第十四話 母のはからい

「雪深、雪深」


 私を呼ぶ声が遠くで聞こえる。熱い体が熱い。

 胸を刺された衝撃が目覚めを促す。うつぶせに寝ていた体を起こすと、肩にかけられた毛布がずり落ち、石油ストーブの灯油のにおいが鼻をついた。


 私は死んだの? 荒い息をつく私を心配そうにのぞき込む顔。そこに夢の中で私を殺した人の顔が重なっている。なんて悪夢。思わず肩に置かれた手を払いのけた。


 また殺される。いや、怖い……。死にたくない。

 死の瞬間から逃れるべく、勢いよく立ち上がると、椅子は派手な音をたてたおれた。


「うなされてた。あの時のことを思い出したんだね」


 妙に落ち着いた声に、心の底から恐怖を感じた。彼が一歩私に向かって踏み込んでくる。


「来ないで!」


 悲鳴にも似た声を出して拒絶する。いや、もう一度殺される。

 後ずさる背中にふすまがあたった。もう逃げられない。これ以上悲鳴が漏れないよう、口を覆った手が小刻みに震える。


 その手を、兄上は悲しみの色を目に宿し、静かに見おろしていた。


 何を考えているの。彼が私を殺すわけがない。殺すわけがない、今は血で血を洗う戦国の世じゃない。


 そう思っても。絶命の瞬間をまざまざと思い出しては、勘十郎の恐怖と無念が津波のように胸に押し寄せ、あらがう事ができない。

 たまらず、私はアルの前から逃げ出した。


                      *


「市香ちゃんこれ、おかしいよ。数があわない」


「えーそう? そこにあるので全部やけど」


 市香ちゃんのお店は昨日で年内の営業はおしまい。大学も冬休みなので、大掃除プラス棚卸を手伝っていた。


 隣の事務所に人の気配はない。アルは昨日から仕事の商談で東京へ出張。イブの夜彼の手を振り払ってから、その顔を見ていない。


「年末年始はほんま、体重ふえるわあ。すき焼きの次の日は家でチキンやろ。今日は、亀じいちゃんらといっしょにお寿司やし。胸やけがなおらへん」


 そんなこと知らんがな。私はすっかり食欲がなくなったというのに。のんきな市香ちゃんを横目でにらむ。


 作家さんから委託されている作品を、リストと照らし合わせながら在庫のチェックをしているのだが。在庫ありになっているものがなかったり、売れたはずのものが店内にあったり……。


 杜撰すぎる……。これでよく作家さんからクレームこないな。


「大丈夫、大丈夫。清算は品物のタグで管理してるから間違いないって」


「じゃあさあ、このリストにタグを張り付けていった方が早くない?」


「あっ、それいいね。これからそうするわ」


 リンカネーションは作家さんから委託料として、売り上げの三割を頂いている。商品には一点、一点作家名と通し番号、値段が入ったタグをつけてもらっている。


 作家さんは市香ちゃんのお眼鏡にかなった作家さんたち。私の目から見ても結構レベルが高い。だからその分商品も割高。このアンティークの雰囲気を壊さず、他の商品とも値段の差が出ないようにしないと、お店が安っぽくなると市香ちゃんは言っていた。


 アルのブローチも数点を残し売れているみたいだけど、清算はしていない。つまみ細工のブローチを見て、罪悪感を覚えてもどうしようもないのに。


 玄関のチャイムがなった。営業終了をしらないお客さんだろうか。私は戸をあけにいった。がらがらと格子戸をあけると、レンガ色のダウンべストを着た一色さんが立っていた。


「雪深さん。お迎えにあがりました」


 そう言って彼は、細い目をうっすら開けて笑った。


                     *


「ゆきみちゃん、カルタしよう」


「いいよ、雅子ちゃん。好きだねカルタ」


 雅子ちゃんが一枚一枚むきをそろえて畳の上にカルタを置いていく間、縁側から見える庭を眺めていた。広大な日本庭園。正月もすぎ寒さが本格化する季節。松は青々とした枝ぶりを、冬空の下伸ばしていた。


 ここ愛知の弾正家の本宅に来て、何日すぎただろう。


 年末に一色さんが私を迎えに突然やって来た。盆にも帰らなかった娘を正月ぐらい帰宅させたい、母にそう頼まれたと言って。


 なぜ一色さんに頼むのか。わけがわからなかったが、新幹線の時間がせまっているとせかされ、帰省の荷物をまとめ京都を後にした。


 市香ちゃんとおじいちゃんは、突然のことにあっけにとられていた。私はそんな二人に連絡するからと言って家を出てきたのだ。それなのに、あれから一度も連絡できていない。


 東京の家には母が待っていて、一色さんをねぎらい、私へむかって言いはなった。


「雪深、一色さんと婚約しなさい。もうお父さんと拓人は了承してるから。いいご縁よ」


 出たよ、お母さんの無茶ぶり。私の人生すべてをこの人はコントロールする。もう、なんでもいう事を聞く子供じゃないから。


「いきなりそんなこと言われても、こまる。一色さんのことよく知らないし」


「前から拓人と考えてたのよ。一色さんのお人柄を拓人が気にいっていたから。雪深も絶対気に入るって」


 あのホテルに呼び出したのは、一色さんと合わせるために仕組まれたことだったのか。何も裏を読まず、のこのこ出かけた自分がうらめしい。


「よく知らないっていうけど、一色さんにいろいろ相談してたんでしょう? 聞いているわよ」


 聞いているって、何をどこまで? 母の包囲網が徐々にせばめられる。隣で静かに佇んでいる一色さんをちらりと見る。相変わらず柔和な顔をして笑っていた。


「いきなり婚約なんてびっくりしますよね。形式はのちのち整えたらええから。俺の気持ちを知ってもらいたかっただけです」


「こんな娘を気にいっていただけたなんて。親としてはうれしいかぎりですわ」


 私にかわって、母が満面の笑みを浮かべ返答した。やばい、このままでは本当に婚約させられる。そんなの嫌だ。


 アルの顔が脳裏に浮かぶ。少し前までは、私の相手は母が決めるとあきらめていた。でも彼に出会ってしまった、その手を振り払ったばかりだけど。

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