第六話 ご来店

「先日、鴨川デルタで偶然お会いしたんです。名前を伺って名字が違うので、土田さんのお孫さんだとは気づきませんでした」

 目をつぶって聞けば、日本男子にしか聞こえない美しい日本語。


「ああ、雪深は嫁にいった娘の子やし名字が違うんや。かわいいやろ。わしの自慢の孫なんや」


 やめてくれえ。そんな噓八百。できるものなら耳をふさぎたい。しかし今、身も心も固まってる最中、私は一言も発さずその場になんとか倒れこまずに踏んばっていた。


「あるはんは、スペインのお方で年は二十七歳。お父さんの仕事の関係で子供の頃日本に住んでたそうや」


 二十七歳ってけっこういってるな。白人は概して日本人より老けてみえるのに。もうちょっと若いかと思った。いや、どうでもいいことだけど。


「はい、父が貿易商でしたので。世界各地回りましたが日本が一番好きな国でした。だから大人になって、こうして日本にまたやって来たのです」


「今は建築家や。子供の頃日本の城にいたく感銘を受けたんやて。いやあ日本もすてたもんやないなあ」


 私そっちのけで始まったあるはん自己紹介。建築家なのに、お茶習ったりつまみ細工したり多趣味ですこと。多趣味なスペイン人、すなわちラテン民族。

 なるほどだからフレンドリーに、名前も聞くし気軽に性別確認だってできちゃう。


「土田さんのお店に、一度伺おうと思ってたのですが、雪深さんは、何時御在宅ですか?」


 へっ、私関係なくない? お店には市香ちゃんがいるんだし。そう思い救いの手を求めおじいちゃんを見る。


「土曜日やったら店もあいてるし、たいがいこの子も家でぶらぶらしてるわ」


 悪かったな、たいがいぶらぶらしてて。おじいちゃん、このイケメン私に興味しんしんだよ。そこはスルーしてもいいの? 


「雪深さんとはこうして二回も偶然お会いしたので、すごくご縁を感じます。ぜひお友達になってください」


 ご縁……今どきの若い日本人にとっての死語をよくご存じで。こういう言い方、お年寄りはぐっとくるんだよね。でも、お友達って六つも年下を捕まえて、ありなんだろうか?


 おじいちゃんにはありだったようで間髪入れず、私の代わりに返事をした。


「そらええわ。あるはんお茶会でも、年寄りばっかりに囲まれてるさかい、若い友達すくないんやろ」


 友達すくないって決めつけはどうなの。というか、ただの近づく口実とは思わないのね。いやいや、本当にお友達になりたいだけかもしれない。私はできれば遠慮したいけど。


 結局私の予定なんか聞かれもせず、来週の土曜日うちにいらっしゃることとあいなった。


                   *


 土曜日。私の気持ちを知ってか空はどんより曇り空。今にも泣き出しそうな空模様。


 市香ちゃんは朝から念入りにお店のお掃除。つまみ細工作家さんが、イケメンスペイン人とわかったからなのかどうなのかは知らないけど。

 消防士のパパ、柴田さんが非番なので光流くんを預け、準備万端。


 午後一時を回った頃に、おじいちゃんに連れられあるはんはご来店した。

「こんにちは、おじゃまします」


 そう言って入って来たあるはんに、市香ちゃんは「ようおこしやす」と営業用の京言葉で返す。私は内玄関の戸を少し開け様子を伺っていた。


「そないなとこに隠れてんと、はよ出ておいで」


 おじいちゃんに言われ、渋々店の方へ出て行く。土間に落とした視線をあげると、目があった。ぴしっ。心が固まる音がする。


「おじゃまします。雪深さん」


 今日もいい声。町家の薄暗い中でも輝くお姿。ボタンダウンのシャツにコットン素材のジャケット。きっちりとしているが、そこまでかしこまらず人様のお宅訪問にぴったりな装い。


 おまけに手には二条駿河屋の紙袋が。きっと中身は半生菓子の松露しょうろだろう。おじいちゃんの好物をきっちりリサーチ済みとは、やるなおぬし。


 服装手土産にまで、細やかな配慮。あたりの空気を払うような、清々しいまでの男ぶり。


「僕のつまみ細工をおいていただいて、ありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそ。素敵な作品に巡り合えてうれしいです。もう何点か、お嫁にいきました」


 ハンドメイド雑貨特有の言い回しで、市香ちゃんはつまみ細工が売れたとつげた。

 ハンドメイド作家にとって作品は商品というよりも、わが子同然。決して売れたと言わずに、お嫁にいくと言う。


 あるはんはその言い回しを理解してるのかしていないのか、柔和な笑顔で市香ちゃんに礼を言う。


「そやろ、わしの目利きもまだ鈍ってへん。あるはんがつまみ細工なろてるて聞いて、作品見せてもろたんや」


 おじいちゃんはどや顔をして自分の成果をアピールする。


「とてもいい雰囲気のお店ですね。イギリスのアンティークショップを思い出します」


 靴をぬぎ――ちゃんと脱いでから靴をそろえた。この人本当にスペイン人?――お店の中に入り市香ちゃんが喜びそうなことを言う。


「いやあ、ありがとうございます。うれしいわあ。私イギリス旅行でコッツウォルズのマーケットに行ってから、もうとりこなんです」


 とりこなんは、アンティークではなくあるはんちゃうの? とつっこみたくなるほどうっとりした顔をして、市香ちゃんは言った。柴田さんに言いつけるよ。


「昔コッツウォルズに住んでいたことがあります。はちみつ色の家々と羊が遊ぶ緑の丘がうつくしい街ですよね」


「そうそう、あの家がおとぎの国みたいでかわいいんよお」


 ふたりの会話を聞いていたら、私まで行きたくなってきたイギリスへ。

 あるはんは、オーク材のロッキングチェアにおかれたティディベアを、ひょいと抱き上げた。


「なつかしいチーキーだ。子供の頃持ってたのです。三歳の誕生日に両親がプレゼントしてくれて」


 グレーのモフモフの毛におおわれた、耳が大きなでこっぱちのくまのぬいぐるみを懐かし気になでるあるはん。しかし、すぐその顔は影をおびくもる。

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