第四話 ストーカー

 アルの胸倉ががっとつかまれ、雪深の顔がまじかにせまる。


「あのなあ、こないだ言ったこと聞いてたか? 行動早すぎだろ」


 雪深の目は、青みがかっていた。勘十郎が雪深の体をかり話しているのだ。


「勘十郎。また会えたな」


「うれしそうに笑うな。ドMか!」


 憎々し気に兄に悪態をつき、雪深の顔をした勘十郎が酷薄な笑みを浮かべる。


「このまま首絞めて殺してやろうか?」


 そう言うと勘十郎は、襟をつかんでいた両手を放しアルの首にはわせていく。


「おまえが望むなら、それでもかまわない」


 首に、細い小指から順にじわじわと力が入れられ食い込んでいく。最後に親指が喉仏を強く圧迫した。

 それでも、変わらずほほ笑んでいる。


「あほくさ」

 そう投げやりに言いすて、勘十郎は手を離した。


「雪深に嫌われてるっていい加減理解しろ」


「抱きしめた相手に嫌われているかどうかわからないほど、うぶではない」


 その余裕の笑みを、毛虫を見るような目をして勘十郎がにらむ。


「ちっ、女になれてやがる非童貞が」


 見た目はすれていない清純な女子大生の口から、とんでもないキラーワードが飛び出した。


「勘十郎、その言葉づかいどうにかならないか。誰かに聞かれたら、雪深さんの人格が疑われる」


「安心しろ、どうも俺は兄上の前にしか出て来れないみたいだ」


「そもそもどうして、おまえの人格が出てくるんだ。覚醒すると前世の人格はゆるやかに現世の人格と融合していくはずなのに」


「呼ばれたのさ。雪深が助けを必要とした時に」


 うなだれていう雪深の顔に、切りそろえた黒髪がかかりその表情は見えない。


「それは中学生時代の不登校の時では?」


 以前より気になっていたことを、アルは聞いてみた。

                  *


「なんでそんなこと知ってるんですか?」


「興信所に頼んで調べてもらった。んっ?」


 ちょっとボーっとしていたら中学の話をいきなりされた。うつむく顔がどんどん真っ赤になっていくのが、自分でもわかる。


「勘十郎ではないのか?」

 あせる彼の言葉に、不信感がますますつのっていく。


「私は勘十郎とかいう人でもありませんし、あなたのこと信長様とも思ってません。もう私に関わらないでください!」


 そう言いはなつと、弁解する彼を無視してその場から逃げ出した。


 もう絶対おじいちゃんにいいつける。興信所に頼んで身辺調査するストーカーだって。ついでにプロポーズされたって言おう。これで絶対私に近づけないはず。


 次の朝通学前、昨晩帰りの遅かったおじいちゃんをつかまえ、あるはんに出て行ってもらいたいと言った。さすがにストーカーは言いすぎかと思い。若い男性が家に出入りするのが嫌だと、すごく遠回しに。


「あー聞いてるで」


 驚くわけでもなく、しれっと言う。

 へっ何を? まさか自らストーカーを告白したの?


「なんやしつこくいろいろ聞いたら、嫌われたて落ち込んでたで。あるはん」


 ここで私をじっと見る、老人のつぶらな瞳。


「雪深は今まで他人とは深い付き合いしてこんかったやろ。まあ家のこともあるし。どこで足取られるかわからん世界や政界ゆうとこは。でもこれを機会に一歩すすんだらどないや」


 一歩すすんでどこに行けというのか……いったい何を吹き込んだんだ。


 恐るべし、戦国武将の人心掌握術。善良な老人の心を操るなんて、赤子の手をひねるぐらいたやすいってことか。それにしても、あの後何時おじいちゃんにいったのやら。仕事がはやい。はやすぎる。


 ダメだ、おじいちゃんでは話にならない。


 夕方大学から帰宅してあるはんが部屋にいないことを確認すると、お店にまだいた市香ちゃんにせつせつと訴えた。


「ゆきちゃんの気持ちもわかるで。女子高育ちで男の人になれてへんのは。でももう女子大生や。そろそろなれな」


 えっ、ひょっとしてこっちも調略済みですか。


「朝からアルさんが荷物の搬入でここ出入りしたはったら、それ見たお客さんが次々入ってきはってな。イケメン効果は抜群や。おまけにここで施主さんと打ち合わせするから、お店に興味持ってくれるんやないかって、あるはんが」


 まだ見ぬお客さんへ熱いラブコールをおくる市香ちゃん。

 どうも、私一人がまんすれば丸く収まる流れになっている。もちろんその流れをつくったのはあの信長様。


 だめだ知略が高すぎる。一凡人が太刀打ちしようなんて正気の沙汰じゃない……。


 ここは、編み物でもして、心を落ち着けよう。

 戦いに敗れた私は二階へ。おばあちゃんの段ボールをしおれた気持ちで開けた。


 中には、手芸の道具が雑多に入っていた。棒針やかぎ針。号数がいろいろそろっている。使えるもの使えないものに分けていくと、なんに使うかわからないものが出てきた。


 直径が二〇センチほどの木の輪っか、同じものが二つ。刺繍枠でもなさそうだし。市香ちゃんに聞いてみようと再び階下へ。


「あーこれ、かばんの持ち手や。布のかばんでも、編み物のかばんでも使えるわ」


「編み物でも使えるの?」


「この輪っかごと編みくるんでいくんや」


 編み物のバックに木の輪っかハンドル。すごくかわいいかも。でも、いっしょに編みくるむなんてそんな高等テクできる気がしない。そういうと、


「出来上がってから、本体につけるやり方もあるわ」


 それならできそう。簡単な編み方を聞いてみる。


「毛糸で編むなら裏地つけな伸びるし、かといって麻ひもは手がいたくなるしなあ」


 荷造り用の麻ひもをつかって、バックを編むのが流行っている。

 麻ひもはとっても硬いので編むのに苦労するそうだ。それによっぽど慣れていないと、目がそろわないとか。


「そうや、合皮のニット用バック底があったはず」


 市香ちゃんはすばやく、ネットで検索してくれた。

 合皮素材のバック底はいろんな形があった。丸に楕円、四角など。縁に編み針を入れる穴があけられている。


「これ使ったら、底が伸びるという事はない。細編みで編んだら毛糸でも裏地いらんわ。作るんやったら、今注文したげるで」


 バックなんて大物作ったことないけど、細編みだけでできるなら私でもできそう。とにかく今は何かを夢中でつくりたい気分なのだ。この鬱々とした気分を、少しでもあげなければ。


 ここでぐずぐず迷っていると、きっと編まないだろう。材料だけでも買っておけばいつでも編める。私はこげ茶の円形を注文してもらった。


「後は糸やな。隣でなんか半端な糸もろておいで。極太の毛糸やったら大丈夫」


 さっそく明日行ってみよう。

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