第四話 薫のゆくえ

 大学の冬休みはとうに終わっていたので、京都に帰った次の日から大学へ通い出す。母はああ言ってたけど、退学届けは出されていなくて一応安心した。


 スマホも、宅配便で戻って来た。手紙も何も入ってなかったけど。なんとなく、母の気持ちはわかった。


 認めたくないけど、ここにいることは認めるという意志が。


 月末からは、期末試験が始まる。レポート提出や試験勉強に追われ、薫と会わずに一週間がすぎていた。


 夕食後、試験勉強をしているとスマホがなった。画面を見ると一色さんからだった。


 一色さん……何の用事だろう。もう婚約はなしになったと聞いてるだろう。やはり本人の口から理由を聞きたいってことかな。


 人差し指が、震えるスマホの画面をなかなかタップできない。


 私みたいなのが、お断りするってかなり失礼ではないだろうか。いやいや、電話に出ない方が失礼だ。


「はい」と受けた途端、一色さんの取り乱した声が聞こえてきた。


「薫そこにおる? 雪深さんといっしょやない?」


 意味の分からない矢継ぎ早の質問に、たじたじになりながらいないと答える。


 でも、どうして薫の名前? 一色さんと薫って知り合いだったの。そんなことをゆっくり聞ける雰囲気ではなかった。


「おらんようになったて、薫の兄貴から連絡きたんや。バイトにいってない、今まで時間きっちり守ってたのに。どこかで事故にでもおうてるんちゃうかて」


 切羽詰まった一色さんの言葉を聞いて、スマホを強く握りし考える。

 今日、大学で薫を見かけなかった。見なかっただけで大学には来てたのかもしれない。


 あわてて私も探す、と一言いって切ろうとしたら、一色さんにとめられた。


「白状するけど、あの画像薫がとった。どうしても信長が許せんかったんや。だから薫に会っても怒らんといて。許すかどうかは、薫の話聞いてからにしてやって」


 また、この人も私のわからない話をする。アルが兄上だと、薫と一色さんは知ってるってことなの。


 あなたは何者ですか、と言葉にしようとしたら一色さんはもう電話を切っていた。

 薫を探し出して、本人に聞くしかない。どんな答えが返ってくるか想像もできないけど。聞かないわけにはいかない。薫は私の大事な友だちなんだから。


 今日薫を見かけたか大学のグループラインで聞こうと、緑のアイコンに指がのびたけど、その指先がピタリととまった。


 何時も眺めるだけのグループライン。この中の人たちは私にとって、情報という観念だった。

 あまり関わりたくない。でも、大学に関する情報はほしい。


 そんな都合のいいとこどりで、複雑な人間関係から逃げてた。

 薫さえいればいいと思って。でも、今はその頼りの薫がいないんだから。私は薫からも自立しないといけないってことだね。


 初めて、メッセージをいれた。

 既読はあっという間に増え情報が入って来る。今日薫を見かけたという人が多数いた。


 そして、図書館に六時までいたという目撃情報が入った。図書館は十時まで開いている。まだいるかどうか聞いてみたら、六時半に正門を出て行く姿を見た人がいた。


 今は八時、まだ大学の周りにいるだろうか。それともどこかで暇をつぶしている?


 私はコートをひっつかみ階段を駆け下りる。リビングでは外面はシニア、中身は二十五歳がスマホをいじっていた。


「どこ行くんや、もう外は真っ暗やで」


「ちょっとコンビニ!」


 いま悠長に説明なんかしてられない。一番応用がきく返事をする私に、息子は「きいつけやあ」と間の抜けた声をかけてくれた。


 自転車に飛び乗る。あてもなく走ってもしょうがない。大学方面へこぎながら薫の立ち寄りそうなところを考えた。


 六時半に大学を出たという事はお腹が減っているはず。時間が潰せて食事ができるところはカフェ。そこまで考えて、あの一色さんといったカフェを思い出す。


 あそこを一色さんに教えたのは薫だろう。私といったとき本好きな薫は、すごく気に入り、ここでゆっくり本を読みたいと言っていた。


 冬の夜、白い息を吐きながらカフェにたどり着いた時には、うっすら背中に汗をかいていた。もう閉店時間はすぎている。ちょうど外の看板を片付けに出てきた店員さんに、薫の事を聞いた。


「髪の長いきれいな女の人やったら、食事してしばらく本読んではったけど、七時半ぐらいにここ出ていかはりましたわ」


 私は礼を言い、再び自転車で走り出す。まだこの辺にいるかもしれない。地下鉄までの道をたどったがいない。


 もう地下鉄に乗っているかもしれない。でもなんとなく、家には帰っていないような気がした。


 薫は見つけてほしいんじゃないだろうか。兄上を知っているんだから、私が勘十郎だと知っているだろう。


 薫が誰だか気づきもしないで、のほほんと私は薫の隣にいた。だから、薫は怒っている。

 考えろ! 薫が誰なのか。答えは私の中にある。


 勘十郎は薫に気づいていたのかな。勘十郎にきいてみる? だめだ、私がちゃんと見つけなきゃ。薫は私の大事な友達なんだから。


 勝ち気で男前な性格の薫は、いつもそばにいてくれて私を守ってくれた。

 ふっと脳裏にある人物の顔が横切った。兄上と勘十郎、その人の接点。点が線になり、一つの光景がまざまざと蘇る。


 そうだ、三角デルタ。時をかけた邂逅の場所。あそこかもしれない。


 今出川通りを東へ走ると、川音が聞こえてきた。加茂大橋の上から河原を見下ろし、人影を探す。外灯が少ない河原に目をこらすが、よく見えない。自転車をおき、ライトを取り外し河原へ降りた。


 冬枯れの桜並木の下、ライトと昇る黄色い月の光を頼りにさがす。長い髪に月の光が反射している、うつむく人影を見つけた。


「薫!」と呼びかけると、ハッとしたようにこちらを向いた。


「こっちこんといて!」


 薫の拒絶に、走り寄ろうとした足がとまった。探してほしいなんて私の思い違いで、薫は私も恨んでいるんじゃないだろうか。立ちすくむ私に、声がかかる。


「うちが誰かわかるんやったら、名前読んで」


 鬼ごっこをして、見つけてもらえなかったすねた子供のような声。ごめんね。今までわからなくて。ずっとそばにいたのに。

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