第七話 火事で

「でも火事で焼けてしまって」


 火事って……。あるはんの、感情を抑えた声が逆に胸へせまる。


「あるはんは、気の毒に火事で両親をなくさはってん」

「はい、十三の時でした」

 そう言い、伏し目がちに笑う。


「御兄弟はいらっしゃらないんですか?」

 なんでそんなことが口をついたかわからない。今日初めて発した言葉がこれだった。


「いえ、兄弟はいません。両親が死んで僕は一人になりました」

 聞かなければよかった。人の傷をえぐるようなこと……。


「このアンティークのものは、現地へ買い付けに行っているのですか?」


 つまらないことを聞いた私に、冷ややかな視線を向けるわけでもなく、あるはんは明るい声を出して聞く。沈んだ空気が一変し、市香ちゃんも胸をなでおろして答えた。


「年に一回は買い付けにいくんです。後は現地の人に頼んで送ってもらうんやけど、なかなかこっちの要望が伝わらんくて」


「僕の知り合いに、ディーラーがいますよ。ロンドン在住の日本人です」


 それまで、夢見るような乙女の顔からしんみり顔になっていた市香ちゃんの目の色が、きらりと光る。忙しいなあ。


「ほんまに?」

 たちまち、商売人の顔に豹変した。同じく商売人のおじいちゃんも参戦。


「そらええわ。イギリス行くのも旅費がかかって大変や言うてたやろ。最近アンティークの品物も売れてきてるし、紹介してもろたらどないや」


「父の古い友人で、信用のおける人物です。」


「御迷惑でなければ、お願いしてもええですか?」

 一応謙虚に聞く、市香ちゃん。


「はい、ぜひ。今度お伺いした時に連絡先を教えます」


 すんなり取引成立。現地のディーラーからの荷物は、中の品物が割れていることがしばしば。頼んでいたものと違う物が送られてくることも。そのたび英語を駆使してのメールのやりとりに、市香ちゃんは頭をかきむしっていた。


 その後も店内をじっくりみたあるはんは、自分の手芸用に糸を数種類購入し、あのティディベアもお買い上げした。市香ちゃんはついている値札よりお安くレジを打ったが、あるはんはそこを見逃さなかった。


「ここはマーケットではないのですから、値引きはなしでお願いします」

 普通このセリフは店側が言うものなんだが。なんて律儀な人なんだ。武士か。


「いややわ。これからいろいろお世話になるんやし、これくらいさせてください。チーキーもアルさんのとこへいけるの喜んでますわ」


 こうして払う払わないの押し問答が始まった。両者なかなか引かず、長期戦に突入するかに思えたが、あるはんがレジの横におかれたフライヤー(チラシ)を手にとった。


「手づくり市ってなんですか?」


 そのフライヤーは、百万遍にある知恩寺というお寺の境内で毎月十五日に開催される、手づくり市のものだった。


「うちはハンドメイド作家さんがよくこられるから、その人たちが出店するんでフライヤーおいていくんですわ。ようはハンドメイドマーケットです」


 近年京都で多数開催され、人気のイベントとなっている手作り市。その中でも百万遍の手づくり市は一番古く有名だ。


「では、値引きのかわりにこのマーケットへの案内を雪深さんにお願いしてもいいですか」


 にっこりとろけそうな笑みを向けられ、私は悶絶した。なんで私が……。


「今月は、来週の金曜開催や。雪深都合つけて案内したげ」


 おじいちゃんがぐいぐい私に迫る。男の人とお出かけとかしたことないんですけど。

 たしかにこの方は、おじいちゃんが気に入るだけあってとってもいい人だけど、男の人には変わりないじゃない。


「ゆきちゃんおねがい。その日私お店やし」


 まさかことわらないよね。市香ちゃんの目はそう私に脅しをかけている。

 断りたい、とっても。でもこの状況で断れるわけがない。


「たしか、金曜はお昼からしか講義なかったはず。午前中だけでいいなら」

 私はぼそぼそと了解せざるを得ない。


「では、お願いします。連絡先の交換。しておきましょう」


 そう言われて、SNSであっという間につながってしまった。

 それからあるはんはお茶も飲まず、雨の降る前に帰っていった。


「おじいちゃん、私が男の人と出かけてもいいの?」

 今さらだが、やり場のない怒りを年寄りへぶつける。


「あるはんは、ええんや」

 たしかに律儀で性格もよさそうだけど、答えになってない。


「だっていっつも悪い虫悪い虫って、男の人私に近づけないのに。別に私だって男の人と出かけたいわけじゃないけど、なんであるはんはいいわけ?」


 ぐずぐず、ねちねち年寄りに八つ当たりする。


「だから、大丈夫なんや」

 言いにくそうにおじいちゃんは続ける。


「人の事とやかく言うんは好かんけど……」


 おじいちゃんは、歌舞伎の女形のようにしなをつくり手の甲をあごへそわせた。

 ちょっと気持ち悪いな。


「あるはんは、こっちのお人なんや」


 だからどっちの人だ! 

 でも、そのおじいちゃんの所作ですべてを理解した。

 女子力の高いつまみ細工や、お友達になってくれだの。河原で私の性別確認したのは、男の子だったら好みだったってことだったのか。


 一概にあちらの人の特徴にあてはめるのはよろしくないが、しかしすべてが符合する。


 なーんだ。お腹にずしんとつかえていた重しが、すっきり排出された。

 恋愛対象でないとわかっただけで、金曜日の手づくり市が俄然楽しみになってきた現金な私。


 ふいに雨が瓦を打つ音がしてきた。とうとう雨が降り出した。

 あるはん、降られてないといいけど。

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