第四章 おもう

第一話 揺れる車内

 地をはうように走るポルシェの中、エンジンの重低音を子守唄替わりに、振動する狭い車内をゆりかごにして私は眠っていた。

 やっと京都に帰れる安堵と、弾正家からの解放感、一抹の罪悪感を胸にして。


                  * 


 きっと私は夢を見ているんだ。

 目前にははなだ色の直垂を着て、侍烏帽子さむらいえぼしをかぶった若武者が立っていた。


「勘十郎なの?」


 その若武者は静かに首を縦に振った。

 クールな兄上の美貌とはまたタイプが違う美形に、ほれぼれと見ほれる。やんちゃな雰囲気を醸し出した華やかなイケメン。

 つくづく織田家は美形の家系だ。


「雪深、あの家を出られてよかったが、本当に兄上の手を取っていいのか」


 私は微笑みながら、首を縦に振る。


「あなたが殺されたという事実は覆せない。でも、今生きている意味は過去を嘆くためでも、過去を清算すためでもない。未来に歩いていくためだと思う」


 華やかな顔立ちに少し寂し気な影がよぎり、薄く笑う。


「もう、俺は必要ないな」


「私たち、混ざり合うの?」


 アルは、兄上の人格のままではない。覚醒してから、兄上といっしょだなあと思う事や、違うと思う事も。


 アルの中に兄上の片りんを見つけるたび、胸が懐かしさで締め付けられる。懐かしく思っているのは、私ではなく、勘十郎なんだ。私の中へ確実に、勘十郎が戻ってきている。


「さあな。離れていた時間が長すぎた。それにしても少々疲れた。兄上の相手をするのはしばし休もうと思う」


「もう、困っても助けてくれないんだね」


「助けがいりそうだったら、呼べ。何時でも出てきてやる」


「今までありがとう」


 私の最後の言葉を聞き、勘十郎の姿はかすみのように消えていった。

 さようなら、もう一人の私。あなたの魂は私が継いでいく。あなたの思い、無念はこれからの私の行いによって昇華されるだろう。


 誰かの後をついていくのではなく。誰かの指示にしたがうのでもなく。自分の足で精一杯生きていけば、きっと、勘十郎は私の中で生きていく。


 そんな私の隣にアルがいることは、許してね。


                   *


 ハンドルを握るアルの横で。雪深の胸が規則正しく上下している。眠っていたはずの雪深がふいに目を覚まし、アルの横顔をみつめた。


「起きたの?」


 そう声をかけたが、しばらく返事はなかった。


「また眠る。最後に言っておくことがある」


 ぼんやりとフロントガラスの流れる景色を見ながら、しゃべっているのは勘十郎だった。


「一色がなんであんな回りくどいことしたのか、わかんねえ。最初から拓人と母親に気に入られてたなら、さっさと婚約すればよかったんだ」


 わざわざ、二人の写メをネタにあの家から出すようなことをしなくても、一色はゆくゆく雪深を手にいれていたはずだった。

 あの家から出したい、つまりアルから一刻も早く引き離したかったということか。


「それは、僕も思った。あの家から出すことに失敗したから、最終手段である雪深の母親を使って、僕から雪深を遠ざけた」

 アルは雇った興信所から、一色の動向の報告を受けていた。


「斎藤義龍なら、兄上の嫌がる事したがるだろうけど。雪深と兄上の関係にあせったか? でもなー自信家のあいつが雪深の男ぐらいで、おたおたしねえと思うし。んー、誰かほかの奴の思惑がからんでる気がするな」


「一色は画像を消したかと聞いたら、消させたと言った。後援会の人間なら消してもらったと言うはずだ。一色と同格か、もしくは目下のものに対する言い方だった。誰か僕らの知らない人間がからんでいる」


 ハンドルを握り、アルが導き出した推論に勘十郎は大きくうなずく。


「なるほど、一人思い当たる奴はいるが……」


 思わせぶりな勘十郎の言葉に、アルが食い気味で聞いてくる。


「誰だそれは」


「まっ、誰でもいいじゃん。あいつなら雪深にひどいことしないだろう。兄上のことは憎んでるだろうけど。もう俺知らね。後はよろしく」


 弟に珍しく向後を頼まれ、別れの予感がアルの胸に染み入る。


「もう、会えないのか?」


「俺にまた邪魔されたいわけ」


 滑稽にゆがむ青い目を、ちらりとアルはわき見する。高速走行するポルシェのハンドルを、強く握りなおした。


「邪魔は嫌だけどこうして話していると、過去にすごしたかった時間を、今取り戻しているような気がして、楽しかった」


 勘十郎は一度ゆっくりと瞼をとじ、再びアルの横顔を見る。


「そんなのまやかしだ。都合のいい、二度目のやり直しなんかねえんだよ。もう俺らは死んでるんだから。おまえは、兄上であって兄上じゃない。じゃあな、アル」


 それっきり、雪深は京都に入るまで、目を覚まさなかった。

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