第3話 〝願い〟
「なるほど。それでもといた世界に帰る方法を探している、と」
自動人形を自称する少女――ヨミは、珈琲を淹れながら呟きをこぼした。
あれから、沙夜はカウンター席に案内されると、ご注文は? と問われたので、とりあえず珈琲を注文してから、自己紹介とともに事情をかいつまんで説明した。
その説明はたどたどしくて、沙夜自身も何を言っているのかわからなくなるようなものだったけれど、ヨミはおおよその事情を理解してくれたようだった。
沙夜が頷きを返すと、そうですね、とヨミは思案するように目を伏せる。
上質な絹のような銀髪が頬に掛かるのを見つめながら、沙夜は自身の癖のある黒髪を指先でいじる。手入れは欠かしていないけれど、ヨミの人形のような、いや、本人曰く自動人形である彼女の美しい髪には敵わないな、と少し唇を尖らせた。
沙夜の髪もまた、ヨミとは対となるような美しい鴉の濡羽色をしているのだが、それとこれとは別なのである。
なんて、じっと見つめていると、ヨミが身じろぎする。
「そんなに見つめられると、さすがに居心地が悪いのですが」
「ご、ごめんなさい」
沙夜は慌てて謝りながら、失礼だったかな、と思った。
けれど、この自動人形を自称する少女はさして気にした様子もなく、いえ、とかぶりを振る。
珈琲を沙夜の前へと差し出しながら、その紺碧の瞳でじっと沙夜のことを見つめてくる。
「気になりますか?」
「そりゃ、どうしたらそんなきれいな髪を保てるのか気になるわよ」
隠すこともないので素直に言うと、ヨミは青色の瞳を瞬かせる。
「……髪、ですか?」
「ええ。あ、その触り心地のよさそうな肌も気になるわ。柔らかそう」
沙夜が真面目に答えていると、ヨミは不思議そうに首をかしげる。
「自動人形とは何か、とは訊かないのですね」
「気にならないって言ったら、嘘になるわ。いきなり自動人形だと言われても、はいそうですか、と受け入れられないわよ」
でもね、と沙夜は苦笑を浮かべる。
「それを訊かれて、楽しいものでもないでしょう? 〝どうして、人間なのですか?〟って訊かれるようなものじゃない」
困るでしょ? と肩をすくめてみせる。
そんな沙夜に、ヨミは微かに微笑した――ような気がした。そうして、おもむろに手のひらを沙夜のほうへと向けてくる。
「腕から機関銃でも取り出せば信じてもらえるでしょうか」
「え”」
「冗談ですよ」
にこりともせずに、そんなことを言ってのける。
冗談に聞こえなくて、沙夜は頬が引き攣るのを感じた。そんな沙夜を見て、ヨミは微かに目を細める。
「お気遣いありがとうございます」
「……別に。感謝されるようなことじゃないわよ。私が好きでやってるの」
真っ直ぐに感謝されて、沙夜は赤くなった頬を隠すように視線を逸らすと、ヨミの淹れてくれた珈琲を口にして顔をしかめた。
さて、とヨミが呟きをこぼして、沙夜を見る。
「あなたの帰りたいという望みを叶えるために、まず、この街がどのような場所であるかをご説明いたしましょうか」
沙夜はコーヒーカップをカウンターに置くと、居住まいを正した。
「まずは、そうですね。この街について、あなたはどの程度知っていますか?」
「そうね。ここが死後の世界じゃなくて、そこに行く途中にある場所だってことくらいかしら。それと、願いを選ぶ場所だとも聞いたわ」
街のモノたちから聞いたことを伝えると、十分です、とヨミは満足そうに頷いた。
「この街は、終えたモノたちが次の生涯へと、どのような〝願い〟を持っていくのかを選ぶ場所です。この街で売られている〝夢の欠片〟は、そのためのものです」
この街の住民は〝夢の欠片〟の仲介人ですね、とヨミは微笑む。
「生死の境界にあることで、存在自体が曖昧な場所ですから、あなたのように何かの拍子で迷い込むモノが現れます」
身を持って、その事実を知っているから、沙夜は深く頷きを返した。
「本来なら生者がこの街へと来るためには夢を介するしかありません。この街は、夜になると生者の夢とつながりますので。ほら、よく耳にするでしょう? 夢の中で亡くなった人と会った、と」
それは夢の中でこちらへと来ているのですよ、とヨミは言う。
「まぁ、この街で本人に会ったのか、その人の夢を見ているのかはわかりませんが」
「……死んだ人には会えないということ?」
「いえ、会えないわけではありません。……まぁ、いつでも会えるわけではありませんが。良くも悪くも、ここは通過点なのですよ。とどまる場所ではありません」
「会えるのは、その人がこの街にいる間だけ、ってことね」
沙夜が呟きをこぼすと、ええ、とヨミが頷く。
簡単な話だ。会おうとしても、そこに相手がいなかったら会うことなどできない。
「それなら、死後の世界からこっちに来ることもあるの?」
沙夜の問いかけに、いいえ、とヨミは首を振った。
「一度、輪廻へと還ったモノたちが戻ることはありません。この街で願いを手にして、旅立ちます。その眠りから覚めるとき、それは次の生涯が始まるときですから」
「終えたモノたちは、この街にいることはできないの?」
「できるかできないか、ということでしたら、できますよ。ですが、この街へと来るモノたちはその肉体を失っていますから、存在を維持することが難しいのです。とどまり続けられるような存在は稀ですね」
普通は存在を維持する方法なんて知りませんからね、とヨミは肩をすくめる。
「それなりの対価を払えば、この街の住民としてとどまることもできます。……まぁ、それもまためずらしいのですけれど」
苦笑するような声音で、ヨミは呟きをこぼした。
その青い目には、懐かしむような色が浮かんでいて、沙夜の知らない何かを思い浮かべているようだった。
「本来、終えたモノとあなた方生きるモノが交わることはありません。ですが、この街だけは例外です」
願いの叶う場所なんて呼ばれたりもしますからね、とヨミは目を伏せる。
「この街では終えたモノも、生きるモノも、この街では交わることができる。それは夢であったり、あなたのように迷い込んだりすることもあります」
けれど、と。
ヨミのその一言で、一瞬、沙夜にはすべての音が止んだような気がした。
「この街へと迷い込むモノたちには共通点があります。それは現実では叶わないような〝願い〟を抱いていることです。……この街には〝願い〟が集まる性質がありますから」
ヨミの言葉に、沙夜は心臓が跳ねるのを感じた。
心拍数が上がり、ざぁと耳鳴りがする。
「あなたも何かしらの〝願い〟を抱えているはずです。それも、あなたの世界では叶えられないような、そんな〝願い〟を。……心当たりはありませんか?」
「ないわ、そんなもの」
沙夜は吐き捨てるように、そう言った。
自分でも驚くほどに、心がざわつき、ささくれる。そんな沙夜を、ヨミは感情の見えない硝子玉のような瞳で見つめてくる。
「何か、悩んだりしていませんか?」
「ないわ」
「何か、迷っていたりしませんか?」
「ない」
「何か、」
「何もないわよっ!」
しつこく訊いてくるヨミの声を遮るように、沙夜は叫んだ。
これ以上は詮索するなと、沙夜はヨミを睨みつけるけれど、彼女は変わらず、ただじっと沙夜の心を見透かすように見つめてくる。
「では、最後に一つだけ」
ふっと、息を吐いて、ヨミは目を細める。
「……こちらに来たとき、何か持っていませんでしたか?」
沙夜は思わず息を呑む。
慌ててポケットに手を伸ばし、封筒があることを確認してから、はっとする。
「心当たりがあるようですね」
「……こ、これは関係ないわよっ!」
明らかに動揺している沙夜の様子をじっと見つめると、ヨミは嘆息した。
「……わかりました。私が無神経でしたね。申し訳ございません」
そう言ってヨミは頭を下げる。
そこでようやく、沙夜は自分が冷静さを欠いていたことを自覚して、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「悩むことも、迷うことも、どうぞ好きなだけしてください。ただ、これだけは言っておきます。……逃げることだけはなきように」
無事に帰りたいのなら、とヨミは沙夜へと告げる。
「こちらであなたが帰る方法を探しておきますので、見つかるまではここの二階の部屋を使ってください。それほど広くはありませんが、そこは我慢してください」
それと、と呟きながら、ヨミは何かを取り出した。
その手のひらには、一本の紐に通してひとまとめにした銀色の鍵と、蝶の意匠のあしらわれた髪飾り。
「部屋の鍵です。少しばかりあなたのために細工をしてあるので、失くさないようにしてください。あと、こちらの意匠を見せればここの関係者だとわかるはずですので……見せて脅せば、力になってくれるでしょう」
役に立つかは知りませんけど、とさらりと吐かれた毒に、沙夜は頬を引き攣らせる。
「あなたの行動を制限するつもりはありませんので、ご自由にしてくださって結構です」
ああ、でも。と。
「夕飯を作りますので日暮れまでにはお戻りください。夕刻、時計台の鐘が鳴ったら帰るころだと判断していただければ大丈夫です」
そこまでをヨミは早口に告げると、空になっていた沙夜のコーヒーカップを回収する。
「……ありがと。ごちそうさま」
と、素っ気なく言いながら沙夜が部屋の鍵を受け取って席を立つと、ああ、とヨミが呟きをこぼした。
「……なに」
「出かけるのでしたら、くれぐれも、影にはお気をつけください。
――優しさは美徳ですが、夕闇に手を引かれ、あなたも一緒に迷わぬように」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます