第4話 ふたりの迷子

 喫茶店を後にして、沙夜は何をするでもなく終わりの街を歩いていた。


 沙夜が街の中心にあるメインストリートに差し掛かると、そこかしこから値引きの交渉や店じまいをするモノたちの声が聞こえてくる。夕暮れに染まる中、店じまいをする姿は祭りの後のような寂しさのある光景だった。


「おやおや、昼間のお嬢さんではないですか。喫茶店は見つかりましたかな?」


 聞き覚えのある特徴的な胡散臭い声に振り向くと、そこにはにやにやと笑みを張り付けた猫の露天商がいた。大きな鞄を背負っており、どうやらそこに露店道具がしまわれているようだった。


「ああ、猫の」

「ええ。ええ。猫でございます。それでどうかしましたかな? そんなに浮かない表情で。喫茶店は見つからなかったのですか?」


「……何でもない。あと、喫茶店にはちゃんと着けたわ。一応、ありがとう」

「それはよかったですな。私も店がありましたゆえ、案内できませんでしたので。どうなったのかと心配していたのですよ」

 

 にやにやと、猫の露天商は笑みを深める。

 その笑みのせいで、どうにも心配していたようには見えないものだから、沙夜は苦笑を浮かべてしまう。


「本当かしら?」

「疑うなんてひどいですな。心配しておりましたとも」


 にやにやと。


「……喫茶店の場所は教えてくれなかったのに?」

「何を言いますか。あれは教えないほうが面白そ――こほん。教えないほうが、あなたのためだと思ったのですぞ」

「殴ってもいいかしら?」


 握りこぶしを見せながら、沙夜は笑った。


「はっはっは、夕日がきれいですなぁ」


 大仰に両手を広げながら、猫の露天商も笑った。


「――消えなさい」

「ちょ、暴力反対!」


 沙夜が拳を振りぬくと、猫の露天商は叫びながらそれを避ける。


「……なんで避けるのよ」

「痛いのは嫌ですからなぁ」


 沙夜が不満げに唇を尖らせると、悪びれた様子もなく彼はそんなことをのたまう。

 これは何を言っても無駄だと悟った沙夜は、ため息をこぼしながら拳を下した。


「……まったく。あなたはもう店じまいなの?」

「ええ。もうじき夜ですからな。〝欠片〟ではなく、〝夢〟を売りに移動です」

「……それは、何が違うのかしら」


「簡単に言えば〝欠片〟は終えたモノたちへの品で、〝夢〟は生きているモノたちへ品ですな。これからは〝夢〟売りの時間ですので」


 と、猫の露天商は背負った露店道具を指しながら笑った。


 よくわからないけれど、どうやら彼は終えたモノではなく、生きるモノへと商品を売りに行くらしい。ヨミの言っていた、生者の夢とつながる、ということと関連があるのだろうか。


「おや? そちらはお連れさんで?」

「え?」


 猫の露天商が目を向けるほうへと振り向くと、そこには沙夜のスカートをぎゅっと握った女の子。


 沙夜の、知らない子である。

 夕日によって地に落ちた影のように真っ黒な髪と、紅玉を思わせる真紅の瞳が印象的な子だ。迷子にでもなったのか、不安に揺れる真紅の瞳で、じっと縋るように沙夜のことを見つめてくる。


「えっと、どうしたのかしら?」

「ないの」


 ぽつり、と。

 女なの子が、何事か呟きをこぼした。


 何かを言おうとしている様子に、沙夜はじっと話してくれるまで、根気よく待つことにする。


「なくしちゃったの」


 ぎゅっと。女の子は沙夜のスカートを握る手に力をこめる。


「……なくしちゃった。だいじな、ぬいぐるみ」


 じわりと、女の子の紅い瞳に涙がたまる。

 沙夜は慌ててしゃがみ込みながら、ハンカチで女の子の涙を拭いてあげる。


「あー、泣かないで。ほ、ほら、猫さんもいるよ」

「へ? あ、ね、猫さんですぞー」


 沙夜が話を振ると、猫の露天商は慌てて笑みを浮かべる。にやにやとした笑みを。


「……なんか、こわい」

「ぐはっ」


 女の子の素直な言葉に、胸を押さえて倒れこむ猫の露天商。なんて使えない。

 そうこうしていると、また女の子の瞳に涙がたまる。


「……うぅ、ぬいぐるみ」

「そ、それじゃ、私が一緒に探してあげるから。……ほら、泣かないで」

「……ほんと?」

「もちろん。もうすぐ日も暮れるし、さすがに放っておけないわよ」


 不安そうに聞いてくる女の子の頭を撫でながら、沙夜は困ったように眉を寄せつつ肩をすくめた。


 それに驚いたような表情を見せると、すぐに女の子はうれしそうに表情を綻ばせる。


「……あり、がと」

「ええ。私は沙夜っていうの。あなたのお名前は?」

「……真紅しんく


「そ、きれいな名前ね。真紅ちゃん。失くしちゃったのは、どんなぬいぐるみだったの?」

「……うさぎ」


 と、少しずつ女の子の話を聞きながら、沙夜は情報を整理する。


 この子の探しているのはうさぎのぬいぐるみで、失くした場所はわからない。この街へと来るときにはあったけど、気がついたらなくなっていたらしい。


 猫の露天商にも訊いてみたけれど、そんなぬいぐるみは見ていないとのことで、手がかりはほとんどない。


「ああ。申し訳ございませんが、そろそろお暇させていただきますな」


 にやにやと笑いながら申し訳なさそうにする、という器用なことをしながら、猫の露天商はそう言って露店道具を背負いなおす。


「そうね。引きとめて悪かったわ」

「いえ。お気になさらず。他の露店の店主にも訊いておきますな」

「よろしく」


 ではでは、と立ち去ろうとした猫の露天商はふと立ち止まって、ああ、と思い出したようににやりと笑った。


「どうか、影にはご注意を。心を強く持つことが肝心ですぞ。……その子と一緒に探すのもよいですが、あなたも一緒に迷わぬようにお気をつけください」

「……なんのこと?」


 と、沙夜が訊こうとすると、猫の露天商は早足にいなくなっていた。

 影がどうかしたのだろうか、と沙夜は夕日によって伸びた影へと視線を落とした。そこには真紅と並んで二人分の影が伸びるばかりで、おかしなところはない。


 すると、ゆらりと身じろぎでもするかのように、真紅の影が不気味に揺らめいたような気がした。


 え、と沙夜が影を注視していると、スカートが引かれる。


「……お姉ちゃん、どうしたの?」


 真紅が不思議そうに首をかしげながら、見上げてくる。

 ああ、ごめんね。と沙夜は真紅へと謝りながら、ちらりと影へと視線を向ける。錯覚だったのか、そこには何の変哲もない二人分の影があるだけだった。


 ヨミたちが脅かすから、と沙夜は呆れたようにため息をつきながら、真紅ちゃん、と声を掛ける。


「それじゃ、行きましょうか」


 そう言って、沙夜が手を差し伸べると、きょとん、と真紅はした表情を見せる。


「ん、どうしたの?」

「……な、なんでも、ない」


 少し頬を赤くしながら、真紅は頷いて沙夜の手を握り返してくれる。

 その手はひんやりと、冷たかった。


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