入社二年目 鈴木の場合

 今日も自販機の前に立っていた。


 次の日も、その次の日も立っていた。

 ……来ない。

 あいつ、全然来ないぞ。


 あいつというのは俺の数少ない後輩、鈴木のことだ。

 なんとかエンジニアとか言ってプログラム関係の仕事をやっているらしい。

 その辺り詳しくないから内容までは把握していない。

 ただ、今回の計画は彼が居ないと始まらない。

 だからねぎらいの意味も込めて、彼にはコーヒーの一つくらい奢ってやりたい。

 これは本心だ。


 だというのに。

 あいつは自販機の前に姿を表さない。

 ていうか出社してから持ち場を離れているのを見たことがない。

 昼食も机で食べている。

 社内引き篭もりという言葉を生み出したのが彼だ。

 一度椅子に座ると根付いたように動かない。


 待てど暮らせど鈴木がやってくる気配は一向にない。

 今日こそは、と意気込んでも後輩のコの字も現れる気配がない。



「いてててっ、な、何ですか先輩。こんなところに連れ出して」

 ある日、堪忍袋の緒が切れた。

 無理やり自販機の前まで連れ出してやった。


 俺は自販機を指差し、次いで鈴木を指差す。

 口をぽかんと開けて本気でわけがわからないという表情を浮かべる。


「オレ、オゴル、オマエ、ノミモノ」

 何故か片言で言ってしまった。

 俺は心優しきゴリラか。


「え、先輩に奢らなきゃいけないんですか? なんで」

ちげーよ! 俺が奢るって言ってんの! いいからほら、選べ」

 手の平を広げ、もうホカホカビショビショになった硬貨を鈴木に見せる。

 客観的に考えると、自分でも若干気持ち悪いと思う。

 じゃあ相手の気持になって考えたら、なんてのは今は考えたら負けだ。


「選べと言われても……飲み物いらないですし」

 猫背をさらに丸くして鈴木は上目がちにこっちを見る。


「はぁ? ほら、コーヒーは」

「胃が荒れるんで昔から飲まないんです」


「じゃあコーラは」

「炭酸は苦手なので」


「だったらはちみつレモンとか」

「これ甘ったるくて合わなかったです」


「だ、だったらお茶は!」

「このメーカー渋みがあって好きじゃないんで」


「だーもー! だったら何なら飲めるんだよお前は! オイルか!? ロボットかお前は!」

「冗談はやめてください。ただの水で良いんです」


「あーもー、だったら初めから言えよ。水だろ……ねぇよこの自販機!」

 痒いところに手が届かないなこいつ!


「……満足ですか。じゃあ戻りますね」

 やれやれ、とさらに背中を丸くしながら戻っていった。

 なんなのもう。

 泣きたい。


 ……ん?

 今、誰か居たような。

 気のせいか。



 翌日。

 鈴木の態度が一変した。


「先輩、喉が渇きましたねえ。ああ先輩!」

「……」

 逆に何があった。

 怪しげな宗教にでもハマったか?


「今日みたいな日はコーヒーが似合いますねぇ! コーラでもはちみつレモンでもゴクゴクいけちゃいますよ! ああ飲みたいなー、喉が渇いたなー!」

 チラッチラッと大声でアピールしてくる。

 もはやガン見に近い。

 え、何? ホント怖い。

 昨日は甘ったるくて合わないとか言ってたじゃない!


 すでに自分用として買っていたお茶を取り出し口から取り、恐る恐る彼に見せる。

「あっ、このお茶も美味しいですよね! えっ、もしかして、いただけるんですか!?」

「あ、ああ。でも渋みが強くて合わないか――」

「とんでもない! よろこんでいただきます! ああ先輩に奢ってもらえるなんて嬉しいなー!」

 なんだろうこの釈然としない感じ。

 ようやく後輩に飲み物を奢れたというのに。

 バッキバキに目を血走らせて笑う、隣りにいる鈴木が得体のしれない何かに思えてきた。

 ……こいつ本当に鈴木か?

 実は全くの別人だったりしないか。


「ああそうだ先輩。石川さん、明日には復帰するみたいですよ。これでプロジェクトは完成したも同然ですね! ラストスパート、頑張りましょう!」

 ぐっとガッツポーズを決める。

 お前昨日まで猫背のダウナー系だったじゃん。

 キャラ変すぎて理解が追いつかないよ。

 ――って、なんだって。


 ……そうか。

 あいつが戻ってくるのか。

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