第6話 辺境一の勇者『ザ・ブレイブ』と呼ばれた男(その6)

「イーフリートか」


 炎の壁を二つに割り、現れたレーコはつまらなそうに、そう呟いた。


「なんだ、この女は?男の戦いの中に出しゃばってくるか?」


 ……このバカ!足止めするのはいいが、無駄にレーコを怒らせるな!……


 レーコは完全にイーフリートを無視して近づいてくる。

 その存在を蚊ほども感じていないかのようだ。


「女、それ以上ワシに近づけば、その身体がワシの魔気で焼け爛れるぞ。早々にこの場を立ち去るが良い」


 イーフリートが邪魔そうに、レーコに向かって片手を伸ばした。


「ウギャア!」


 途端にイーフリートが悲鳴を上げる。

 見ると伸ばした右手が焼け爛れていた。


「ま、まさか、ワシが、この炎の魔神・イーフリートが!火炎放射で負けているだと!」


 レーコの目は俺しか見ていない。

 彼女自身は特に何もしていないのだ。

 ただ彼女の怒気に触れたイーフリートの腕が燃え上がっただけだと言える。

 そしてイーフリートは目を見張った。


「ま、まさか、オマエは、いや、アナタ様は……全ての魔族を従えたと言う『伝説の魔女』……」


 レーコは何も言わず何も答えず、ただ俺達との距離を縮めていた。


「ヒイイイイイ!」


 イーフリートが走って俺の方に逃げてくる。

 俺もさっきから走って逃げようとしているのだが、俺だけが沼地に足を取られたように前に進めない。


「こんな、こんな事ってあるか!まさか『伝説の魔女』と戦うなんて!」


 イーフリートは自由に進めない俺に掴みかかって来た。


「バカヤロウ!戦えなんて最初っから言ってない!俺は『足止めしろ』と言ったんだ!」


「ムリムリムリムリ!相手はあの『グレート・ウィッチ』なんだぞ!ワシなんかじゃ相手にならん!」


「ここはオマエの得意なフィールドだろう?さっきそう言ったじゃないか!別に倒せと言っているんじゃない!俺が逃げる少しの間、時間稼ぎをしてくれればいい。そうすればオマエをここで自由にしてやる!」


「い、嫌だ!もう嫌だ!頼む、ワシをアンタのカードの中に戻してくれ!」


 イーフリートは涙を流しながら、俺の腰にしがみついた。


「俺がやられたらカードの中に居ても一緒だろうが!オマエが余計な事を言ってレーコを怒らせるのが悪いんだろ!」


「あ、アンタこそ、さっきダンジョンで戦った時とキャラが違うぞ!お願いだ、何でも言う事を聞くから!ワシを助けて!」


 もうすぐそばまでレーコは近づいている。


「ウルセー!何でもいいから、ともかく足止めして来い!」


 俺はイーフリートを思いっきりレーコの方に蹴飛ばした。


「あびぶっツ!」


 奇妙な悲鳴を上げ、イーフリートはレーコの怒気に触れて千切れながら燃えていった。

 イーフリートでさえ、レーコの足止めすら出来ないなら、他のカードのモンスターも同じだろう。


 ……こうなったら最後の手段……


 俺はポーチにあった三十六枚のカードを取り出した。

 絵柄にはトランプのジャックが描かれている。


「出でよ、我が分身たち!」


 俺はそう叫んでカードを真上に放り投げた。

 瞬時にその全てが『俺』の姿になる。

 コイツラは先ほどのゴーレムとは根本的に違う。

 俺の分身なのだ。

 正確には『俺の欲望』を封印した霊魂の分体なのだが。


 俺はレーコと五年前から一緒に暮らしているが、その間ずっと彼女に対する『肉の欲求』を押さえ続けていた。

 だが押さえきれない俺の本能は、分身としてカードに封印して来たのだ。

 今やそのカードは三年分で三十六枚に達した。

 つまりここに36人の俺の分身が現れたのだ。

 彼らは欲望むき出しの目でレーコを見ると、口々に騒ぎ出した。


「レーコ!」「レーコ!」「レーコ!」「レーコ!」「レーコ!」


「おっぱい!」「おっぱい!」「おっぱい!」「レーコのおっぱい!」


「おへそ」「おへそ」「おへそ」


「ヒップ」「ヒップ」「ヒップ」「レーコのヒップ!」


「ふともも」「ふともも」「ふともも」「レーコのふともも!」


 俺の欲望を封印した分身だから、本能&欲望がストレートなのは仕方が無いが、それでも聞いていてコッチが恥ずかしい。

 分身たちはその欲望のままにレーコに群がっていった。


 だがレーコは冷たい目のまま、右手を水平に振るう。

 するとそこに五つの光球が出現した。

 そのまま右手を上に跳ね上げる。

 五つの光球はレーコを取り巻くように動き、それぞれから強烈な光線が打ち出された。

 『マジック・ミサイル』だ。

 撃ち出された光の矢に貫かれた分身は、真っ黒な煤となって消滅して行った。

 それを見たレーコが、一瞬怯む。

 そりゃそうだ。

 分身とは言っても、その魂は本物の俺の欲望を分離したものなのだから。


 俺は分身たちに混じってレーコに突進した。

 チャンスは今を逃してはない!

 レーコはマジック・ミサイルで次々と分身たちを消滅させて行く。

 一応、分身を選んではいるようだが、それでもホンモノの俺と明確に区別はつかないはずだ。

 つまり『もし俺がマジック・ミサイルで撃たれたら、それでオシマイ』という事だ。


「いいわ!浮気者のアナタを殺して、私もここで死ぬ!」


 レーコはそう言い放った。

 マズイ、彼女は本気だ。

 さっきまでより、光球が素早く動く。

 そして撃ち出された光により、一体また一体と分身が消滅していった。

 だが彼女の中でもどこか躊躇があるのだろう。

 四人の分身がレーコにたどり着いた。


「きゃあ!」


 彼女が悲鳴を上げる。

 分身たちは、彼女のバストに、ヒップに、太股にむしゃぶりついたからだ。

 俺はダッシュしてレーコに追いついた。

 彼女の身体をしっかりと抱きしめると同時に、再びカードを取り出した。


「シールド!」


 そう叫ぶと分身たちは光の粒子となってカードに吸い込まれていく。

 たとえ俺の分身とは言えど、レーコには指一本触らせたくない!


「イヤッツ!放してっ!」


 レーコは叫んだ。

 だが俺は彼女を抱きかかえた手を放しはしなかった。


「レーコ、あれは誤解だ!俺は浮気なんかしていない!」


 レーコはキッと俺を睨んだ。


「じゃああの『サキュバスの祝福』は何?あの匂いは?」


「確かに戦いの後にサキュバスに誘われたけど、俺は即座に断った。だけど別れ際にサキュバスが俺に触れて『サキュバスの祝福を』と唱えていたんだ。俺はその意味を知らなかった!」


「ウソ!」


「本当だ!ウソだと思うなら、一緒にいたパーティの三人に聞いてみてくれ」


 レーコがじっと俺を見つめた。

 どうやら冷静さを取り戻しているらしい。


「俺が愛しているのはレーコだけだ!絶対に裏切るようなマネはしない」


 レーコの目に見る見る涙が浮かんでくる。


「本当に、本当の、本当?絶対に浮気なんかしてない?」


「誓うよ!俺は絶対に浮気なんてしてない!」


 レーコは俺にしがみついてきた。

 泣き顔を見られたくないのか、俺の胸に顔を埋める。


「浮気なんかしたら、絶対に許さないんだかね!タッ君を殺して、私も死ぬんだから!」


「レーコはそんな簡単に死ねないだろ?」


 俺は笑いながら、優しく彼女の髪を撫でた。

 さっきまでの『伝説の魔女』の様子が嘘のように、今はごく普通の少女として泣きじゃくっている。


「さぁ、それじゃあ家に戻ろう。俺、風呂の最中だったから素っ裸なんだけど」


 するとレーコは慌てて身体を離した。真っ赤な顔をしている。


「じゃ、じゃあ、仕方が無いから、コレ穿いててよ」


 そう言って『サキュバスの祝福』が着いた下着を差し出した。

 俺は苦笑しながら、その下着を穿く。


「けっこう深い所まで来ちゃったから、家に戻るのは時間がかかるかもね」


 俺が周囲を見渡しながらそう言うと、レーコは俺の腕に抱きつくように顔を寄せる。


「いいよ。タッ君と一緒なら、私はどこでも幸せだから」


 俺はそんなレーコの顔を見つめた。

 レーコ・リリエル・アクアマリン

 そう彼女は伝説の魔女『グレート・ウィッチ』だ。


 『炎と氷の魔女』とも呼ばれ、六百年前には世界の三分の一を支配したと言われており、現代においてもその名は恐怖の対象だ。

 彼女は恐れられるあまり、その名前は口にする事さえ禁忌とされて来た。

 よって現代では『伝説の魔女』の名前を知る者はいない。


 だけど……俺にとっては誰よりも可愛く、誰よりも愛しく、何よりも大切な、俺の嫁だ。

 俺はレーコとのこの生活を守るため、ダンジョンに潜り、樹海に踏み入り、モンスターと戦っている。


 それは……レーコと同じく、かって世界の三分の一を支配した『聖魔王』がレーコを我が物にせんと狙っているからだ。

 それを阻止する方法は二つしかない。


 レーコを『普通の女の子』に戻すか……

 俺が聖魔王を倒すかのどちらかだ。



>この続きは、明日(12/5)7:18に投稿予定です。

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