第6話 報われぬモノ

「――だから、言ったじゃないですか。気をつけて、と。道を失ったら帰れなくなりますよ」


 どこか呆れたような少女の声に振り向くと、そこにはヨミが立っていた。


 白黒二色の給仕服。夕闇の中でも輝きの損なわれることのない白銀の髪を揺らし、どこか呆れたように細められてなお、その紺碧の瞳は美しいと思わせる。


 ヨミの右手には、その華奢な体には不釣り合いなほど長大なライフル。

 左手には、アンティークな鋳鉄されたランタンが握られている。


「……ヨミ?」

「ええ。お帰りが遅いので、お迎えに上がりました。……そしたら、住民から傷だらけで何かから逃げるように走っていた、などと聞かされて困惑したものですが」


 帰ったら治療が先ですね、とヨミはぼろぼろな沙夜を見て、困ったように眉を寄せる。


「今夜は腕によりをかけて夕食を作らせていただきましたので――」


 などと、緊張感の欠片もない話をするヨミの背後で、耐えかねたように歪なヒトガタの一体が言葉にならない叫びを上げながらヨミへと飛び掛かった。


「――あ、」


 と、沙夜が声をかけるよりも速く、ヨミは長大なライフルの銃口を歪なヒトガタへと向けると「……ファイア」と。小さく呟きながら、ためらいなく引き金を引いた。


 轟音。

 雷鳴のような銃声とともに歪な影のヒトガタの頭部が吹き飛び、霧散する。


「……うるさいですね。人が話しているときに邪魔をしないでください」


 まるで地を這う虫でも見つめるような、冷酷な瞳で一瞥しながら、ヨミは告げる。

 その視線に一瞬たじろいだように見えた影たちは、溶けるように崩れると、ぬいぐるみのもとに集まる。


『じゃま、しないで』


 ぬいぐるみに影が纏わりつき、巨大な異形の怪物へと姿を変える。

 ――それは沙夜には兎のように見えた。真紅の、ぬいぐるみの姿を模したように。


 背中へと垂れた長い耳にこちらを見つめる血に濡れたような紅い瞳。けれど、その牙や爪は刃物のように鋭く、可愛らしさは欠片もない。


 その怪物が、吼えた。

 幾重にも重なり合った声が、嘆きが、言葉にならない叫びとなって沙夜の耳朶を打つ。そのたびに流れ込んでくる〝寂しい〟という感情の嵐に、沙夜は泣きそうになりながら歯を食いしばった。


 怪物が地を蹴った。石畳がめくれ上がり、牙を剥きながら沙夜へと襲い掛かる。

 そんな怪物を見つめて、ヨミは呆れたように肩をすくめながらランタンを腰に吊るすと、長大なライフルを逆手に持ち直した。そのまま沙夜へと襲い掛かる怪物と沙夜の間へと、ヨミは何の気負いもなくその身を躍らせる。


「――え、」

「はい。せーの」


 と、緊張感の欠片もない掛け声とともに、ヨミは手にした長大なライフルをフルスイング。

 ライフルの銃床で怪物の巨体を殴りつけた。


 ごぉん、と欠片も可愛らしくない轟音を響かせて吹き飛んだ影の巨体を見送りながら、ヨミはライフルを手の中で回転させて、次弾を装填。


「ふむ。やはりあんまり効きませんね」

「……え? ヨミ?」

「はい。なんですか?」


 と、ヨミは何事もなかったかのように平然と首をかしげている。

 そんな様子のヨミを見て、自分がおかしいのだろうかと沙夜は不安になってくる。


「えっと、何をしているのかしら?」

「ご夕食ができましたので、お迎えに上がったのですけれど」


「え、ありがと。……じゃなくて、あれは何っ!? なんでぬいぐるみがあんな怪物みたいになるのよ!? どうして殴ったのっ!? どうしたらあんなの吹き飛ばせるのよ!?」


 沙夜は目の前で行われた非現実的な光景に、恐怖も何も吹き飛んで、思わず一気に捲し立てるように叫んでいた。


「……落ち着いてください」

「そんな落ち着けるわけがっ――あだっ」


 沙夜が錯乱したように叫びながらヨミへと詰め寄ると、頭突きを食らって悶絶する。


 金槌で殴られたような衝撃に、沙夜は叫びにならない苦悶の声を上げる。


「~~~~っ、いきなり何するのよっ!」

「少しは、落ち着きましたか?」

「……ぁ」


 大丈夫そうですね、とヨミは呟くと、涼しい顔で頷いている。

 何から説明いたしましょうか、とヨミは思案するように視線をさまよわせると、ゆっくりと言葉を選ぶようにして、話し始める。


「まず、あの影は歪んだ願いの成れの果てですよ。歪み、濁り、狂ってしまった願いはあのように泥のような影へと形を変える。彼らは人の迷いや悩みなどに付け込んで、惑わせ、願いを歪めて、同じモノへと引きずり込もうとするんです」


 危なかったですね、とこともなげに告げる。


「あれに呑まれたら最期、生きて帰ることはできないでしょうね。あと、ぬいぐるみがあのような姿になったのではなく、たまたま依り代がぬいぐるみだった、というお話ですよ」


 彼らの本質は歪んだ願いですから、とヨミは目を細めて呟く。


「まぁ、あそこまで意識のはっきりとしている影もめずらしいのですが」

「そうなの?」

「ええ。あれはあくまでも、残滓のようなものです。そこに意思などなく、ただ悪意を振りまく厄災みたいなものですよ」


「……あの子には、意思があったわ。寂しかった、寒かったって。ただ、一緒にいてくれる人を探していたの」


 沙夜は唇を噛む。

 ふがいないことに、自分には何の力もないのだ。一緒にいてあげることも、助けてあげることもできない。


 ヨミに頼る? そんなことができるものか。

 手を差し伸べてくれたのを、振り払ったのは沙夜自身だ。それなのに、いまさら頼るなど、そんなことはできるわけがない。


「――店内の清掃」


「え?」


 沙夜が思い悩んでいると、ヨミの声がそれを断ち切った。


「オーダーとメニューの提供。さすがにうちの味の再現は難しいでしょうから、盛り付けまででしょうか」

「ちょっと待って、何のこと?」

「ご依頼の対価ですよ? ただ働きはしません。お手伝いする代わりに、あなたには働いてもらいますよ。働かざるモノ、食うべからず、ですね」


 そう言ってヨミは微笑む。

 沙夜は彼女の言葉の意味を理解して、恥ずかしくなる。


「それで、どうしますか?」

「働くわよ。働けばいいんでしょう!」

「……まったく。あなたも、素直じゃありませんね」


 そうヨミは呆れたようにため息をこぼしながらも、沙夜には微笑んでいるように見えた。


「……うるさい」


 赤くなった頬を隠すように、ふいと沙夜は顔を背ける。

 けれど、耳まで赤くなっているモノだから、隠せてはいなかったが。そうしていると、ヨミが思い出したように、ああ、と呟きをこぼす。


「……あと、殴ったのはそこに敵がいたからですよ? あとは気合で」

「そんな登山家みたいなこと言われても……ねぇ、ヨミ。銃は殴るものじゃないのよ?」


 と、沙夜がヨミへと諭すように言うと、はて、と首をかしげるヨミ。

 きょとん、とハトが豆鉄砲を食ったような顔、とはこのことか。そう思わせるほどに間の抜けた表情で見つめてくるヨミである。


「沙夜こそ、何を言っているのですか? 銃とは殴るものでしょう?」


 どこか憐れむような微笑みを浮かべるヨミに、沙夜は頭痛をこらえるように頭を抱えた。


 そのとき、ヨミが気を抜いた瞬間を狙って、建物の影から襲い掛かってきた怪物の鉤爪を、ヨミはこともなげにかざした銃身で受け止めると、鍔迫り合いを演じながら、そっと嘆息した。


「……ごめんなさい。あなたに恨みはありませんが、仕事ですので」


 と、呟きをこぼしたかと思うと、ヨミは銃身を斜めにして怪物の腕を逸らして、銃口を怪物の眉間へと合わせる。そして、ためらいなくヨミは引き金を引いた。


 銃声とともに、撃ち出された銃弾が怪物の頭部を吹き飛ばして飛翔する。


 ヨミは反動を利用してライフルを逆手に持ち直すと、こともなげに再びライフルで怪物の巨体を打ち据える。やはり欠片も可愛らしくない轟音を響かせると、その巨体を打ち上げる。


 チンッ、と空薬莢が石畳を叩き、流れるように次弾を装填。

 落ちてくる怪物の胴体へと照準。雷鳴のような銃声とともに怪物の胸部の影を吹き飛ばす。


 怪物の、がら空きになった胴体の中に、沙夜はぬいぐるみを見た。

 紅い瞳からひとしずくの涙をこぼした、うさぎの。


 影が蠢き、そのぬいぐるみを呑み込もうとする。だが、それよりも速く、ヨミの振るった銃身がぬいぐるみを吹き飛ばして、無理やり影から引き剥がした。


 石畳へと転がったぬいぐるみへとゆっくりと歩み寄りながら、ヨミはただ、悲しそうに見つめている。


『――寂しい』


 声がする。


『――寒い。寒いよ』


 それは小さな子どもの声。


『――ここは、どこ?』


 うさぎぬいぐるみの、真紅の声がする。


『――どうして、どうして?』

『嫌だ、捨てられたくない。消えたくない』


『消えたい』『死にたくない』

『消えたく、ない』『死にたい』


『嫌だ、嫌だ、嫌だ』

『一人はもう嫌だ。寂しいのは、寒いのは』


 ああ、これは慟哭だ。

 ままならない現実に絶望した叫びだ。


 ゆらりと、ぬいぐるみの瞳が、こちらを見た。

 紅い、血に濡れたような瞳で、こちらを見た。


『どうして?』

『なんで一人にするの? まだ、いっしょにいたかった』


 泣いている。

 もしかしたら、探してくれているのかもしれない。誰かが見つけてくれるかもしれない。もし、見つけてくれないのなら、自分で探しに行けばいいと思った。


 願いは一つ。

 ――〝一緒にいてほしい〟

 ただ、それだけだったのに。


『――人間が、捨てたから』


 ぽつりと。


『お前の、お前たちの、人間のせいだ!』


 うさぎが叫ぶ。

 絶望を、慟哭を。


「一人は嫌だと、誰かに一緒にいてほしいと。その願いは理解できます」


 その叫びを聞きながら、ヨミは顔色一つ変えることもなく、告げた。

 ですが、とヨミは呟く。


「他者を傷つけてまで一緒にいようとすることには、共感はできません」


 石畳へと銃床を叩きつけて排莢。そして次弾を装填。

 銃口をぬいぐるみの頭部へと合わせる。


「少しだけ眠りなさい。――あなたの明日が、温かなものであることを祈っていますよ」


 銃声。

 事切れたように、動かなくなったぬいぐるみを抱き上げると、ヨミは目を伏せた。


「歪んでしまえば、狂ってしまえば、どんなに純粋な願いですら、こうして周りへとその牙を振るう」


 ヨミは、その紺碧の瞳に、どこか寂し気な色を灯して。

 ぽつり、と。


「――願いとは、何なのでしょうね?」



  * * *



「さて、帰りますよ」


 銃を背中に背負いながら、ヨミが手を差し伸べてくる。


 沙夜はその華奢な手を見つめながら、どうしていいのかわからなくなる。そもそも、気まずくなって喫茶店を飛び出してきたのだ。その手を取っていいのかと、沙夜が悩んでいると深いため息とともに手を引かれた。


「……ぇ、あ」

「夕飯が冷めてしまいますので、早く帰りますよ」

「あ、あの、……ありがと」


「いえ。夕飯が冷めてはもったいないので、お迎えに上がっただけですから」

そうしてヨミに手を引かれて、夜の街を言葉少なに歩く。


 沙夜の腕の中に抱かれているうさぎのぬいぐるみは、ただのぬいぐるみのように動くことも、話すこともない。


「この子は、」

「今は眠っています。かなり影としての力を削ぎ落したので、しばらく目を覚まさないでしょうね」

「そう。どうなるの?」


「そうですね。しばらくはうちで預かって、そのうち、しかるべき場所へと送ります。……そんな顔をしなくても、取って食べたりはしませんよ。ただ、輪廻へと還すだけです」


 そっか、と安堵の息を吐きながら、沙夜は微かに笑った。

 そんな沙夜を横目に、沙夜、とヨミが立ち止まって名前を呼んでくる。


「……願いとは不思議なものです。本質は同じモノだとしても、こうして歪んでしまうこともある」


 ヨミの怜悧な瞳が、沙夜の心を見透かすようにを見つめてくる。


「……私には、あなたが何を抱えているのかも、何に迷っているのかもわかりません。ですから、私にできることなど、そう多くはありません」

「……迷って、ないわよ」

「ですから、こうして影に付け込まれることもないでしょうに」

「……っ、それは」


 と、沙夜は否定しようとするけれど、言葉が出てこない。

 そんな沙夜を見つめながら、ヨミは嘆息する。


「まぁ、それでも、これだけは何度も言わせてもらいます。……悩むことも、迷うことも、どうぞお好きなだけしてください」


 ですが、と。


「逃げることだけはなきように。……そのままだと、影に呑まれてしまいますよ」


 心の隅にでも置いておいてくださいね、と告げるヨミの横顔は、夕日に照らされてどこか泣きそうに見えた。

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