第二章 あじわう

第一話 前世の記憶 壱

 私、今あるはんと本能寺にいたはずなのに、目の前は真っ暗。どこか遠くからお経が聞こえてくる。

 ああ、そうか。また夢だ。目が覚めると忘れてしまう夢。それなのに、涙がながれるほど、胸がしめつけられるほど、懐かしい夢……。


                      *


 大音量の読経が、地の底より立ちのぼる。

 僧侶が大勢仏前に向かい一心に経を唱えている、その後ろには親族、家来あまたの人々が静かに座していた。


 その最前列、喪主の席に座る人物はすっくと立ちあがり、抹香をがっと乱暴につかむと、仏前へぶちまけた。


 みなその行いに唖然とするも、誰も騒ぎ立てない。喪主である跡取りは日ごろの素行不良により、それぐらいではみな驚かないのであった。ただひそひそと「跡取りはやはり弟君がふさわしい」というのみである。


 喪主は抹香を投げつけたのち、棺桶をしばらく睨み、荒々しく厳粛な葬儀の場をさっていった。その背中を追いかけ一人の若者が席を後にした。


「兄上、なんだその恰好は」


 その言葉に振り向いた兄は、大刀と脇差を三五縄みごなわで巻き付け、髪は茶せんに巻き立て、袴をはいていないというかぶいたいでたち。

 一方の弟は肩衣に袴をはき、しごくまっとうな姿をしていた。


「坊丸ひさしいな。美々しい若武者ぶりだ」

 そう言い、まぶし気に目を細める。その優し気な顔は、子供の頃野山を駆け回った頃となんら変わらない。


 変わらないはずなのに、弟には兄が随分遠い存在となってしまった。


「もう童名で呼ぶのはやめてくれ。それに、答えになっていない。何時まで父上のいいつけを守ってうつけのふりをするのだ。もう父上は死んだんだ」


 弟の吐き捨てるような言い分に、兄は口の端を少しあげた。


「父上はおっしゃった。敵を欺くため、うつけのふりをしろと」


「敵を欺くどころか、兄上の当主として資質をとう声が、家中であがっているのは知っているだろう。このままでは、兄上の周りは敵だらけになる」


 弟の兄を思う言葉を聞いても、表情は何一つ変わらない。


「おまえに心配されるとはな。うれしいぞ、勘十郎」


                 *


 勘十郎って誰? 私?

 だめ、これ以上考えたら、怖いことを思い出してします。


 何もかも忘れて、ただ眠ればいい。

 眠っていれば、誰かが現れて私を助けてくれる。誰かが私を怖いことから守ってくれる。


 誰かって……。誰?


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