第5話 辺境一の勇者『ザ・ブレイブ』と呼ばれた男(その5)

 俺は衣装室でスーツだけ脱ぐと、下着姿でバスルームに向かう。

 最低限の武器として、短剣とモンスター・カードの入ったポーチだけは手に持つ。

 もはや冒険者としての本能的動作だ。

 バスルームに入り、広々とした大理石造りの円形のバスタブに浸かった。


「ふぅ~」


 生き返る。

 この家にいる時が一番幸せだ。

 美しく、可愛く、そして俺を一番に愛してくれる妻・レーコ。

 俺にとっては最高の女だ。

 いや、誰に取ってもレーコは最高だろう。

 彼女との生活を守るためにも、俺は危険な冒険者を続けねばならない。

 俺の目標を達成するまでは……

 もっともナーリタニア周辺程度では、俺にとっては危険などあり得ないが。


 ……はやく十八歳になりたい。そうすればレーコと……


 ムフフな想像が沸き起こってくる。

 確かに俺の周囲にはレーコ以外にも、絶世の美女・美少女が集まっている。

 リシア、ナーチャ、シータ。

 彼女達も街一番、いや辺境一番の美人だろう。

 そして彼女ら全員が俺の恋人になりたがっている。

 彼女達だけではない。

 このナーリタニア、そして周辺の村々の女性達も俺のファンは多い。

 俺にとってはダンジョンの魔物よりも、女達の誘惑の方がよっぽど手強い相手だ。


 ……でも俺にはレーコがいる……



 その時だ。

 ダンダンダン、という荒い足音が聞えてきた。

 ガラッと脱衣所の引き戸が開かれた音がし、すぐにバスルームの扉が乱暴に開かれた。

 眼を吊り上げ、夜叉の顔で現れたのはレーコだ。


「この下着についている女の匂い、誰よ?!」


「えっ?」


 俺は一瞬、何を言われているのか解らなかった。

 下着に女の匂い?何の事だ!

 レーコは俺の下着を突き出した。


「しかもこの匂いは人間の女じゃない。サキュバスね?」


 そう言われて、ダンジョンの中で最後にサキュバスが、俺に手を触れて来た事を思い出した。

 あの時、彼女は俺の服の下に素早く手を差し入れて来なかったか?

 『サキュバスの祝福』とか何とか言っていたような……


「『サキュバスの祝福』か、これは?さてはダンジョンの中で、サキュバスと浮気でもしてたんだろ!」


 レーコは下着を床に叩きつけた。

 その怒りのオーラが伝わる。


「ちょ、ちょっと待て。落ち着け、俺は何も……」


「この浮気者ーーッツ!」


 レーコの叫びと同時に、バスタブの水が一瞬で凍る。

 その温度はマイナス120度だ。

 だが俺はそれを間一髪で避けて飛び上がる。

 飛び上がるその水飛沫までもが、俺を追うように凍った。


「アナザー・ディメンジョン・ストリーム!」


 俺がそう叫ぶと、俺の背後に渦巻くような暗黒空間が出現した。

 『アナザー・ディメンジョン・ストリーム』、俺の『五つの裏必殺技』の一つだ。

 異次元空間への通路を開き、超引力を引き起こして、狙った相手を異次元空間に封印する技だ。

 だが今は俺が逃げるために使っている。


「待てっ!逃がすか!」


 レーコが左手を上げて叫んだ。

 しかし俺はレーコが追ってくるより早く、アナザー・ディメンジョン・ストリームの穴を閉じる。

 俺は高次元空間に自分を気配ごと封印した。


 ……だけどレーコの事だ。たとえ高次元空間だろうと、俺を見つけて追ってくるだろう……


 こんな時のために、俺は家の地下を別空間を繋げて、専用のダンジョンを作っておいた。

 家とは直接は繋がっていないため、レーコもすぐには気付かないはずだ。


「ポータル」


 俺は短く呪文を唱え、地下ダンジョンに転移した。

 俺が作った地下ダンジョン。

 ここには様々な『対レーコ用』の仕掛けが施してある。

 俺が見つかるのは時間の問題だが、ここならまだ彼女に対抗できるかもしれない。

 だが想像以上にレーコがココを嗅ぎ付けるのは早かった。


「いつの間に家の地下にこんなモノを……タダオ、出てきなさい!いつまでも逃げ隠れなんて出来ないわよ!」


 レーコの声がダンジョンに響く。


 ……マズイ、レーコはかなり怒っている……


 俺は一つの部屋に入った。

 そこには五十体以上の人形があった。

 顔は全て俺に似せている。


「人は土より生まれて土に返る。土は万物の素なり。我が力によってマナに目覚めよ。リー・カールデ・ゾ・ゴーレム!」


 俺が唱えた呪文により、周囲にマナによる光の魔法陣が発生する。

 すると五十体の人形は、全て俺の姿となって目を開いた。


「タダオ・ナミノの名によって命じる。レーコ・リリエル・アクアマリンの進路を妨害せよ!俺に近づけるな!」


 俺ソックリの姿をしたゴーレム達が、部屋を出てダンジョンの中に散っていく。

 ゴーレム達とは逆に、俺は秘密の部屋に向かった。

 さらに下の階層に逃げ込むのだ。

 だが俺が秘密の部屋の入り口にたどり着いた時だ。


――ハアアァァァ!――


 魂の底から凍りつくような魔波動が伝わってきた。

 俺の『視界の野』にいたゴーレムが、一斉に崩れ落ちる。

 おそらく他のゴーレムも全て同じように破壊されただろう。

 俺は戦慄した。

 元よりゴーレムごときにレーコを止められるなど思っていない。

 『俺の姿をしたゴーレム』を叩き壊す事で怒りが発散され、彼女が落ち着く時間を稼ごうとしたのだ。

 だが『レーコの怒りの吐息』一つで、この階層のゴーレム全てを破壊するとは!

 俺は秘密の部屋に入ると、そのまま下の階層に降りていった。


 この階層は今までの『石造りのダンジョン』ではなく、洞窟と溶岩で出来た『灼熱の階層』だ。

 しかしレーコは『炎と氷の魔女』と呼ばれていた。

 まったく相反する二つの特性の魔法を自由自在に操るのだ。

 そんなレーコに、どこまで通用するか。

 それでも俺がこの『灼熱の階層』に逃げ込んだのは、ある理由があったのだ。

 俺は岩だらけの洞窟と流れる溶岩流を避けながら、必死にダンジョンの奥へと逃げた。


 真っ赤に焼け爛れた岩を回った時。


「どこに行くつもりなの?タッ君」


 正面の灼熱の岩の上に座っていたのは、レーコだった。


 ……まさか、いくらレーコとは言え、この次元的に異なる絶対結界で仕切られたダンジョンを先回りするなんて……


 俺は信じられない思いで彼女を見つめた。

 灼熱のダンジョンの中で、彼女の目だけが絶対零度のように冷たく光る。

 魂が引っこ抜かれそうな目で。

 だが俺の生存本能が瞬時に正気を引き戻す。


「フレイム・オブ・ファイヤー!」


 俺と彼女の間に、高温の炎の壁が吹き上がる。

 四千度以上の高熱の壁により、周囲の岩がドロドロと溶けていく。

 その隙に俺は今来た道を戻って、岩陰に隠れた。

 隠し持っていたポーチの中から、一枚のカードを取り出す。

 今日ダンジョンで捕獲したイーフリートの『パッケージ・カード』だ。

 どんな時でも一つは武器を持つ、そんな冒険者の習性がここで役に立った。


「出ろ、イーフリート!」


 そう叫んでカードを投げる。

 カードが光り輝いたかと思うと、光の粒がある形を作り、イーフリートの姿になった。


「ハアァ、やっと出られたか?貴様、よくもワシをこんなカードなんぞに閉じ込めてくれたな?この屈辱、倍にして返してくれるぞ」


 イーフリートは凶悪な目付きで俺を睨んだ。

 カードに封印して数時間。

 やはりまだ俺の言う通りには動かないようだ。

 だが今の俺には、そんな事に構っているヒマはない。


「イーフリート、あの炎の壁を越えてくる女を、ここで足止めするんだ。俺が逃げる時間を稼げ!」


「何を言う。貴様がなぜワシをカードから出したのかは知らんが、先ほどの戦いの続きをやろうではないか。幸いな事に、ココはワシにとって都合の良い戦場のようだ」


 イーフリートは周囲を流れる溶岩を眺めながら、満足そうに言った。


「戦いの続きなら後でいくらでもやってやる。だから、今はレーコの足止めをするんだ。いいな!」


 俺はそれだけ言うと、さっそく逃げ出そうとした。


「ワシを恐れ、逃げ出すと言うのか?仲間の手助けなしでは、ワシに立ち向かえないと言うのか?」


 イーフリートがそう叫んだ時、炎の壁がまるでカーテンのようにスッと開いた。

 そこを悠々とレーコが歩いてくる。


「イーフリートか」


 レーコはつまらなそうに、そう呟いた。



>この続きは、明日(12/4)7:18に投稿予定です。

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