第十一話 比叡山とお経

 それまで笑っていた顔が、途方に暮れた迷子の顔になった。私の唐突な問いが、彼を困らせたのだ。また、私は余計な事を言ってしまった。


「昔自分がおかした、罪を償うために」


 そう言い、紅葉に燃える比叡山を振り仰ぐ。その横顔にはもうなんの感情も浮かんでいない。

 そんな顔を見せられたら、何か言わないと。やさしさの脅迫観念みたいなものに押され、口を開いた。


「いくら悪いことしても、罪を犯した本人が、罪って認識しないと罪にならないじゃないですか。だから、罪と認めた瞬間から許されてるんじゃないかなあって」


 何をえらそうに言ってるんだ。罪の内容まで知らないくせに。

 彼の憂いにふれ、心が波たつんだからしょうがない。


 でも、好青年あるはんの罪なのだから、まさか人殺しみたいな大罪ではないだろう。私たちがきいたら少し胸を痛める程度のことだ。きっと。


 隣から息をフッと漏らす気配と、川をわたってくる風音が重なり、彼は明るい声で話し出した。


「ここで比叡山を眺めて経を唱え、五条のあたりまでジョギングして、そこのマンションに帰ります。これが最近のルーチンです」


 そう言って、下鴨神社の方を指さした。私の妄想通り、あのマンションにお住まいなのか。


「あとジムで泳いだり。たまに乗馬クラブへいって馬にも乗ります」

「スポーツ好きなんですね」


 ここは私とは合わないな。


「見るのも好きです。特にお相撲。大阪場所はかならず見に行きます」


 相撲? たしかに外国人には人気あるけど、あるはんのイメージからはかけ離れている。


「そうだこれ、返そうと思ってたんだ。あの日僕のポケットに入ってたんです。雪深さんのでしょ?」


 ごそごそと、ジャケットのポケットから青磁色のタッセルイヤリングを出した。


「それ、探してたんです。すごく気に入ってたのに落としてしまって」


 あの日落としたイヤリング。私の手のひらの上に帰って来た。うれしくて、片っぽだけだけど早速耳につける。


 すると、あるはんの手が私の左手を取る。不意を突かれた私の手は、びくんと震えたが放してもらえない。


 さらに私の髪を耳にかきあげ、髪に隠れたイヤリングをあらわにして言った。


「この指輪とお揃いみたいですね。秋の空の色だ。とても似合ってる」


 お友達はそっとあごに手をそえ、うるんだ瞳をしてこんなこと言うだろうか? 

 いや、言う。絶対言う。言うに決まってる。


 そうじゃないと、とんでもない道に踏み込んでしまいそう。私たちは、お友達以上なりえないんだから。


                   *


 講義時間が迫った私は、そそくさと河原から退散した。大学の門まで送るというあるはんを、今度はきっぱり拒絶した。


「恥ずかしいのでやめてください」


 はっきりきっぱり、断る。イケメンの送迎を断るとんだ贅沢ものだが、噂好きの学生に見られるくらいならここで切腹する。それぐらいの覚悟で言った。


 河原でだって、十分目撃される恐れはあったが、まだ言い訳できる人違いだと。しかし校門前ではなんの言い訳もできない。


 河原にあるはんだけ残し、私は自転車をこぐ。ハンドルを握る手がベタベタする。クロワッサンの濃厚なバターが手にこびりついていた。早く手を洗わなければ。


 大学につくと女子トイレへ直行。手を洗っていると、後ろから声をかけられた。


「弾正さんって、弾正拓人の親戚かなんか?」


 声につられて目の前の鏡を見ると、同じ専攻の私を不思議ちゃん認定した大阪人が立っていた。彼女は用を足すため個室にいくわけでもなく、私が手を洗っている後ろから動かない。


「それ、よく言われるんだけど違うよ」

「そうやんなあ。全然似とらんし」


 じゃあ、聞くなよ。

 ミニタオルで手をふきつつ、出口に向かおうとする私の前に大阪人は通天閣のように立ちふさがる。


「弾正拓人。今度、京都へ街頭演説に来るんやって。今めっちゃ話題のイケメン二世政治家。いくら弾正さんでも知ってるやんな」


「もちろん知ってるよ」

 私の口の端がひきつっているのを、気づかれませんように。


「弾正なんて名字かわってるから、もしかして親戚かと思たのに。紹介してもらえんで残念やわ」


「ごめんね。お役にたてなくて。弾正って愛知の方の名字みたいだよ。あっちにはわりかしある名前みたい。父方の祖父が愛知だし」


「そういえば弾正拓人の選挙区も愛知やったわ」

 ちっ、つかえねえ奴だな、という目線で私を見る通天閣。


「でも弾正さんもラッキーやな。将来の首相候補って今から言われるような人と同じ苗字なんて」


「ほんとだねえ。うれしい」

 ちゃんと、うれしそうに聞こえてるかな。


「雪深、はよいこ。席うまってしまう」


 トイレ出口に薫が立っていた。私は大阪人に手をふり小走りに薫のもとへいき、小声で「ありがとう」と言った。


 一般教養の心理学入門の授業は階段教室の後ろから埋まっていく。遅くに行くと前の席しかあいておらず、居眠りも内職もできない。


「薫にお土産」そう言ってわたしは、市松模様のクッキーを出した。ピンク色したベリー味。今日手づくり市に薫を誘ったのにすげなく断られた。

 三人でいけば、間が持つと思った私の浅知恵なんかおみ通しだったのだろう。


「で、どうやったん、デート」

 薫の妙に色気を感じる流し目に、ドキリとしながらわちゃわちゃと答える。


「デ、デートって……違うし。ただ市香ちゃんとこの作家さんを案内しただけで、いわば接待みたいなもので」


「ふーん、接待で指輪うてもろたん?」

 さっき手を洗う時、右手にはめなおした指輪を目ざとくみつけて薫は言った。


「たしかに買ってもらったけど、アルさんはお友達であって……」


「おじいちゃんは何をもってゲイ判定したか知らんけど、バイということもあるんやし」


 へっ? バイ……同性のみならず、異性にもその対象を拡大した人々。いや、反対か。


「最近多いやん芸能人でもバイを公言してる人。外国人ならなおさらその比率は高いと思うわ」


「来週、薫のところの茶房へいく約束しちゃった……やっぱりそういうこと?」


「西洞院の店いくの? ほな予約しといたげるわ。日にちと時間教えて」


 青ざめる私をよそに、心理学の教授が入場しこの話はお開きとなった。


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