クチナシとヒャクアシ

雨日ななし

第1話

 鉄格子が世界を縦断する。細切れの暗い外側から、人々が物珍しそうに化け物を鑑賞していた。

「さあ、いかがです? 首元に咲くは色とりどりの花々たち、手足を形づくるは無数の蔦! かと思えば硬いシキモクの枝や、森の黄金と呼ばれるコゴの葉を生やします! どうです? 奇妙なこの生きもの! 一度ご覧になってくださいな、さあさあ!」

 シルクハットを被った人間が声高に喧伝する。

 さあ、どうしようかなあと奇妙な生きものは蔦を宙に迷わせた。頭部に当たる部位を紙袋で覆われたのはまだしも、その上から更に首輪を嵌められているのが良くない。せっかくの首元の花が潰れてしまうじゃないか。住処の森を燃やされ、そのうえ見世物にされるなんて、ここ数十年のうちでいちばんツイてない。着ていた外套を奪われなかったのが不幸中の幸いだ。化け物にも恥じらいはある。


「お値段は五千レンドから!」

 しかも安い。加えて誰も手を挙げない。奇妙な生きものは、生やした枝で紙袋に小さな穴を開け、鉄格子の外を見回した。たった数十人しかいないけど、ひとりくらい欲しがってもいいんじゃない? 一様に派手な仮面を付けている人間たち。そんな趣味の悪いものが好きなのに、僕のことはお気に召さないの? 悲しくなるよ。

 紙袋の下、ぽっかりした暗い空洞をもごもご動かす。

 十秒、二十秒。

 二人の人間が舞台袖から出てきて、生きものの鉄籠に手をかけた。下手側へ車輪が回り始めようかとしたその時。


「――……おや、そこの貴方! 五千レンド! 五千レンドでよろしいですか? 他は? ――いらっしゃらない!」

 鋭い木槌の音が響いた。

 蝋燭の仄明るい光が、後方の人影をぼうっと浮かび上がらせる。手を挙げていたのは、まだ年若い青年だった。仮面を着けていない相貌がやたら白く見えた。



 礼服の者が多い中、青年は白いシャツに麻のズボンという軽い出で立ちをしていた。

「お客様、こちらが牢の鍵でございます」

「要らない。出して」

 しかし、とシルクハットの男が戸惑いを見せる。幾度かの問答の末、埒が明かないと青年が別の男を顎で急かした。鉄格子の扉が開く。

 首輪から伸びる鎖を手渡された彼は、むっつりと顔をしかめたまま仮面と十数枚の紙幣をテーブルに置いた。ひらりと一枚が地面に落ちるが、青年はそのまま背を向けた。シルクハットの男は少し鼻白んだものの、すぐに左右対称の笑顔を張り付ける。

「お買い上げありがとうございました」


 外は明るかった。引っ張られながら後ろを振り返ると、佇んでいたのは寂れた協会。晴れやかな青空には似合わぬ建築物だが、悪趣味なオークションの場としては似合いである。

「神様に祈る場所でこんなねぇ……」

 ぴたり、歩みが止まる。青年が振り返った。白茶色の目がまじまじと奇妙な生きものを見る。

「おまえ、喋るの」

「えと、はい。一応……」

 青年の端正な顔が歪んだ。薄い唇を曲げ、涼やかな目元に皺を寄せる。骨ばった首筋が張り詰めた。

 大変に嫌そうな表情をしたものだからどんな暴言が飛んでくるかと思いきや、彼はなにも言わずに再び歩き出した。生きものもそれ以上言えることが無く、蔦を土で汚しながら従った。

 協会の敷地を抜けたところに馬車を待たせていたらしい。馭者が生きものを一瞥して息を呑む。こういう反応には慣れている。青年に続いて中に乗り込んだ。

 窓に頬杖をつく青年の横顔を狭い視界に収める。鼻筋から顎までの繊細な曲線が美しい。病的なほど白い肌には、影が濃く落ちた。瞳と同じ白茶の髪は陽光を透かす。全体的に色の薄い人間だと思った。身体の上半分から生える蔦で、首元の赤い花を手折った。痛みは無い。そうっと蔦を伸ばして、青年の白い耳の上に赤色を差し込んだ。

「なあに」

 目だけがこちらを向く。

「君、色が足りないなあって……」

「痛くないの?」

「はい?」

「花、取っても痛くないの」

「あ、はい。特には」

 生きものが頷くと再び青年はそっぽを向いた。

 あれ、終わり? 化け物の僕の方が会話上手いんじゃない? ぶつぶつと内心で言っている間に、馬車は停まった。

 青年を彩る赤色にぎょっとする馭者が可笑しかった。


 到着したのは、こぢんまりとしたレンガ造りの家。緩やかな三角屋根が可愛らしい。裏手に細い川が流れており、橋を渡った先に町があるようだ。青年が木の扉を開けて生きものを中へ誘う。

 入ってすぐ右手にキッチンがあり、グラスがひとつ流しに置かれていた。左手には階段。奥に鎮座するテーブルの上には薬包紙、下には羊皮紙が散らばっている。窓辺に並ぶ鉢植えは、花がつかない植物ばかり。明らかに鑑賞用ではない。薬箪笥のいくつかの引き出しからは薬草がはみ出ている。極めつけには、部屋の中央に転がったインク瓶。真っ黒なインクが床に零れ、半ば乾いてしまっていた。

 黒い染みを躊躇いなく踏んだ青年は、羊皮紙を足でかき分けるようにして進む。生きものは鎖で引っ張られるがまま、細い蔦で床のものを踏まないように苦心した。

「ほんとうに痛覚ない?」

 青年がテーブルの前で首を傾ける。

「ないなら、おまえの足に生えてるそれ、シキモクの枝。一本ちょうだい」

「ああ……はい。どうぞ」

 あっさりと生きものは頷いた。足下近く、蔦をかき分けて外に伸びる硬い枝。シキモクというのか。自分の身体なのに青年の方が詳しいのが少し笑えた。

 青年が無造作に鎖を落とした。屈み込んで枝を掴み、ぽきりと一本手折る。先端の尖った白っぽい枝は生きものから離れ、人間の手に収まった。

「ありがと。帰っていいよ」

 宙でうねうねと動いていた手蔦に青年が小さな鍵を引っ掛ける。ちゃり、と金属の微かな音がした。首輪の鍵だ。生きものはぽかんと口を開けた。

 青年がシキモクの枝を手に階段を上がっていく。生きものは用済みだとでも言わんばかりの態度――いや、実際用は済んだのだろう。彼はただシキモクが欲しかっただけなのだ。


 しばらくして青年が階段を下りてきた。手の中は空っぽだ。耳の上の花も消えているのを、少し残念に思った。テーブルの前で立ち尽くす生きものを見て、青年が階段の中腹で止まる。

「……帰っていいってば」

 生きものが奴隷ならば、己の帰りを待つ家族がいたならば泣いて喜んだろう。しかし生きものは首を横に振る。頭の紙袋がかさこそ鳴った。

「帰るところ、無いです」

「じゃあおまえは何処から来たの」

「えと、森……」

「その森に帰ればいいんじゃないの」

 青年が窓辺の植物の葉を掬う。葉脈が白い指先に影を描いた。

「焼けちゃって……」

 最後に見た住処の姿は、それは無惨なものだった。鮮やかな緑は暴力的な橙に飲み込まれ、黒い塵となって風に攫われてゆく。それなりに仲の良かったキツネの子は無事だろうかと呆然としているうちに、人間に捕まってしまったのだ。

 気まずい沈黙が漂った。

 首だけで振り向いた青年は、生きものの足元を指差した。

「それケサの葉?」

「え? あ、そうかも、です」

「くれる?」

「どうぞ……」

 おずおずと差し出せば、青年が二、三度瞬きして目を細めた。ありがと、と呟く声はどこか呆れが混じっている。

 蛇口を捻り、如雨露に水を組む青年の背に声を掛ける。

「お手伝いしましょうか」

「いらない」

 即答だった。

「家事、とか……ほら、お掃除は……」

「いらない。手は足りてる」

 生きものは思わず部屋中を見回した。とてもそうは思えないけれど。

 青年が如雨露を手にしたまま、流しに軽く寄りかかった。考え込むように目を伏せ、ゆらゆらと水面を揺らす。

「シキモクの枝、予備に貰っておきたい」

 小さな声だった。そんな、わざわざ言わなくてもいいのに。だって青年は五千レンド――大いに納得いかない値段ではある――で生きものを買ったのだ。その価値分くらい、好きにされても抵抗はない。

「うん、はい。どうぞ」

「愚鈍め」

 青年がぼそりと吐き捨てた。彼が強い言葉を使うことに驚いたのち、

「ぐどん……」

 百年近く生きてきたけど、初めて言われた。妙な感動と不満が去来した。ぐどん、ぐどんと不思議な発音で繰り返す。


 そんな生きものの脇を通り抜け、植物に水を遣りながら彼が溜め息を吐いたその時、激しいノックの音が部屋を揺らした。青年が舌打ちする。玄関の横にある擦り硝子の窓。採光の為のそれが、人影に遮られていた。

「クチナシ! クチナシ、いるんだろ⁉ おい‼」

 どんどんどん。

「出て来い、クソ! もう五日だ、五日!! クチナシっ」

 どんどんどんどん。

 生きものは視線を玄関から青年に戻した。

「ええと、クチナシって……」

 青年が自分の薄い胸を人差し指でつついた。

「そう呼ばれてるね。本名じゃないけど」

 淡白に言って空になった如雨露を床に置く。テーブルの下にもぐりこみ、姿を隠すように椅子の足を持った。

「いませんって言って」

「うぇえ……?」

 生きものに眉があったら思い切り潜めてやったのに。ただ困惑を音にして蔦を蠢かせる。

「おねがい」

 クチナシが言う。

 どんどんどん。

「クチナシ!」

「ねえ、」

 どんどんどん。

「クチナシ!!」

「いませんって言って」

「あーもう、はあい……」

 心なし手足の蔦を萎らせて、生きものは玄関を開けた。きぃ、軋んだ音した。先ほどクチナシが開けた時は鳴らなかったのに。なにかコツがあるのだろうか。

「クチナ、ひっ」

 立っていたのは大柄な男だった。不精髭を生やし、黒々とした髪は癖毛らしく所々渦を巻く。風呂に入っていないのか、油でつやつやと光っていた。毛羽立ったブーツを履き、みすぼらしい外套で身体を隠している。

 生きものは自分の纏う外套を見下ろし、お揃いだ、うれしくないけど、と心中で呟いた。

 瞳孔が開いた目だけを爛々とさせる様はあまり好ましくない。

 生きものは土色の蔦を蠢かせた。色を無くした唇をわななかせる男をどう落ち着かせようかと考えを巡らす。

「あの、そんな怯えなくても……。僕はそんな、人を食べたりしないし、えっと、毒とか吐いたりしないし……。あ、でもキノコ生えるときあるからなあ。毒、吐くかも……」

「くッ、クチナシはどこだ!?」

「いません。ねえ、あんまり怯えられると困っちゃうっていうか」

 頭を掻きむしり、半ば錯乱した男が中に入り込もうとする。蔦を這わせて遮ると、男は悲鳴を上げて腰を抜かした。

「あれ。大丈夫ですか」

「来るな!!」

 起こしてやろうと比較的太いニチイの枝を差し出すと、尻を地面に付けたまま後退する。生きものが鎖を引きずりながら近付くと、


「け、憲兵、憲兵!」

 喚き、男は脱兎の如く去って行ってしまった。

「勝手に騒いで勝手に帰った……」

 差し出した枝を外套の中に引っ込め、町の方へ遠ざかる背を見送る。


「素晴らしい」


 テーブルの下から這い出たクチナシが、髪に絡んだ埃をそのままに拍手をした。服の裾まで汚れている。

「困ってたんだ。あの男、薬を変な組み合わせで馬鹿な方向に使った挙句、依存しててね。三日おきにここに来る」

「はあ……」

 拍手はそのうちに手の埃を叩き落とす音に変わっていった。玄関から差し込んだ陽光が空気に舞う塵をきらきらと輝かせた。吸い込んだクチナシが数度、乾いた咳をする。

「けほ、……おまえ、ああやって怯えられるのはどう? 落ち込む性質かな」

「ううん、落ち込みはしないですけど……」

 なんならちょっと面白く思う。先ほどの男に言った通り、人を害す手段も意思も無いというのに、人間はやたらと生きものを怖がるのだから。


「そう。じゃあここにいるといいよ」

「えっ」

 クチナシが初めてその整った面貌に薄い笑みを浮かべた。蔦にぶら下がったままの鍵で手ずから首輪を外す。ごとりと重い音を立てて床に落ちた。

「ひと除けの案山子なら、居て困ることはない」

「僕、カカシよりかはお役に立てると思うんですけれど……」


 例えば、そう、部屋の掃除とか。

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クチナシとヒャクアシ 雨日ななし @cytisus89

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