第4話 『僕』と『ディスカス』

 その日は、朝からとても体が痒かった。


「うー痒い痒い」


 おかしいな。元気が取り柄というほど元気でもないけれど、病気の一つもなくこれまで暮らしていたのに、体のあちこちが痒くて仕方ない。


 朝起きた時から体に異変を感じていたけど、ちょうど「ニンゲン」たちがお店にたくさんやって来た頃に、僕はとうとう我慢ができなくなってしまった。


 あまりに体が痒くなるものだから、砂利で体を擦ったり、水槽の壁に体をぶつけたりしていると、その様子を見ていた「ニンゲン」たちは、一匹、また一匹と僕の水槽の前から遠ざかっていった。

 まるで、見ちゃいけないものを見てしまったように遠ざかっていく。


 すると、お店の奥から別の「ニンゲン」が近づいてきた。

 あの同胞を外の世界へ連れ去る大きな網を手にして――


 そしてちっぽけな僕は、いとも簡単に掬われてしまったのだ。



「――――――」



 僕を掬った「ニンゲン」は何か喋っていたけど、あいにく僕には意味がわからない。

 そのまま為すすべもなく運ばれていくと、 緑の水で満たされた水槽のなかに、力任せに放り込まれてしまった。

 もといた水槽よりも、そこはいくらか狭く、それになんだか変な色だった。

 緑色だし、臭いし、正直息をするのも苦しい。


「お前……新入りか?」

「うわっ!」


 突然声をかけられたものだから、僕はかなり驚いた。

 恐る恐る振り向くと、そこには僕よりもずいぶん大きな同胞がいた。

 薄くて丸い形の体を、砂利もしかれていない底で横になり、苦しそうに喘いでいる。

 他にも同じような仲間が水槽にいたけれど、皆じっとして動かないか、濁った目で遠くを眺めているのが殆どだ。

 元気に泳いでいるのは誰もいない。


「僕はずっとこのお店にいますよ。ところであなたの名前はなんですか?」

「名前か……ずいぶん前から誰にも言われなくなっちまったが、俺は『ディスカス』って名前だよ」

「『ディスカス』さんですか。ところで、ここはどこなんですか?ずいぶんと暮らしにくいところですけど」

「なんも知らねぇでここに来たのか。ここはな、病気のやつが来る『病院』なんだよ。それも重度の病気持ちがな」


『病院』


 なんだか怖い響きの言葉だな。

 そういえば、『ディスカス』さんの体は、あちこちに穴が空いているようだ。

 これも病気なのだろうか――


「その穴は、治るんですか?」

「……これは治らねぇよ。ここに押し込まれてからずっとこの有り様さ。もしかしたら今日で俺の命は尽きるかもしんねぇ。俺だけじゃねぇ……ここにいる奴らは、もう長くはもたねぇ奴らばっかだ。昔は、誰からも『キレイだ』『キレイだ』と、さんざんもてはやされたってのに、今じゃ誰にも見向きもされねぇ……俺達は何の為に生まれてきたんだろうなぁ……」


 僕はどうして生まれてきたのかなんて考えたこともなかったけど、その日のうちに『ディスカス』さんと仲間たちは静かに眠ってしまった。

 僕は運が良く病気が治り、もとの水槽へと戻されたけど、なんだかモヤモヤした気持ちだけが残った。


 僕はボロボロに色褪せた「ディスカス」さんしか知らないけど、本当は誰よりもカッコいい姿をしていたんだろうな。

 それなのに最後はお店の隅でひっそりと死んでしまうなんて――


 どうして僕達は生まれて、そして死んでいくのかなんてちっぽけな頭じゃわかりっこないけど、ここにはいない彼に祈る。


そんなにキレイじゃなくてもいいから、僕みたいに誰の目にもとまらなくてもいいから、次は元気な姿で生まれ変わってきますように――

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