第七話 前世の記憶 参
また私、夢を見ている。
過去の自分におこったことだとわかっている。そして、現世とはなんら関係ないとわかっている。
勘十郎は過去の自分。でも、勘十郎の感情まで、私のものではない。
私は、私のはず……。
これ以上思い出すなと、警告を誰かが胸の内から発している。
その警告もむなしく、堰を切った記憶の放流は誰もとめられない。
*
「兄上は何を考えておられる。兵をひけとはどういうことか」
勇ましい甲冑姿に身を包む勘十郎の前には、単騎でかけてきた兄がたっていた。鎧をつけるどころか、麻の着物に袴をはいただけの姿。
「そのままの意味だが。今身内同士で争うている暇なぞない、というておるのだ。叔父上は謀反を企てたわけではない」
父の死後、相次ぐ家臣の謀反。その陰には駿河の今川の影がちらついていた。
海道一の弓取りと呼ばれる駿河の今川義元は、実質的に尾張の東の隣国三河を併合していた。その勢力は、尾張をも飲み込もうとしていたのである。
「謀反ではなくとも、我らの弟喜六郎が殺されたんだぞ」
「だからあれは、事故だったんだ」
言い争う兄と弟を、家臣たちはただ固唾をのみ遠巻きに見ていた。
昨日のことである。叔父の織田信次が領内の川で家来と共に魚をとっていた。そこに馬に乗った若者が通りかかり、下馬して挨拶もせずいってしまった。
家来は、その無礼な若者へ脅しのつもりで矢を放った。それが偶然にも若者にあたり落命したのだった。
その若者が十六になる二人の同腹の弟、喜六郎。
その話を聞いた勘十郎は、すぐさま叔父のいる守山城へ攻め込み城下に火を放った。
「叔父上はあの城にはもうおらん。出奔された。残っているのは戦う意思のない兵ばかり。それをおまえは攻め滅ぼすというのか」
炎に包まれた城下を見て殺気立つ弟は、冷静な説得に得心するどころか、兄に対して不振を募らせていく。
「では、俺は叔父上を探し出して討つ!」
パシン! 頬をうつ乾いた音が、かがり火に照らされた陣営に響く。周りで見守る家臣たちは、あまりのことに息をのんだ。
頬を打たれ勘十郎の血走る目に、前髪を落とした蔵人の姿が映る。
家臣の面前で頬をうつという武士ならば耐え難い恥辱をしいる兄を、射殺しかねない目で見ていた。
「いいかげんにしろ。喜六郎にも非がある。我らの弟ともあろう者が、供も連れず単騎がけするとは。愚かなことぞ!」
勘十郎をせめる兄の目には、弟を悼む気配なぞ微塵もなかった。その目に頬をはらした勘十郎は絶望する。
「では、誰があやつの無念を晴らすというのか。兄上には、兄弟の情なぞ邪魔なだけか」
己が、甘いことを言うている事は、重々承知している。この乱世で甘さ、すなわち隙を見せれば、生き残れない。
それでも三人で育ったあの情愛にみちた風景を思い出してほしい。身内で争っている場合ではないと、兄上が言うのなら、まず結束すべきは血を分けた兄弟ではないか。
兄弟の情をおろそかにしていない。そう自分に言ってほしい。そうすれば、まだ、俺は兄上の元で戦える。兄上とともに、同じ道を歩める。
しかし、その一縷の望みはあっけなくついえた。
かがり火の光に顔を赤く染めた兄は、ほの暗い笑みをうかべた。
「尾張統一の宿願には、そんなもの何の役にもたたん」
勘十郎は、兄の言葉を拒絶するように、固く目をつむる。
そして、失意のうずがとどろき、兄への憧憬を飲み込んでいく胸のうちに気づき始めたのだった。
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