2.魅惑のクラスメイト




 ──制服を着た学生たちが、ひしめき合いながら改札口を目指し階段を上ってゆく。


 あのショートボブの美少女をぼんやり見送っていたら、ちょうど反対方面からの電車も到着し、駅構内は制服の群れでますますごった返した。

 流されるような形で、俺も階段を上り始めたところである。


 上級生だろうか、友だち同士で仲良く喋りながら歩く人たちがちらほらいる。

 俺にもこんな風に、気の置けない友だちができるだろうか……

 などと考えながら改札口を目指していると。



 ──ズルっ!



 と、足を滑らせ、前につんのめった。

 俺……ではなく、目の前にいる女子生徒が。



 瞬間、俺には世界がスローモーションに見えた。

 たなびく長い黒髪。

 宙に浮く学生鞄。

 放り出される左足のローファー。

 そして……


 ……眼前に広がる、スカートの中身。



 俺にとっては長い長い時間のように思えたが、実際にはほんの一瞬の出来事だったのだろう。ぱんつの……否、黒髪の女子生徒は階段上で、正面から豪快に倒れ込んだ。

 周りにいた学生たちも、驚いてそちらを見るが……



「………………」



 転んだ女子生徒は、倒れたままピクリとも動かない。



「だ……大丈夫、ですか?」



 いの一番に声をかけたのは、他でもない俺だった。

 だってこんな目の前で倒れたわけだし……スカートの中身を見てしまった罪悪感も、少なからずあるし。


 俺が声をかけるなり、周りで様子を見ていた学生たちが「あとはよろしく」とでも言うように去っていく。なんだよ、冷たい連中だな。


 正面に回り、「あのー……」と声をかけながら覗き込むと……倒れたままの女子生徒は、もそっとした動きで頭を上げた。


 無表情ではあるが、可愛らしい少女だった。

 黒目がちな瞳。くっきりとした二重まぶたが少し眠そうに、ともすればミステリアスにも見える。

 陶器のような肌は、おさげにした艶やかな黒髪と相まって、ことさら白く強調されていた。

 その、白いおでこから……


 ……現在進行形で、たらりと、赤い血が流れていた。



「……血! 血が出ています! 早く止血しないと!!」



 慌てて指さす俺に、黒髪の少女はやはり緩慢な動きで額に手を伸ばし、血を拭う。

 痛みからか少し涙の浮かんだ目で、血の付いた手をまじまじと見つめてから……



「……ほんとだ」



 ぼそっ、と小さく呟いた。

 いや、そんなもっさりしている場合じゃねーから!



「駅の窓口行って、絆創膏もらいましょう! 立てますか?」



 落とした彼女の鞄を拾いながら差し出した俺の手を、やはり無表情のまま取り、黒髪少女はゆっくりと立ち上がる。

 そのまま、まばらになった学生の群れの最後尾について階段を上り、改札横の窓口へと向かった。


 駅員に事情を説明し、いまだ彼女の額から流れる赤い血を見せると、すぐにガーゼと絆創膏をくれた。

 俺はガーゼで血を拭き取ってから、絆創膏をぺたりと貼り付ける。幸い、傷は浅いようだった。



「これでよし。あくまで応急処置だから、学校に着いたら保健室に行った方がいいですよ。亜明矢学院の生徒、ですよね?」



 俺の問いに、黒髪少女はこくんと頷く。

 俺は預かっていた鞄を差し出しながら、



「付き添わなくて大丈夫ですか? 目眩とかは?」

「……ない。平気」



 短く答えると、彼女は鞄を受け取り……

 じー……っと、無言で俺の顔を見つめてきた。



「な……何か?」



 戸惑う俺に、彼女は瞬きを二回、した後に、



「………ありがとう。また、学校で」



 無表情のまま、平坦な声音でそう告げると。

 同じ制服の群れに紛れるように、歩いて行ってしまった。






『また、学校で』



 いい響きだなぁ……と、学校に向かって歩きながら、先ほど出会った二人の少女を思い出す。


 可愛かった。タイプは違うが、二人ともかなりの美少女であった。

 登校初日から、美少女二人と遭遇するイベントが降りかかってくるとは……幸先の良さしか感じない。


 だが。

 と、俺は浮かれそうになる自分に釘を刺す。


 同じ亜明矢学院の生徒と言えど、クラスはおろか学年もわからないのだ。もしかしたら上級生だったかもしれない。そうなったら、よほどの接点がない限りは『また、学校で』ゆっくり会えることなど無いに等しいだろう。


 無用な期待は身を滅ぼすだけだ。久しぶりに発生した同世代女子との接触を、キョドらずにクリアできた。それだけで良しとしておこう。



 なんて言い聞かせながら、自分の教室──1―Aの扉を開けた。

 ………直後。



 ……ひょっとしたら、この世には本当に『神』とかいうやつがいて、今まで頑張ってきた俺にご褒美をくれたのではないか?



 そんな都合の良い考えが脳裏に浮かぶ。

 だって、先ほど出くわした美少女たちが……



 二人とも、1―Aの教室で、席に着いていたのだから。




 * * * *




 高校生活最初の時限は、LHRロングホームルームだった。

 1―Aのクラスメイトとなった面々が、一人一人教卓の前に出て簡単な自己紹介をしてゆく。

 俺は名前と出身中学、趣味は読書(その実態は漫画とラノベだが)であることを告げ、席に戻った。背筋を伸ばし、自然な表情で話すことができた……はずだ。


 さて。

 気になるのは、今朝の美少女二人の名前である。


 先に順番が回ってきたのは、痴漢まがいの被害を受けていたショートボブの少女。

 彼女は教卓の前に立つと、教室中を照らす程の眩しい笑顔を浮かべて、



「はじめまして! 烏丸からすま芽縷めるといいます。遠いところからこの高校へ進学してきたので、わからないことだらけですが……東京のこと、いろいろ教えてくれると嬉しいです。よろしくお願いします!」



 ぺこっ、と頭を下げる。その所作は、礼の角度から指先の伸ばし方に至るまで、まるで計算され尽くしたかのように可愛い。

 拍手を送りながら、周りの男子たちが『俺が東京のなんたるかを教えちゃる……!』と息巻いているのが手に取るようにわかる。

 俺の邪悪な姉たちはこういうのを見て『あざとい女』と舌打ちをするのだろうな。うるせぇ、男はあざと可愛いのが好きなんだよ。


 しばらく他の生徒たちの自己紹介が続き……

 名前順の最後の方。例のぱんつの……否、黒髪の少女の番が回ってきた。

 保健室に寄ったのか、おでこには俺が貼った絆創膏より大きいガーゼがテープで固定されていた。

 彼女はやはりもっさりとした動きで教卓の前に立つと、眠そうな目で教室を見回し、



「……煉獄寺れんごくじ薄華はっか。よろしく」



 とだけ言って、上履きをペタペタ鳴らしながら、元いた席に戻った。

 先ほどのショートボブの彼女……烏丸とは対照的な愛想の無さである。整っているのに無表情なその顔は、まるで人形のようだ。これはこれで、その手の魅力があるが。


 ともかくこれで、二人の名前がわかった。

 烏丸と、煉獄寺か。

 まさか同じクラスだとは思わなかったが……これも何かの縁だ。仲良くなれるといいな。


 ……いや、しかしここで「今朝はどーも! これからもよろしくな!」などとグイグイ攻めては、かえって引かれかねない。クラスメイトなのだから、慌てず、自然と、少しずつ距離を縮めるとしよう。


 ……と、長らく続いた孤立陰キャの経験から、新たな人間関係を構築するのにかなり保守的になっている自分に気がつく。仕方ないだろ。繊細なんだよ、俺は。



 結局、その日は烏丸と煉獄寺にこちらから話しかけることはせず、俺は近くの席にいた男子数名としゃべったり、食堂で飯を食ったりして過ごした。

 烏丸は既に何人か友だちができたようだが、煉獄寺は一人でぽつんと座っていたな。まぁ初日だし、その内煉獄寺もクラスに打ち解けるだろう。

 なんて、人の心配できるような立場ではないのだが。



 そうして、俺の高校デビュー初日は、平穏に幕を閉じたのだった。


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