぜその場所が『伝説の魔女の墓地』だと特定できたのですか?有力な候補は他に幾らでもあるはずです」
私の記憶だと、世界に『魔女の墓地』『魔女の封印遺跡』と呼ばれる場所は108はあるはずだ。
「さすがだ。大学で『伝説の魔女』と『聖魔王』について論文を発表し、学長推薦を受けただけの事はある」
男は満足そうに頷いた。
「直接の証拠はない。だが遺跡の封印が破られた時期に前後して、付近に聖魔王の手下と思われる集団が現れたらしい」
聖魔王は同じく600年前に世界を支配しようとした魔王だ。
その力は『伝説の魔女』と同等と言われている。
どちらも最後は勇者シンに滅ぼされた事になっているが、一部の異端宗教では『聖魔王はグレート・ウィッチを倒した英雄』として崇められてもいる。
「その件は私も存じていますが、まだ聖魔王の配下とは確認できていないかと」
「だからこそ君にこの調査を頼みたい。『伝説の魔女、グレート・ウィッチの復活』がデマならそれでいい。だがもしグレート・ウィッチが密かに復活を果たしているとしたら、これは世界の大問題だ」
部長も同様に頷いた。
「既に聖魔王は百年前に復活を果たしている。この上、グレート・ウィッチまで復活したらば、今度こそ世界の終わりかもしれん」
「その通りだ。我々としても全力でこの件を調査しているが、何しろ情報がない。世界中に国、いや人間だけではなくエルフの国でも他の亜人種の国でも懸命に『伝説の魔女の復活』について情報を集めているんだ。だからどんな小さな事でもいい。グレート・ウィッチに関する情報を集めて欲しい。しかも周囲に気付かれないように極秘にだ」
「解りました。ご命令を拝命いたします」
「頼んだぞ。事と次第によっては『世界存亡の危機』に関わる事だからな」
私が部長室を出る時、最後にそう声を掛けられた。
>この続きは明日9:04に投稿予定です。
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