第十二話 前世の名 

 予定通り――いかなくてもよかったのに――あるはんと待ち合わせた土曜日、午後一時。地下鉄今出川駅から地下鉄に乗り、烏丸駅で降りた。


 この季節、市バスに乗るより地下鉄を利用して歩く方が時間はかからない。土日はもちろん、平日でも道路は大渋滞だ。


 今日の彼はなぜか、口数が少なく、周りの空気が張り詰めている。私はどこに連れていかれるのかわからないけど、とても聞ける雰囲気ではなかった。


 地下鉄出口から地上へ出て、にぎやかな四条通りを西へ。そして西洞院通りを上がる(北へいく)。あるはんは迷いなく歩いていく。私はその後ろをちょこちょことついていくだけ。


 今日は歩きやすい、ペタンコ靴をはいてきてよかった。ネイビーのニットワンピの下には黒地に花柄のロングスカートを合わせた今日のコーデ。


 無地のニットワンピのポイントに、つまみ細工ブローチをお買い上げしてつけているのに。気づいてもくれない。


 別に気合を入れておしゃれしてきたわけじゃない。そういうわけじゃない、けど……。


 西洞院通りの道幅が狭くなったところを左に曲がった。もうこの辺は、一方通行の細い路地。普通の住宅街だ。


 右手にマンションが建っている。細い路地の交差する辻で、北に向いてあるはんは立ち止った。


 なんの変哲もない辻。人通りもあまりなく車も通らない。

 私はきょろきょろとあたりを見回すと、南西の角に石柱がたっていた。


 多分何かの史跡だろう。誰かのお屋敷跡とか、お寺の跡地など京都のいたるところにこのような史跡がひっそりとある。


 ここが、私と来たかった場所ってこと? なんでこんなところ。なんの意味があるのだろう。

あるはんは祈るように目を閉じ、北の方角を向いたまま立ちすくんでいる。ここは話しかけるべきなのか迷っていると、やっと彼が口を開いた。


「ここへ、僕は今までくることができなかった。怖くて。でも雪深さんと二人でようやく来ることができました。ありがとう」


 そう言うと何かが彼の中で吹っ切れたように、すっきりとした笑みを浮かべ、私の両手を握る。


 右手にはめた巻き玉のリングを、親指でそっとなでられた。ビーズがこすれ、しゃらりといい音がする。もう、振りほどこうとは思わなかった。


 そのまま再び西洞院通りにもどり、御池通り手前まで上がる。


 お目当ての茶房へようやく到着した。町家をリノベージョンしたつくりで、丸に「津」の字が大きく染め抜かれたのれんが、入り口に下がっている。


 のれんをくぐり店内に入ると、テーブル席はすでにお客さんでいっぱいだった。立って順番を待っている人までいる。


 おずおずと店員さんに名前を告げると、にこやかに奥へと案内された。

 壺庭を回り奥の間の、炉が切られた茶室へ通された。中は完全個室。ここは、お茶会用で普段お客さんを通さないと薫から聞いていた。


 店員さんがオーダーを聞きふすまを閉めるさい、「ごゆっくりとどうぞ」と含みのある言い方をするものだから、絶対薫がいらないことを吹き込んだに違いない。


「お茶室を予約できるなんて、いいですね」


 この和の空間にすっきりと馴染んでいるあるはんのほうが、「いいですね」である。

 慣れない正座。目の前のイケメン。心拍数が徐々にあがってくる。


「この後、もう一カ所行きたいところがあるので、おつきあいください。そこですべてをお話しします。何もかも」


 黒のカシミヤセーターを着て、夜の湖面のような静けさをたたえた彼に見つめられ、私はますます足をもじもじさせた。


 やっと抹茶のロールケーキとお抹茶のセットがきたけど、気分は一向にあがらない。

 食べ終えて、彼に「行きましょう」と促され立ち上がった瞬間。


 しびれを通り越しもはや感覚のなくなった足は、動かない。上半身だけが前方に移動したものだから、前へ倒れこみそうになり、彼の胸へと倒れこむ結果となってしまった。


 カシミヤセーターのチクチクが頬を刺激し、ムスクの香が鼻孔をくすぐる。


「僕のブローチつけてきてくれたんですね。うれしい。土田さんから聞いているかもしれませんが、僕はけっしてゲイではありません」


 甘い声が耳元でささやく。今ここでブローチのこというのずるくない? おまけにゲイではない宣言。その心は。


「木屋町でゲイの友達と歩いているのを、土田さんに目撃されたんです。彼は前から僕にモーションかけてて、歩きながらおしりを触られてたのです」


 それってもう立派なセクハラじゃあ。


 ていうか、おじいちゃんが木屋町をぶらついているとはどういうことだ。旦那衆との飲み会なら、祇園やら上七軒のお茶屋さんを利用するはず。

 まさか、本当に合コンにいってるんじゃないだろうな。


 まてまて、今はおじいちゃんの素行調査している場合ではない。私の肩に乗せられた手が、だんだん背中へと移動している事態をどうにかするんだ!


「じゃあ、アルさんはバイってことですか?」


 フッと短い息が鼻からもれ、背中にまわった腕に力が入る。


「違いますよ。今は」


 今はってなんだ、今はって! 


 彼は、それ以上無体な事はせず開放してくれた。しかし、店を出たとたん手をとられ、ぐいぐいと最終目的地まで連れていかれたのだった。


 十五分ほど歩いて、寺町御池の大きなお寺に到着した。石碑に大きく「大本山本能寺」と名が入っていった。


「本能寺って今もほんとにあるんですね。焼けたかと思ってました」


 あまり歴史に明るくない私は、思わず無知を承知で言った。


「ここは、秀吉が再建したんです。本能寺の変があった当時の場所は、先ほどいった場所です」


 あのなんの変哲もない場所が、歴史上名高い本能寺の変の舞台だったのか。

 あるはんは、歴史オタクなのだろうか。そういえば、お城が好きっていってたような。


 山門をくぐり、広大な境内の中心にたつ立派な本堂を通り過ぎ、そのさらに奥へ、私の手をひき歩いていく。


 小さなお堂の奥、大きな墓石の前でようやく足を止めた。

 立派な墓石なので、きっと歴史上有名な人のお墓に違いない。私は聞いてみた。


「これ、誰のお墓なんですか?」


「僕の墓です。でも実際に遺骨があるわけじゃない。遺骨はさっきいった本能寺の跡地のどこかに、眠っているでしょう」


 僕の墓?


 遺骨は別の場所?


 じゃあ今目の前にいるお方は幽霊? 


 そんな訳はない。今私の手をにぎる彼の手は暖かい。


「僕は、織田信長の生まれ変わりなんです」


 ……意味がわかりません。


「現世でずっとあなたを探していた。前世で幸せにできなかったから。ようやく巡り合えたのです。この墓の前であなたに誓う。僕の残りの人生を使って、かならず幸せにします。だから雪深さん、結婚してください」


 隣接する御池通りから、けたたましいクラクションの音が二人を祝福するように静寂に包まれた境内にこだまする。


 彼の熱をおびたヘーゼルの瞳から目線をそっとはずし、私はあたりに視線を走らせた。こんな話誰かに聞かれたらやばいでしょ。間違いなく頭のおかしな人と思われる。


 さいわい、まわりに人影はなかった。


 ちょっと整理しよう。

 まず、あるはんは自分を信長の生まれ変わりだと、信じている。


 そして、私を前世からの運命の人と認定しプロポーズを今した。

 ということは、私は前世で信長のお相手になりそうなお姫様だったってこと?


 つまるところ、私へのプロポーズは前世ありきの話。


「ちょ、ちょっと落ち着きましょうか。何かの勘違いじゃあ……」


 っていう私を強引に彼は抱きよせた。私に抵抗する時間もくれない。


「なぜです。私は一目見てあなたが勘十郎だと確信したのに」


 カンジュウロウ? 勘十郎って名前のお姫様なのか……なわけあるかい! 


 前世のお相手は男! 信長にはたくさんの男の愛妾がいたって、私でも知っている。だから、前世ではバイだけど現世ではバイではないと。なーるほど。


「あの、人違いだと思いますよ。私にはそんな記憶いっさいありませんから」


「無理もない。あまりに過酷な前世を思い出せないのでしょう。その責任は全部僕にある。あなたを殺した僕に」


 ……あなたを殺した僕?


 私、信長に殺されたの? ということは、この人前世からのストーカーってことか!!


 やばい逃げなきゃまた殺される。


 脳内では月代さかやき部分がつるつる、ちょんまげの毛量少なめ、鼻のおおきな髭のおじさんが今にも刀を抜きそうになっている。


 痩身のわりにがっしりとした胸板をお持ちの現在の信長様を押しのけようとするが、ぴくりとも動かない。


 だめ、逃げられない。


 誰か助けて、完全にキャパオーバー。


 意識が遠のいていく。


 ああっ、完全にブラックアウト……。

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