第二話 帰京?

 名神高速道路、京都東インターから京都へ入り烏丸五条を右折し、北上する。丸太町通りを左折して堀川通りを上がる。もうすぐ西陣。


 やっと帰って来た。京都を離れていたのは二週間ほどだけど、もうすべてが懐かしい。まさに、帰京。


 帰京という言葉は、都がうつった明治以降東京に帰るという意味。だけど、ここ京都ではいまだに、京都へ帰る事を帰京と言う。


 ちなみに、上京という言葉は京都へ行くだと信じている人も多い。


 生駒商店の駐車場にポルシェを止めて、アルと二人、土田家の前に立つ。今日は日曜日なのでリンカネーションの看板は出ていない。


 格子戸をあけ大きな声で「ただいま」と言った。

 町屋特有の歴史が刻まれた、古い木材の匂い。三和土たたきから匂うしけった石のにおい。大きく深呼吸し、胸いっぱいに吸い込んだ。


 すると内玄関はすごい勢いで開かれ、光流くんが飛び出してきた。


「ゆきちゃん、おかえりー。もう帰ってこうへんかと思った」


 そのまま抱きつかれたのだけど、前より少し身長が伸びているような気がした。


 奥からどやどやと、次々狭い内玄関から人が出てきた。

 竹さん、亀じいちゃん。市香ちゃんにおじいちゃん。私の帰りを待っててくれたのか。みんなの顔を見たら、泣けてきた。アルの顔を見ても泣かなかったのに。


 恥ずかしいから顔をおおってうつむいた私は、あっという間にみんなに取り囲こまれた。


「いやあ、そんなん泣かんかて、ここはゆきちゃんの家やし」


「そうや、いつまでもここにおったらええ。嫁にいかんでここにおったらええねん」


「ありがとう、竹さん、亀じいちゃん。お母さんに言いたい放題言って出てきちゃった」


 二人のあたたかみのある京ことばに、張りつめていた気がゆるんでいく。つかえていた胸のしこりがポロリと口からこぼれた。


「貴美子のことは気にせんでええ。あの子も玉の輿にのったはええけど、ずいぶんつらい目みたんやし。後で、電話しとくわ。昔から姉さんには言いにくいことでも、うちには言うてくれたんや。大丈夫やゆきちゃんまかしとき。フオローしとくから」


 ありがとう、竹さん。それフォローのことね。おばあちゃんは厳しいくらい真面目な性格してたから、楽天家の竹さんの方が言いやすかったのかなお母さんは。


 竹さんに言われたら、お母さんもあきらめてくれるかな。そうだといいな。楽観的すぎるかもしれないけど、お母さんを信じてみよう。


 私が何事も自分で決められないグズグズした子じゃなくなれば、お母さんも態度を変えるかもしれない。私を信用してくれるかもしれない。


 涙をアルから返してもらったハンカチでふき、顔をあげる。


「お母さんにたんか切ったの。学費も生活費もいらないから自由にするって。だからまずバイト探さないと」


「そんなら、生駒商店でバイトしたらええわ」


 亀じいちゃんの提案を横からアルがかっさらう。


「いえいえ、僕のアシスタントに雇いますから。雪深最近、建築に興味出てきたって言ってたでしょ」


 そんなこと言った覚えないんですけど。

 市香ちゃんがアルの提案を無視して言う。


「そうや、ゆきちゃんリンカネーション手伝って。私、夏には出産するから」


 この言葉に目が点になる……夏に出産ってことは、赤ちゃんができたってこと?

 驚いているのは、アルと私だけ。他のメンバーは知ってるみたい。


「もうすぐ三ヶ月なんやて。年末から食べ過ぎて胸焼けするゆうてたん、つわりやったんや。ほんまこの子は横着おうちゃくやさかい」


 竹さんが、頬に手をあてため息をついた。


「ミツヒデは、妹がほしい。そんですっごい甘やかすんや」


 光流くんが、まだ生まれぬ妹を夢想してキラキラした目で言った。

 それ、ちょっと困ったお姫様に育ちそうな気がするんだけど。まっ、いいか。


「お店、出産したら一時休業しようか思てたんやけど、ちょうどゆきちゃんの夏休みに重なるやろ。お店頼むわ」


 生駒商店やアルのアシスタントより俄然、リンカネーションの方が魅力的だ。でも、いきなりお店まかされても。自信ない……。


「私にできるかな。商品管理ぐらいはできるけど……」


「夏までは土曜日と夕方だけでええし。ネット販売をお願いしたいねん。妊娠してなんか目がしょぼしょぼして」


 それって、老眼? そう言いかけて市香ちゃんに睨まれた。


「お店のこと徐々に覚えていって。私も今回はつわりひどいし、ゆきちゃんに手伝ってもろたら助かるわ」


 自信ないって言葉を心の中で打ち消す。ダメダメ、そんなんじゃあ。

 私は前に進むって決めて、アルの腕へ飛び降りたんだから。


「夏までに仕込んでください。よろしくおねがいします」


 そう言い私は深々と頭をさげ、おじいちゃんを見る。


「おじいちゃん。これからはちゃんと生活費も入れるから受け取って。お母さんにちゃんと自立する、って言ってきたんだから」


 顔中しわしわにして、おじいちゃんは首をこくこくと縦にふって、アルを見る。


「アルはん。ほんまおおきに。雪深を連れ戻してくれて。わしが出て行ったら貴美子とひと悶着起こすとこやった。ほんまおおきにいい!」


 そういうと、がばっとアルに抱きついたのだった。アルは老人とのハグなのに、なぜか愛しそうに、背中をとんとん叩いている。


 んっ? おじいちゃんと妙に距離が近いな。今回の件で前から近かった距離が、より縮まったのだろうか。


「アルさんと帰って来たってことは、ゆきちゃんプロポーズ受けたわけ?」


 感動のハグから一転、市香ちゃんが余計なことを言う。

 なんでプロポーズのこと知ってるの? 私の心の声に市香ちゃんは、ご丁寧に答えてくれる。


「光流が言うてたもん。アルさんがプロポーズしたみたいやけど、敵やないって。なあ」

 そう言って光流くんを見る。


「結婚したら料理は僕がするからってアルが言うてた。でも、ゆきちゃんが一番好きなんはミツヒデやし」


 そういえば、植物園で男性二人に挟まれ、けんかはやめて状態だったことを思い出す。幼稚園児は、ママ命。すべてのことが筒抜けとは。口止めしておくべきだったのだろうか。


「どういうこっちゃ。二人は兄妹みたいなもんちゃうかったんか」


 アルに抱きついていたおじいちゃんがゆっくりと体を放し、アルをすごい目で睨んでいる。


 弾正家の呪縛はとけたとはいえ、孫の悪い虫は、アルはんでもやっぱりダメだったか。


「まあまあ、落ち着け兄貴。また日を改めて食事会でもしようやないか。正月もゆきちゃんおらんでさみしかったし。さっ、おまえら帰るで。後のいざこざはうちに関係ないし、ほな」


 魔法の言葉「ほな」で号令をかけると、亀じいちゃんファミリーはとっとと逃げていった。

 そんな、この状況で私だけおいていくの、ひどくない? 


 争いの種をまいた市香ちゃんだけでもいてほしかった。いやいや、そんな自分のことは自分で解決しないと。それが自立の第一歩だ。


 何とか、二人の間に入ってことを治めないとって……。できるかな?

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