第十話 パンとハンドメイド談義
気が付くと山門をくぐり、朝おいた自転車の横に立っていた。あるはんの手には、コーヒーが二つ。いつの間に買ったんだろう。
「まだ時間大丈夫でしょう? 河原でパン食べませんか」
昼一番の講義開始の時刻まで、まだ余裕があった。こくんとうなずく私に、飛び切りの笑顔をくれる。
「よかった。怒ってなくて。さっき指輪をはめた時、すごい目でにらまれたから」
「えっ私そんなことしました?」
やばい、覚えてない。自分でも訳の分からない行動とか、ますます不思議ちゃんではないか。
「なんかすいません。いろいろ買ってもらったうえに、彼女って誤解されたりして」
自転車を押しながら歩き始めた私は、とりあえずあやまった。
「なんであやまるんですか? すごくうれしかった」
うれしかった……て何で? 恋愛対象は男性のはず。
「あっ、手づくり市に来れてってことですね。私もうれしくて楽しかったです」
私が彼女とか、うれしいわけがない。あるはんも、日本語がいくら達者とはいえ、文脈を間違えることもあるんだな。少し親近感。
「あのそうじゃなくて……」
「かわいいものいっぱいありましたね。おいしいものも」
「いやだから……」
「光流くんに、お土産渡すのたのしみです。どんな顔するだろ」
「光流くん、ってだれですか?」
いつも温和な声がドスの効いた声にかわる。私は前方に向けた視線を、目玉だけこっそり左へずらした。形のよい唇の口角が下がりへの字になっている。
「市香ちゃんの子どもで五歳です」
「あー、あのカエルのあみぐるみをあげるんですね」
今度の声には、安堵の色がにじんでいた。
「そうです。光流くんカエル好きで。今は大河にはまってて明智光秀が大好きなんですよ。自分の事ミツヒデっていうのがかわいくて。市香ちゃんなんて生まれ変わりじゃないかって」
「ミツヒデ……そんなことがあるなんて、でも仕方がない」
またまた、ドスが効くというよりは、悲壮感たっぷりの声音で意味不明な言葉をつぶやく。
これって、笑い話のつもりだったんだけど、私なんか間違えたかな。調子にのってぺらぺらとしゃべりすぎた。いかんいかん、人様の気分を害しては。
鴨川デルタは、人でにぎわっていた。比叡山の紅葉はもうすそ野までとどいている。このあいだ薫と一緒に座った同じ場所に、今日は彼と腰をおろす。
パンを渡し、袋からクッキーを取り出す。市松模様の抹茶クッキーをあるはんの前へ差し出した。
「これも、どうぞ。並んでもらったお礼。おいしいってネットで評判のクッキーだって市香ちゃんが。数多めにメモに書いたから」
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく。抹茶大好きなんでうれしいです」
こんどのうれしいの使い方は間違ってない。「遠慮なく」なんて言えるのに。
「抹茶のお菓子おいしいですよね。友達のお家が宇治のお茶屋さんで、西洞院に茶房があるんです。そこで食べた抹茶のロールケーキが絶品で。中のクリームがとろりととけ出して、味も濃厚な抹茶クリーム。さすがお茶屋さんって感動しました」
明日の朝食用に買ったクロワッサンを食べながら、抹茶のロールケーキの味を思い出す。
「おいしそうですね。今度いっしょにいきませんか?」
外はパリパリ、中はバターの風味がしっかりきいたクロワッサンが、喉につまりそうになった。
「来週は大体あいているので、いつでも大丈夫です」
私は、ぬるくなったコーヒーをごくりと飲み干した。
「あの……アルさんはお仕事、忙しくないんですか?」
「今、大きな仕事も終わってちょうど時間があいてるんです。」
――私は授業で忙しいので、残念です。レポートもたまっているのでいけません――
なんてことが言える雰囲気ではない。しかし、いくら彼氏彼女でないとは言え、世間の目が痛すぎる。もう今日一日で勘弁してくれ。
ここは京都スキルをつかってのらりくらりと……。
「来週は授業がつまってて、今週休校が多かったから。また今度……」
「じゃあ、土日はあいてるでしょう?」
だめだ。さすがにこのスキルは、いくらあるはんでも発動しないのか。「また今度」は婉曲な断りの言葉なのに。
「えっとじゃあ、土曜日で。でも、私が行った平日でも混んでたから、土曜日だと並ばないといけないかも」
並ぶのがいやな外国人なら、これできっとあきらめるはず。
「かまいません。では土曜日に」
長蛇のクッキー店に並ぶのを躊躇しなかったあるはんは、あきらめなかった……。
「それと、雪深さんとぜひいっしょに行きたい場所があるのですが、おつきあいねがえますか?」
黒髪の巻き毛をいじくりながら、俯きかげんで言う。
イケメンは恥じらう姿も様になる。あーもうこのさいどこにでもお供しますよ。例え地獄の一丁目だって。
私のうなずきを確認すると、目鼻が整然と並ぶ美しい顔をくしゃくしゃにして笑った。そのまばゆさにめまいがした。
なんて破壊力だ。普通の女子ならば、一発で恋に突き落とせる。秒で。
しかし、彼は私の事をお友達と認識している。ならば、私も彼ではなく彼女と認識すればいいのでは? 幸い、あるはんはスペイン人なのに(超失礼)ひげが薄くお肌つるつる。
いやしかし……世間様にはイケメンを破顔させる不届きな女にしか見えないわけで。
私は、おじいちゃんの分のクロワッサンを、パンくずがぱらぱらとリネンのワイドパンツに落ちるのも気にせずかぶりついた。
「講義の時間大丈夫ですか?」
再びコーヒーを飲んで、大丈夫だと答える。もうクロワッサンは喉につまらなかった。
「よかった。雪深さんは大学を出て、どうするか決めてるのですか?」
「京都で就職しようと思ってます。東京には帰りたくないので」
私が専攻する経済学部は、銀行など金融機関の就職が多いと聞く。手堅いのはそのあたりの就職口だが、どうもしっくりこない。
猶予はあと二年と半年、その間京都に残る口実をひねり出さねばならない。
「何かハンドメイドしますか?」
なんかお見合いみたいだな。いやいや、これはお友達のプロセスだ。
「亡くなったおばあちゃんに教えてもらって、かぎ針編みを少々」
「おばあさまとのいい思い出ですね。編むたびにつながれる。僕の母も布花をよく作ってたんです。布も自分で染めて」
たしかにそう。かぎ針を持つと、おばあちゃんの少しかさついた手が脳裏によみがえる。かぎ針の持ち方がおかしいって、私の手を握った感触が。
「お母様の布花作りをみてたから、つまみ細工を始めたんですか?」
「それもあるけど、建築模型を作る要領でできるかなと思って。ピンセットさばきには自信あるんです。子供の頃プラモデルつくるのが好きで」
そこは意外と男の子っぽいな。
「四角い布をピンセットで折って、はって、重ねていく。出来上がった瞬間の達成感がすごくて。なんてかわいいものができたんだって誰かに自慢したくなる」
ここは女子だな。でもわかるー。
「作る前も楽しいです。どんな色の組み合わせにしようかって」
これまた、わかるー。しゃべり続けるあるはんに、心の中で相づちを打つ。
「頭の中の完成図を目指し、がんばるんですけど、途中から無心になって」
「その感覚わかります。編みものも同じパターン編み続けたらもう手が覚えちゃって。何にも考えてない自分にハッとする時が。そしたら決まってやりすぎてるんですけど」
心の声が、漏れ出ていた。だって、共感しまくりなんだもん。
「そうそう。そしてまた一からやり直しとか。修行しているみたいです」
修行という言葉で、あの般若心経を思い出した。
「どうして初めて会った時、比叡山を眺めてお経をとなえてたんですか?」
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