第六話 賃貸マンション

 荒神橋近く、川端通りに面した四階建ての賃貸マンション。入ってすぐに、六畳のダイニングキッチン。その横に六畳の洋間。


 奥のベランダから外を見ると、鴨川がゆったりと流れていた。


「1DKで家賃七万五千円。共益費五千円。敷金礼金一か月。どうです? これやったら生活費込みで二十万の仕送りでやっていけますよ」


 二日前一色さんに電話した時、一人暮らしの相談をすると仕送り額を聞かれた。そのなかでやりくりできる物件をさっそく探してくれ、今日の内覧にまで付き合ってくれている。


「お休みの日にすいません。つきあっていただいて」


「かまいません。でも、びっくりしましたわ。電話あった時は。この不動産屋うちの知り合いですから、安心してください。保証人は俺がなります」


 マンションを借りるのに保証人がいることを初めて知った。あわてて言う。


「そんな、そこまでしていただくわけには」


「でも、おじいさんには頼めないでしょう」


 まったくその通りだ。おじいちゃんには何も言っていない。言ってないどころか、今日も薫と出かけると嘘をついて出てきた。


 言ったらきっと反対され、出て行く理由を問いただされる。お母さんの養父の存在を隠したい。そんなこと言えない。


 ……うそ、それはたてまえ。


 おじいちゃんはアルのこと気にいってる。だからといって孫のお相手になんて絶対考えていない。


 弾正家の娘は将来、お兄ちゃんの有力な駒になる政治家へ、嫁にやることをお母さんから聞いているのだから。


 私のお相手は、お母さんとお兄ちゃんが決める。昔から決まっていた。


 そう刷り込まれていたけれど、中学で土岐先輩に恋した結果は散々。やっぱりお母さん達が決めた方がいいんだな、とさとった瞬間だった。


 京都に少しでも長くいるために、男の人に近づかなかった。私から近づかなければ、よってくる人なんて誰もいないから。


「敷金礼金合わせて、十五万は俺が出しましょか? 手元にありますか」


「あっ、大丈夫です。今までの仕送りほとんど貯金してるので」


 おじいちゃんに生活費を入れるといったら、そんなもん受け取れん! と断られ月々のお小遣い以外はためてきた。家を頼らず何かをするために。


 それが今なんだろう、きっと。

 不動産屋さんとは、そこで別れ一色さんと鴨川を歩いて家路につく。


「気に入りましたか、あの物件」


「はい、たぶんお願いすると思います。いつまでにお返事したらいいですか?」


「もうすぐ年末やし早い方がええですね。そしたら、一月には入れると思いますよ」


 もう、日にちがないんだ……自転車のハンドルを強く握る。


「部屋から、川が見れたからいいかも」


 間が持たず、適当なことを言う。


「俺はこの川嫌いです。なんせ三条から六条にかけて昔は処刑場やったんですよ」


 私は驚いて、一色さんの垂れた目をうかがった。


「その昔、信長が謀反を起こした家臣一族を六条河原で斬首したそうです。その数三十人弱。女子供も含まれてたとか」


 私の足は、その河原に絡み取られたようにとまった。


「すいません。怖がらせてしもたな。でも、信長はあの比叡山を焼き討ちするような奴ですよ。仏罰がくだって光秀に攻められたんやと俺は思います」


 インフルエンザにかかったのも仏罰でしょうか? 


「雪深さん、京都駅で会った時とだいぶ雰囲気違いますよね。あの時はなんや無理にキャラつくってるみたいで。今の方が自然で好きです」


 私の渾身のキャラ付けってそんなものなのか。何やってもダメな私。こっちのポンコツ雪深の方が好きって、一色さん変わってる。


 鴨川デルタまできた。私は下鴨神社の方を見る。昨日のラインで熱がさがったのは知っているけど、それでも心配だ。


 このまま会いに行きたい。けど、会ったら余計なことを言ってしまいそう。自分が招いたことは、自分で対処しないと。ますますアルから離されるかもしれない。


 あの家を出ることは、逃げじゃない。名誉ある撤退。肉を切らせて骨を断つ?

 とりあえず、世間に騒がれそうなことにならないように。できるだけ、目立たず、こそっとしていれば、アルとのことはバレないはず。


 今までみたいに、毎日アルに会えないけど。全く会えないより絶対いいに決まってる。


「家まで送っていきたいけど、無理ですね。あのマンションにうつったら送らせてください」


 垂れ目が少し開いた一色さんは、静かに言った。


 もう御厄介になることもないのに、変な事言う人だな。契約を決めたらまた連絡くださいと一色さんは言って、鴨川の東へ帰っていった。

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