Episode 2 月を目指した少女
第7話 ロケット
沙夜は、青空へと一直線に伸びてゆく一条の光を見た。
その光を追うように目を凝らしていると、青い空を背景に、ぱっと花が咲くように赤色の〝何か〟が広がった。それに目を丸くしていると、光だと思っていたものが、ゆっくりと下降してくる。
よく見ると、それは赤いパラシュートと、それにぶら下がった筒状のものだった。
「……ロケット?」
高度が落ちて、沙夜の目に映ったのはまぎれもないロケットだった。
透明な筒状の機体に、赤い尾翼の取り付けられたペットボトルのロケットが、パラシュートとともにゆっくりと舞い降りてくる。
街の住民たちは、それに驚いた様子もない。それどころか、空を見上げる様子すらない。
よくあることなのかな、と沙夜は首をかしげつつ、ぼんやりと下降してくるペットボトルロケットを見つめていると、すぐ近くに落ちてくる。
沙夜は落下地点で手を伸ばし、両手でロケットをキャッチする。
それは遠目に見るよりも、小さいように感じた。よく見ると、その尾翼には小さな文字で『Kudryavka-7』と書かれていた。
「……?」
沙夜は何と書いてあるのかわからずに首をかしげる。
考えてもわからないと、周囲を見渡してみる。
「どこかに届ければいいのかしら?」
と、沙夜がロケットを抱えたまま途方に暮れていると、
「――ごめんなさーい! あと、拾ってくれて、ありがとー!」
遠くから、そんな明るい声が聞こえた。
その声に振り向くと、大きく手を振りながら走ってくる少女の姿。サイドテールに結った栗色の髪を尻尾のように揺らしながら、沙夜のもとへと真っ直ぐに駆けてくる。
沙夜の前で勢いを落として、にっと笑うと、何かを話そうとして――むせた。
「ごほっ、ごほ。あー、ちょっと、待って、ね。ごほっ」
「だ、大丈夫?」
少女の背中をさすりながら、沙夜は苦笑い。
「大丈夫だよ」
たはは、と屈託のない笑みを浮かべて、頬を掻いている姿はどこか愛嬌がある。
乱れた息を整えてから、ふう、と少女は落ち着けるように息を吐くと、にっと笑った。
「いきなりごめんね。ロケット拾ってくれてありがと。パラシュートはあったけど、怪我はなかった? それと……って、およ? ああ、キミが最近この街に迷い込んだ迷子ちゃんか」
好奇心に飢えたような栗色の瞳が、優しく細められる。
「私のことを知ってるの?」
「まぁ、広いようで狭い街だからねぇ。それに、私の情報網を舐めてもらっちゃ困るね」
ふふん、とない胸を張りながら、少女はどこか誇らしげ。
初対面で言われても、はぁそうですか、としか言いようがないけれど、とりあえず頷いておく。
「なんで迷い込んだのかは知らないけどさ、ヨミのところでお世話になってるなら、心配はいらないよ。……あの子が手を貸してくれる。そしたら、上手くいくはずだから」
「ヨミのことも知ってるの?」
「もちろん。この街の住民でヨミのことを知らないモノはいないんじゃないかな? それにさ、ヨミは私の恩人だもん」
少女は懐かしむように目を細め、はにかんだ笑みを浮かべる。
「あ、自己紹介がまだだったね。私はハルカ。キミは?」
「えと、私は沙夜、です」
「そっか。沙夜ちゃんね。よろしく!」
ためらいなく手を差し伸べてくるハルカに戸惑いながらも、沙夜はその手を握り返した。
すると、ハルカはうれしそうに破顔する。
「ふふ、うれしいものだねぇ。こうして新しい人と出逢えるっていうのは」
この街は色んなモノたちの出入りが激しくて、とハルカは苦笑する。
「ハルカ……ちゃん?」
「ハルカでいいよ。ちゃんづけなんてされると、面映ゆいというか、落ち着かないだよね。あ、敬語もなしね?」
「えっと、それじゃ、このロケットはハルカの?」
「そうだよ。『クドリャフカ七号』」
「くど……?」
聞きなれない名前に、沙夜は首をかしげる。
「クドリャフカ。最初に宇宙へと飛んだ犬の名前だよ。……まぁ、正確にはちょっと違ったりするんだけどね。ライカっていう犬種の犬で、どうにもその頃は情報が錯綜してて……っと、ごめんね」
好きなことの話になると止まらないんだよね、とハルカは苦笑をこぼした。
そうして、沙夜の腕の中にあるロケットの機体をそっと撫でる。
「まぁ、その犬の名前を借りたんだ。この子は七機目。だから『クドリャフカ七号』」
「ああ、この尾翼のところの文字は、クドリャフカの七番っていう意味なのね」
沙夜はそう言って、尾翼に書かれている『Kudryavka-7』の文字を指す。
「うん。そうだよ。クドリャフカの話もそうだけど、宇宙はいいよ。いろんな神秘に満ちてる」
そう言って笑うと、あ、と面白いことを思いついたというように、栗色の瞳を輝かせる。
そして、俊敏な動きで沙夜の手を取ると、ぐっと顔を近づけてくる。
「沙夜ちゃんも一緒に来る? これからロケットの打ち上げをやるんだよ! この子みたいな簡単なものじゃなくて、ちゃんとしたロケットだよ! 水じゃなくて、ちゃんとした燃料で飛ばすから、迫力も満点だよ! それにそれに――」
「え、えと。ハルカ?」
思わずのけぞりながら、沙夜はハルカを押しとどめようとする。
「おっと、たはは、ごめんごめん。昔からの癖でねぇ。でも、おすすめだよ。めったに見られるものじゃないからね」
「それもそうね」
「ここは難しい法律とかもないから、自由に飛ばせるのがいいよねぇ。日本とかだと、いろんな免許やら、許可だとか必要で面倒なんだよねぇ」
困ったものだよ、とハルカは肩をすくめる。
「まぁ、無理強いはしないよ。どうせなら観客がいたほうが盛り上がるかな、って理由だし」
「ぶっちゃけたわね」
「なはは、キミを騙したって私には何の得もないからね」
「それなら、お邪魔してもいい?」
「もちろん!」
にっと笑うと、ハルカ沙夜の手を引いて歩き出した。
サイドテールが左右へと尻尾のように揺れていて、わかりやすいな、と沙夜はくすりと笑みをこぼした。
今日も変わらず、終わりの街は賑やかだ。
色々な姿形のモノたちが歩き、あちこちで客引きの声や、楽器の演奏、歓声などが聴こえてくる。最初は戸惑ったものだけれど、慣れとは恐ろしいもので、沙夜はすっかりと、その風景を〝自然な〟ものとして、受け入れてしまっている。
「おやおや、お嬢さん。お散歩ですかな?」
聞き覚えのある特徴的な声に振り向くと、そこには猫の露天商が、にやにやとした笑みを張り付けて立っていた。
「……ああ。猫の」
「ええ。猫でございます。どういたしましたか? その『ああ、面倒くさいやつに会った』みたいなお顔をされて」
「心を読まないでくれるかしら?」
「はっはっは、これは手厳しい」
猫の露天商は、芝居がかった仕草で、これまたわざとらしく笑う。
「それで、こんなところにお一人で、何かお探しですかな?」
「ひとり?」
「ええ。お一人ではないのですか? 何やらめずらしいものを持っておりますが、喫茶店のお手伝いですかな?」
首をかしげる猫の露天商を尻目に、沙夜は隣に立っているハルカを見た。
すると、ハルカは悪戯が成功した子どものように、満面の笑みである。
「どうかなされたので?」
と、猫の露天商が問うてくる。
にやにやとした笑みを張り付けたままなので、からかわれているようにしか見えなくて、そっと沙夜は握った拳を掲げて見せる。
「からかってる?」
「い、いやいや、滅相もない!」
「じゃ、この子のことは見えてないって言うの?」
ハルカとつないだ手を引きながら、猫の露天商に尋ねる。
すると、
「この子、とは?」
猫の露天商は目を細めて、首をかしげるばかりである。
じっと、猫の露天商の金色の目を覗き込んでみるも、嘘をついている様子はない。
まるで、本当に見えていないかのように。
「だから、ハルカのことが――」
「沙夜ちゃん。彼の言っていることは本当だよ。彼に私は見えない」
「え、それって」
「んー、ちょっとややこしい話なんだよねぇ。あとでゆっくり説明するから、先に行ってるよ」
ひらひらと手を振って、ハルカは早足に歩いて行ってしまう。
その背中に首をかしげつつ、沙夜はため息をこぼした。
「ハルカ殿、と申しましたかな?」
「ええ。ロケットを飛ばしてる女の子よ」
「もうそんな季節でございますか。早いものですな」
そう言って、猫の露天商は金色の目を細める。
「どういうこと?」
「この街の、恒例行事みたいなものでございますよ。ヨミ殿が、ご友人の命日にロケットを打ち上げるのです。そのご友人のお名前が、ハルカ殿なのです」
お姿を拝見したことはありませんが、と苦笑する。
「ご本人も、こちらにいるようですが、
そういうことがあってもおかしくない街ですからな、と猫の露天商は肩をすくめる。
「どうぞ、
「ごめん。詳しいことはまた今度!」
沙夜は猫の露天商に謝ると、人ごみにまぎれそうなハルカの背中を追いかける。
そうしてゆっくりと歩いていたハルカへと追いつくと、にへへ、と楽しそうな笑みを浮かべられる。
「びっくりしたかな?」
「ええ。そうね。この街の幽霊さん?」
「へ? 幽霊?」
ハルカは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
その顔がおかしくて、沙夜は笑みをこぼした。その笑みに、ハルカは頬を膨らませると、不満げな視線を向けてくる。
「沙夜ちゃん。キミがそんないじわるな子だとは思わなかったよ」
「そんなことないわよ」
「そうかなぁ? まぁ、いいや」
あっけらかんと、ハルカは話題を放り投げる。
「私のことは、説明が難しいんだよねぇ」
ハルカは悩むように眉を寄せると、んー、と唸る。
「えっと、まず、私はこの街だと、ちょっと特殊な存在なんだよ」
「特殊? この街の住民じゃないの?」
「違うよ。私はこの街の住民じゃない。そして、終えたモノでもない。……あ、でも、生きてもいないよ?」
沙夜の心を読んだかのように先回りして、ハルカは自身を生者ではないと断言する。
「なんていうのかな……失敗作。偽物。あー、成り損ない? うん。ここはそう呼ぼうか。私は〝夢の欠片〟の成り損ないなんだよ」
どういうこと、と沙夜が眉を寄せると、ハルカは苦笑する。
「沙夜ちゃんは、〝夢の欠片〟について、どのくらいのことを知っているかな?」
「たしか、終えたモノたちが次の生涯に持ってくもので、誰かの思い出? を借りて、なんか願いを叶えてくれるもの」
「そうだね。どうして願いを叶えてくれるのか、とか、よくわからない説明は置いておくとして」
私もよくわからないし、とハルカは笑う。
「欠片はきっと、誰かの思い出で、後悔で、願いなんだよ。次の生涯へと生まれ変わるとき、みんなはそれを残していく。たとえば『宇宙飛行士になりたかった』だとか『月に行きたい』だとか、ね」
ハルカはじっと、自分の手のひらを見つめる。
「そういう願いがさ、その人の思い出を借りで欠片として形になるんだ。〝私は叶えられなかったけど、誰かが叶えてくれますように〟って」
そうしてさ、とハルカは微笑む。
「願いは循環して、いつか、誰かが叶えるんだよ。人類が、月へと手を伸ばして、その地に足跡を刻んだようにね」
そうだったら素敵じゃない? とハルカは笑った。
そうね、と沙夜は頷きを返す。
「私にはさ、未練というのかな、〝ハルカ〟として、やり残したことがあるんだよ。だから、ちょっとズルをして、欠片にしがみついてる感じかな? まぁ、そのせいで、〝夢の欠片〟として形を得られず、かといって、消えることできない、みたいな感じ」
やっぱり説明は難しいね、と苦笑する。
「そんな曖昧な存在だから、見えたり見えなかったりするんだよ」
こともなげに、ハルカは笑った。
「まぁ、無理して残っているから制約も多くて困っちゃうけど、私のやりたいことはできるし、満足はしてるかな」
「だから、猫の露天商には見えなかったのね」
「そうだね。私のことが見える沙夜ちゃんが特別なんだよ。スペシャルだね。かっこいい!」
ぐっと、親指を立てて満面の笑みを浮かべるハルカに、沙夜は苦笑してしまう。
そんな話をしているうちに、二人は街を一望できる高台の広場へと辿り着いた。
そこには、何やらごちゃごちゃと工具やよくわからない機械が並んでおり、広場の端には発射台と思われる台座が置かれている。
さてさて、とうれしそうな笑みを浮かべて、ハルカは発射台を背に、両手を広げた。
「――『星見の会』の発射台へ、ようこそ!」
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