第十三話 前世の記憶 五

 体が熱い。焼けるように熱くて痛い。

 あれっ? なんで熱いの。私、アルのほっぺにキスしてたのに。でも、この熱い痛みは覚えている。


 兄上に殺された時の痛み。身も心も滅ぼされた痛み。四百五十年たっても忘れられない痛み。


                   *


 体から血が流れ出し、死へいざなう激痛が全身を支配していた。

 薄れていく意識を必死にこの世につなぎとめながら、勘十郎は思考する。 


 これで終わりか、もうすぐ生まれる子の顔も見られないとは。その子も無事成長できるかどうか。男子であれば謀反人の子として殺されるだろう。

 それにしてもあいつら、お館さまの弟君だからとためらったな。


 左肩と右の脇腹にうけた刀傷は、急所から少しばかりずれていた。

 勘十郎は重い病に倒れた兄を見舞うよう母に説得され、この清州城を訪れ北矢蔵天主の次の間に通された。そこに兄の側近、池田恒興と河尻秀隆が抜き身の刀をかまえ踏み込んできた。


 脇差一本で勘十郎は防戦するも、あっという間に壁際に追い込まれあっけなく切られたのだった。壁に寄りかかり虫の息の勘十郎に、河尻は止めを刺すべく刀を振り上げた。


 ゴトン。何か重いものが床に落ちる音がする。二人はさっと勘十郎から身を引き、片膝をつき頭を垂れた。うなだれる勘十郎の視界に、白い単衣がうつり込んだ。


 なんだ。仮病だったのか。母上は知っていたのか知らなかったのか。


 鞘を床に打ち捨て、脇差をだらりと下げた兄が一歩また一歩とゆるりと近づいてくる。その切っ先を勘十郎の心の蔵にぴたりとあて、片膝をついた。


 ああ、それでいい。お館さまの同腹の弟君は、家臣の手にかかるなんて惨めな死であってはならない。お館さま自らとどめをさすのがふさわしい。


 切られてより頭に鳴り響く耳鳴りのむこうから、地をはうような静かな声が聞こえてくる。


「なぜ、二度もわしを裏切った」


 いまさら、そんなことを聞くのか兄上。

 血がしたたる口のはしを勘十郎は皮肉気につりあげる。兄の問いに答えてやりたいが、つりあげることしかできない。


 織田の身内にも敵を抱え込み、誰が裏切るかわからぬ状況で跡取りを守るためと、父がうつけのふりを命じた。その命を知るものは少なかった。


 そのうつけよりましだと俺を跡取りにおす声を聞いたから。


 ボケた父上に、兄上と同じ権限を与えられたから。


 美濃の斎藤義龍が、兄上をなきものにしようと持ち掛けたから。


 そのいずれかを言えば、納得するのか兄上。


 心のうちの回答を声に出さない勘十郎のあごはつかまれ、その裏切り者の顔をとくと見るべく上をむかされた。


 体を焼く熱さは静まり、体中の血が流れだしたことによる体温低下のため、今はただ寒い。


 兄の手がことさら熱く感じた。野を走り回り、手をつないだ幼い時と何ら変わらぬぬくもり。兄の顔も、もうおぼろげにしか見えぬ勘十郎の目の奥に、あのうつくしいもみじの木が色鮮やかによみがえった。


 最後の力を振り絞り、血しぶきをあげながら声を絞り出す。


「地獄で……会おうぞ……あにう…え」


 かすれる声で、兄への呪詛をのたまう。


 裏切りの訳なぞおのれにもわからぬ。ただ、織田の当主としての重責を背負い戦に赴くたび、確実に何かをなくしていく兄の姿なぞ見たくなかった。


 血も涙も通っていない化け物なぞ、見たくもなかった。

 見たくなければ、その存在を消し去ればいい。そう思っただけだ。


 血をわけた弟を手にかければ、兄上の魂には深くいえない傷が刻み込まれるだろう。その傷をかかえ、修羅の道をゆけばいい。俺は、地獄でとくと見ていよう。


 その傷に導かれ、再び相まみえる時、俺は兄上をこの手で殺すか、抱きしめるかはたしてどちらを選ぶのか。


 兄はあごをつかんでいた手をはなし、勘十郎の頭を胸にかき抱く。


「待っておれ、すぐにわしもゆく」


 遠のく意識にくさびを打つがごとく、ささやかれた言葉。と同時に胸にもくさびが撃ち込まれた。全身を後ろに引っ張られるほどの力が胸をつらぬく。


 真っ白な単衣に血しぶきが飛び、その赤いしみにかぶさるように一滴の水滴が落ち灰青色のしみをつくった。

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