第三話 部屋、貸そうおもうねん

 糸を二回左の人差し指に巻き付ける。できた輪を指から外し、その根元を持つ。輪の中にかぎ針を入れ、糸をかけて手前に引き出し鎖を編む。


 もう一度輪にかぎ針を入れ引き出す。針に二本糸がかかっている。今度は手前から糸をかけ、二本の糸の中から引き抜く。これで細編み一目完成。


 同じ要領で細編みを六目輪に編んで糸端を引き絞り一段目。くさり編みを一目立ち上げて、今度は十二目編み二段目完成。


 日曜日の何もすることのない午後。私は久しぶりにかぎ針を持つ。


 市香ちゃんに糸をもらって、練習のつもりでお花のモチーフを編み始めた。不揃いの編み目を窓の光に透かし、糸をひっぱりすべてほどいた。


 あーブランクが開きすぎたかな。練習しないと、そろった目が編めるまで。


 昨日、気づけば家の前まで帰ってきていた。横には彼が立っていて別れ際、「僕を信じてください」と一言いった。


 信じるも信じないも、精神安定上あれは夢だったと思い込むことにした。


 もし、仮にたとえば、本当に彼が信長だったとして、比叡山をながめて罪の償いって、比叡山焼き討ちのこと? 


 信長は敵対する比叡山を焼き払い、僧侶、美女、子童などの首をはねた。その数、数千ともいわれている――スマホで調べた。


 子供みたいにくしゃくしゃな笑顔ができる人が前世で大虐殺?


 織田信長といえば、中世を破壊しつくした「革新者」にしてまたの名を第六天魔王。


 趣味はつまみ細工で、リバティつかったかわいいブローチ作っちゃう人が魔王?


 ……いや、無理がありすぎる。


「おーい、雪深い。手伝ってえ」


 下からおじいちゃんの声がする。私はかぎ針を机の上に置き、階下へ降りて行った。


「この部屋片づけようかと思てな。いらんもんほかすし」


 ほかすとは、ほうりなげるではなく、捨てるという意味。


 玄関入って、左手の物置と化している部屋。リンカネーションの部屋と、土間をはさんだ向かい側のこの部屋は昔お店として使われていた。戦後しばらくは、ここで糸の商いをしていたとのこと。


「この部屋間借りしたいいう人がいてな。貸そうおもて。まずは火曜のゴミ出しに出すもんから分別しよか」


 おじいちゃんに言われ、ゴミ袋を台所まで取りに行く。


「誰が借りるの?」


「あー」おじいちゃんのセリフは、私がだしたゴミ袋の音でかき消され聞き取りにくい。


「自宅で、仕事したはってんけど。なんや生活にメリハリつかんて、事務所借りる事にしたんやて」


 へー、自営業の人か。私はそこらにあるいらないものを、片っ端から袋につめていった。


 おじいちゃんは積みあがった段ボールを、一箱ずつ開けていた手をとめる。


「あんなあ、拓人が十二月に京都来るの知ってるか?」


 持っていた写経の書き損じが、私の手からこぼれる。


「今日貴美子から連絡あって、その時会いたいゆうてるらしいわ。おまえ盆帰らんかったやろ。かわいい妹が心配やて」


 貴美子はお母さんの名前。

 私は所属しているサークルの合宿があるといって、夏は帰らなかった。サークルなんて入ってないけど。


 街頭演説は、分刻みのスケジュール。京都府下を一日で何カ所も回る予定だろう。そんな時間は取れないと思うけど。


「最後の演説場所が京都駅前で、新幹線に乗る前の数分でいいから、ホテルのラウンジで会おうやて」


「お母さんは来ないよね」


「さすがに来んやろ」


 私が物心つく頃から、お兄ちゃんの行動はお母さんが管理し、すべて付き添っていた。

 長期の休みになると、習い事や、塾それに加え選挙区愛知を頻繁に訪れた。


 愛知の本宅を拠点に、後援会の人たちと子供の頃からお付き合いをして顔を売っていた。将来の布石として。大事な大事な政治家の跡取り息子。


 その親の期待に見事に答えたのがお兄ちゃんだ。見た目はもちろん。成績優秀、スポーツ万能、コミュニケーション能力も高い。


 国会議員もお父さんの地盤を受け継いだとはいえ、最年少で当選した。お母さんがお兄ちゃんにのめりこむのも今ならわかるけど。


 そのかわりミソッカスの私はいつも置いてけぼり。小さい頃はお手伝いさんが面倒をみてくれた。さすがにそれでは可愛そうと思ったのか、小学生になると京都に預けられた。


「わかった。お兄ちゃんには私が直接連絡しとく」


 すこしほっとした顔をして、おじいちゃんはまた片付けの手を動かし始めた。

 私は足もとの段ボール箱を開ける。中には手芸用品が入っていた。


「これおばあちゃんの?」


「松さんのや。ここ趣味の部屋で使てたからな。編みもんしたり、ミシン踏んだり。もうミシンは処分したけど材料は取っといたんや」


「この箱もらってもいい?」


「かまへんよ。好きに使い」


 そういうとおじいちゃんは、かがんでいた腰をのばして言った。


「後のもんは、とりあえず蔵にでも入れとこか」


                  *


 なんで? なんなの? こんなのあり?


 大学から帰ってくると、事務所として貸す部屋に、あるはんがいらっしゃった。

 部屋には棚やら机やら事務用品が運び込まれており、すっきりとすでにおさまっている。


 今日引っ越しの日って聞いていたけど。

 これは聞いてないぞ! おじいちゃんに抗議すると、


「わし、ゆうたで」


 ……あのゴミ袋の時か。


「建築家って設計事務所にお勤めなんじゃあ……」


「あるはんはもう大きい賞とって、独立したはる」


 二七歳で独立して事務所かまえてるって、早すぎでしょ。やっぱりそこは信長様だからかな――あくまで仮想の話だけど。


 挙動不審の私に微笑みつつ、丁寧にご挨拶。


「突然のお話し、OKしていただいてありがとうございます」


「ええて、ええて。うちも部屋遊ばしとくより家賃収入ある方がええし」


 その人、孫娘にプロポーズしたんですけど。ご存じないですよね。そりょそうだ言ってないもん。


「細かいもんは、まだかたづいてないな。雪深手伝ったげ。わし、これから会合で出るし。晩御飯いらんから」


 そう言い、粋な羽織姿で信玄袋を振りまわし、軽やかな足取りでお出かけしていった。ほんとに会合かよ。


 玄関の格子戸がしまった瞬間、私はくるりと背をむけ内玄関へ。市香ちゃんは日曜なのでいないし、この家に現在二人っきり。そんなのたえられない。


「そういう態度、きずつくのですが」


 被害者づらされても、こっちは貞操の危機なんで――ちょっとオーバー――。


「何もしませんよ。手伝わなくていいから、ここにいてください」


 手伝わなくてもいいなら、私いらないでしょ。


 そう思っても、捨て犬のような目で言われたらどうしたらいいの!

 雑種の捨て犬ではなく、すっごく毛並みのいい狩猟犬だけど。


 あー誰かー食べられちゃう!

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