第十二話 キス
「あー、三嶋亭のお肉めっちゃおいしい」
市香ちゃんが、たっぷり玉子にくぐらせたお肉を一口で食べる。
「いつもはかしわのすき焼きやけど、今日はあるはんの快気祝いとクリスマスイブやしな。奮発したでえ。おじいちゃんからのクリスマスプレゼントや」
「鶴じいちゃんありがとう。ミツヒデ、牛さんのお肉大好き」
クリスマスイブなのに、鳥ではなく牛を堪能していた。
また今日も勤務の柴田さん。消防士には、盆も正月もクリスマスも関係ないので、市香ちゃんたちとクリスマス会プラス快気祝いの流れとなったのだ。
「みなさんありがとうございます。土田さん、さっ飲んでください」
アルがそう言って、おじいちゃんに持参したお酒をついでいる。私は今日部屋の契約を終えるはずだったのに、なぜか流れてしまい、一色さんからメッセージがきた。
――親父に、怒られました。余計なことするなって。雪深さんもう気にしないでくださいね。画像もけしたから。またお会いしましょう。
たしか、不動産屋さんまでいって……。
そこで電話がかかってきて、何かアルから恥ずかしいことを言われたような。夢だったのか。それとも、誰かが助けてくれた?
あまり深く考えない方がいい。今日はクリスマスなんだから。余計なこと考えない。
というか、考えてはいけない。これ以上、思い出さないように。
すき焼きでおなかいっぱいでも、ケーキはベツバラ。市香ちゃんが、持ってきたジュヴァンセルのケーキを食べていると、アルが光流くんにプレゼントを渡した。
大喜びする光流くんが、さっそく開けるとポルシェのミニカーだった。そうだ。お子様にはクリスマスプレゼントは必須アイテム。ここ数日の鬱々とした気分により、世のクリスマスムードから完全に離脱していた。
「ごめんね、私プレゼント用意してなかった」
そう申し訳なく言うと、光流くんは私の前にとことこやってきて、
「じゃあ、ゆきちゃんキスちょうだい」
というが早いか、私の唇にキスをした。
「わーい。ママ以外の人と初めてキスした。ミスヒデのファーストキスやあ」
お酒が入り陽気なおじいちゃん、それに五歳児のキスなんてなれっこの市香ちゃん。二人はやんややんやの大盛り上がり。
今のって、私が奪ったの?
それとも奪われたの? ていうか、私もファーストキスなんですけど……。
唇に残る甘い感触。どうしよう、ドキドキする。
待って雰囲気に飲み込まれるな私。甘いのはあたりまえ、さっきケーキ食べてたんだから。
ここで大騒ぎしてはならない。五歳児と同じレベルだ。大人の余裕の笑みを浮かべないと。
ギッギッギギ……。
さきほどファーストキスを終えた唇を無理やりあげる。そこで、となりから凄まじい殺気を感じ、こわごわ目線で隣を確認。
アルも無理やり大人の笑みを演出していた。
夜九時をまわった。クリスマスパーティーは終わり、片付けもすんだ。酔っぱらったおじいちゃんはとっとと二階で就寝。市香ちゃんは食べ過ぎて気持ち悪いといいつつ、光流くんをつれて帰った。
私は、ぽすぽすとふすまをノックする。
「コーヒー飲みます?」
クリスマスイブなのに、それまで休んでいた分の仕事が山盛りらしく、事務所にこもって仕事をしていたアル。パソコンを前にして振り向きもせず、返事をする。
クリスマス命のスペイン人なのに社畜かよ。
それに、なんだこの重苦しい空気。机にコーヒーをおいて部屋を出るかどうか思案に暮れる。二人っきりになれたのって、お泊り以来なのに。
お見舞いにいった記憶はあんまりないし……。
「そこに、座って」
私の顔を見ずに言う。しぶしぶ座りうつむく。その視界にブルーの小箱が差し出された。
「雪深にも、クリスマスプレゼント」
驚いて見上げたアルの顔色が、明るいのでほっとする。怒ってたわけじゃないんだ。リボンをはずし、箱を開けるとつまみ細工でできたイヤリングが入っていた。
先がとがった八枚のブルーグレーの花弁。冬の星のようなお花の下には涙型のパールビーズが一粒。
かわいいと喜ぶと、つけてあげると髪をかき上げられた。冷えた耳たぶに指先の熱がつたわる。見つめられる目線から、逃げるように視界を下げた。恥ずかしさを通り越した高揚感に胸がうずく。
「ごめんね、プレゼント用意してない」
五歳児に言った同じセリフを言う。
「じゃあ、キスを」
やっぱりそう来ますよね。そうですよね、そりゃそうですよ。
私は覚悟を決め、目を閉じる……。
あれっ? しばらく待っても何にも来ないんだけど。
「プレゼントなんだから、雪深からして」
はあ? ファーストキスもまだ知らぬ乙女からしろと? いや、さっき済ませたんだった、私の初キス……。
やっぱり怒ってたんだ。というかまだ怒ってるんだ。なにこの大人げない反応。でも、そのヘーゼルの瞳に見つめられると、あきれよりもテンパリが先行して脳内がフリーズしかかる。
その瞬間。
「ごめん、待って。頬っぺたでいいからこまらないで。お願いだから出てくるな!」
はっ? 誰に言ってるの。誰かいるの。思わず後ろを振り返っても誰もいるわけがない。
私の困惑をよそに、彼はひざまずき、両手を組み私の膝の上におく。それは祈りの姿に似ていた。やましさのない真摯な姿が胸をうつ。
迷える子羊のたくましい肩に手をおき、そっと頬へ祝福のキスを。聖なる夜に幸福を……。
頬から唇をはなす刹那、悪魔のささやきが。
「耳にも……」
終わりじゃないんかい! 難易度があがっとるがな。頬っぺたは挨拶みたいなもんだけど、耳って。何その発想!
もう無理。動機が激しすぎ、せっかく食べた三嶋亭のお肉がこみ上げてくる。
やはり子羊ではなかった魔王の肩から手をはなし、「もうやだ」と反対に許しを請うた。
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