第二話 雨の音

 決然とした蔵人の声に意識が引っ張られ、私は夢から目をさます。見慣れぬ白い天井にまだ脳裏に残る蔵人の鋭い眼光が重なった。


「蔵人……」


 前世の恋人の名を口に出す。

 

 こんなにはっきりと前世の夢を見るなんて。やっぱり、私前世を思い出したんだ。今までは、夢の中で誰かになっていた意識はあった。でも、起きるとその記憶は胸の底にとけていった。

 

 それよりも、ここはどこだろう。そう思い寝返りを打とうとするが、体が鉛のように重い。頭もがんがんする。その使い物にならない頭に雨の音が反響し不快極まりない。


 頭を抱えていると、ふいに雨はやんだ。しばらくしてガチャっとドアが開く音がする。


「雪深、目がさめた? おはよう」


 アルの声がする。

 なんで彼がいるの? えっ、いま朝なの?


 疑問は頭を駆け巡り、しばらくして落ち着くとだんだん昨夜のことを思い出した。

 そうだ。私お泊りしたんだ。


 こわごわ、声がした方向へ寝返りを打つ。

 シャワーを浴びたバスローブ姿の水もしたたるいい男が立っていた。


 朝から、なんでシャワーなんか浴びてるんだ! 

 思わず上掛けの中に手をすべらせる、昨夜と同じ服を着ていた。


 裸じゃない、よかった……よかったけれども。二日酔いによる記憶混濁で、あまり昨夜のことが思い出せない。


 いたしてないよね……希望的観測を胸にアルを見あげる。

 朝日を受け、濡れた髪をタオルでがしがしとふき、はだけた胸元から引き締まった体がのぞく。その姿に目がまわる。


 なんちゅう、色気だよ。あっ胸毛ない。よかった……。


 いやいやいや、そうじゃなくて。こんなフェロモンあふれかえるかっこされて、私はどこ見ろっていうんだ! いや、見なきゃいいんだ。そうだよ。

 それで目をふせた。


 しかしベッドがきしみ、彼の重みを感じる。やばい逃げよう。そう思って身動きしたら、何を勘違いされたのか、抱き起こされた。


 お願いだからそんなかっこで、甘い空気をまき散らしながら近づかないでいただけますか!


 ていうか、この人女を倒すのも、起こすのも慣れてるな。

 あれっ、てことは、きのう押し倒されたって感じ? 怖い……思い出せない。


 もう、我慢の限界。むりむりむり! 顔を見てはっきり離れてって言ってやる。


 意を決し顔をあげると、彼の顔に夢の中の自信と気品に満ち溢れた、懐かしい顔が重なっていた。


「兄上……」


「そっか、思い出したんだったね」


 なんでそんなこと知ってるの? 疑問が頭をかすめたが、思考は滞留する。


「僕のこと、怖い?」


 寝乱れた私の髪を手ぐしで整えながら、しかられた子供みたいな顔をして聞く。

 怖くないよ、今は……ずるいよ、そんな顔されると、昔みたいにおでこくっつけて瞳を覗き込みたくなる。


 これはあれだな、兄上との懐かしい思い出ではなく、完全にアルのフェロモンにやられたんだな。


 おでこに、濡れ髪の冷たさを感じる。その頬を手のひらで包み込もうとしたら……

 自分の口をおおっていた。


「キモチ悪い……」


 そう言って私は、フェロモン野郎をおしのけトイレへダッシュしたのだった。


                  *


「薫、今日は私のこと見て急に逃げるみたいに帰ったから、怒ってるのかと思って」


「コンタクトの調子悪くて、よう見えてへんかった。ごめんごめん。雪深いたんやな」


 電話の向こうの薫の返答に、心底安堵した。


 お泊りの翌日、アルに買ってきてもらった二日酔いの薬を飲んで、いったん家に帰りなんとか大学に向かった。講義を終えて正門付近で薫を見たのに、無視された。


 これは、やばい。名前を借りるという不正行為に加担させ、気分を害しているのだろう。私は悶々と夜を待ち、薫に電話したのだった。


「よかった。名前借りたりしたから、怒ってるかと思った」


 自室で電話しているが、かなり声をしぼって話している。おじいちゃんは下のリビングにいた。


「時間が迫ってたんや。きょう家庭教師のバイトやったし。そうや、明日は三限でおわりやろ?」


「うん、二限いっしょだよね。お昼いっしょに食べよ」


「わかった。ほな明日」


 薫はそう言ったのに、翌日二限の授業に現れなかった。すかさず心配になりラインすると、風邪をひいたって。最近めっきり寒くなり、インフルエンザも流行って来た。インフルエンザじゃなければいいけど。


 お大事にとスタンプを送っておいた。

 私は、薫がいないと大学ではほぼボッチなので、三限を終えさっさと帰ろうと正門へ向かった。


 その正門にスーツ姿の若い男性が立っていた。ビラ配りでもなさそうだし、誰か待っているのだろうか。それにしても、度胸のある人だ。学生たちは好奇心を隠さず、しげしげと横目で見ながら通りすぎていく。


 そのような男前な方、私に関係ないので視線を下げ通り過ぎようとしたら、声をかけられた。


「弾正雪深さんですよね。俺です。二日前にあった一色です」


 サンタ帽をかぶっていた人だ。あれがないとどこのどなたか……すいません。心の中であやまり、私は挨拶をかわす。

 なんなんだろう。こんな目立つところで待ち伏せするなんて。


「ちょっと、お茶しません? あっ警戒せんといてください。ちょっと話があるだけなんで」


 まったく一色さんとの接点が見つからない。しらない男性とお茶なんかしたくない。しかしこの間いっしょにお茶した仲ではないか。


 メンタルを小学生まで低下させ、不安を振り払う。それでもちょっとした話の内容がものすごく気になる……。 

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