第15話 猫っぽい魔導師による気まぐれ異世界面談(2)

「その、ですね」


「うん」


 夜、燭台の明かりが小さく揺れる城の一室。

 まだ温かい料理を眺めるのをやめると、俺は意を決してグロウへ返事をすることにした。

 どこから来たのか、その説明を。


「俺のいた国、国でいいのかな、まあ国はですね、ここと全然違うんですよ」


 ああやばいやばい、グロウの目がこれまでで一番好奇心と探究心をむき出しにしてきた。

 早く言葉を続けなくては。


「グロウさんの言うとおりこことの繋がりがないくらいですから、俺の国はやっぱり遠い場所でそこは……」


 俺の国について詳しく聞かれる前に、短く息を吸ってやや早口に言葉を被せる。

 きっとこうやって矢継ぎ早に話そうとすると、どこかで言葉がおかしいところが出るかもしれないと思いながらも。


「どこがどんな風に違うかって言われても説明のしようがないくらい、きっと皆さんが知らないと思うようなものばっかりで。逆に俺、外にいたスライムも魔法なんかも、生まれてこのかた見たことないんです。だから、こっちに来てから俺は目の前がずっと知らないもので埋め尽くされてて、今も何を食べてるのか、なんだかよくわかってない状態なんです」


「ここに来てからのキミは、さしずめ記憶喪失も同然というわけか」


 挟まってきたその言葉を聞いて、次の言葉を繋げる前に俺はいったん大きく息を吸い込んだ。


「そう……ちょうどそういうていで、アメリやギルドの人達と接してきました。文化が全然違う国のことを話して、毎回びっくりされるのが嫌だったので。まあその、記憶喪失ってのは半分は本当で、俺、自分の住んでたところからどうやってあの丘に来たのか、全く覚えてないんです。昨日寝て、目が覚めるとあの丘、アグゥの丘でしたっけ? あそこにいて、持ち物もみんなどっかいってしまって」


 思いつく限り向こうの世界のことをぼかしながら話してみたが、俺にはこれが限界だ。

 考えすぎかもしれないけど、記憶喪失という言葉を向こうから使ってきたのが、次にそう言うんだろ、とグロウが予測したように俺には思えてしまったから、もういっそそこはそのまま話すことにした。


 半ば異世界からやってきたと言ったも同然なのだが、はっきりそうと言ってもいない。

 グロウはどう反応する?

 彼女は青い瞳でずっとこちらの目を見ながら、俺の説明に眉ひとつ動かさなかった。


「話は大体わかったよ。見たところ、嘘は言ってないみたいだね。どこか遠いところから、わけもわからず身一つで飛ばされてきたと。……で、次にボクがなんて言うか、気になるかい? キクミヤ君」


 うわ、なんでそんなこと言うんだよ。

 空飛んだり変身したりできる魔導師が今そこにいるんだから、せめてどっかの似たような魔法使いのワープ魔法でめっちゃ遠いとこから来た、くらいの認識で済んでくれ。

 そこで何のためとか訊かれても知らん、お願いだから大事みたいに思わないでくれ。

 それから危険分子と判断してこの場で処刑コースも絶対にやめてくれ。


 27歳社蓄のサラリーマンは召喚されし勇者となって冒険の旅とかイヤ絶対。

 あ、それ表紙に萌え系のイラストが描いてある小説のタイトルっぽい。

 グロウの返事が気になりすぎて、俺の脳内には様々なものが去来した。


 が、グロウの返事は意外とそっけないものだった。


「まず、キミ話つまんないね」


「え?」


「だってそうだろー! そんな面白そうな国の話っ、そこ一番大事なのに適当にぼかしちゃうんだもん! 他の人たちみたいに気を遣わなくて良かったのに、興が削がれちゃったじゃないか」


「す、すいませんッ……?」


 その瞳に智慧を宿す王政顧問魔導師が、急に雑談するときの中学生みたいな顔になった。

 しまいにはほっぺを膨らませてテーブルをトントコ叩いている。

 その顔は整った容姿に見合うかわいさだけど、俺はこの状況にどんな顔していいかわからない。

 グロウさん、このテンションの落差キツいっす。


 やっぱりこの人、猫だ。

 自分が面白いと思うものがこの世にあふれてるのが当たり前だと思ってる、そしてそれが当たり前じゃなくなると急に不機嫌になったりそっぽを向いたりする、猫そのものだ。

 もういっそ、実は今も人間に変身してるだけで正体は猫なんじゃないか?

 こんな気まぐれ猫娘に王政を顧問させちゃって大丈夫なんだろうか、この国。


「どの道行く手立てのない場所なら、もーいいんだけどさっ。わけのわからない、覚えのない方法でここに来たんなら、どうせ帰る手段もわからないってことでしょ」


「すいません、そうなります」


「ついでにキミのこと、どこかの国の差し金で送り込まれた人かもと思ってたけど、こんなヘッポコな密偵を送り込んでも仕方がないし、もうこの説はないだろうね」


「はあ、すいません」


 俺はなんで謝っているのだろうか。

 グロウはテーブルの下で足をばたつかせながらパンを手づかみすると、それをスープにぴたぴた浸けて口に詰め込んだ。

 一口でかいな、さっきとえらい違いだよ。


ふぉれで? ふぇっきょくフィクミヤ君ふぉこでふぁにふぃたいふぁけ?」


 うわー、口いっぱいにパンが残ってるせいで、転移前に流行りだしたお笑い芸人みたいな喋りかたしてる。

 グロウが鼻をリズミカルに膨らませながら俺にそう訊いて、それからスープの器を持つとぐいっと一気飲みした。

 それはビールじゃないぞ。


「それがその、自分でも何かしたくてここに来たわけではないので、ギルドにはとりあえず食い扶持を稼がねばと思いましてですね」


 そう言ってる間にグロウは口の中のパンを飲み下して、顔が急にスマートさを取り戻した。


「ああそうそう、それで魔召紋の付与するんだったね。これからやるから、それ早く食べちゃって」


「は、はい」


 グロウは興味の対象が期待はずれの情報しか持っていなかったことにさぞがっかりした様子で、食事をさっさと済ませようと手が早まりだした。

 俺はやむを得ず、テーブルに並ぶ高そうな料理を、会社での配達から戻ってきた後に食う弁当みたいに口に詰め込んだ。

 うまいんだけどなあ、こんなもったいない食べ方しなきゃいけないなんて、俺も残念だよ。


 二人とも無言で手早く食事を済ませる時間はとても気まずかった。

 それが終わると、グロウはおもむろに席を立った。


「おや、待てよ」


 立ち上がったグロウが何か思いついたように、顔をニヤニヤさせながら俺のほうを見てくる。


「キクミヤ君、城の一室を貸してあげるから、今日は泊まっていくといい」


「いいんですか? すみません、助かります」


 その顔の意味を思案するけど、この猫魔導師の考えることなんて推察もできないまま、俺はまず礼を言うほかなかった。


「後で案内するよ。その代わりと言ってはなんだけど、ちょっとボクの頼みも聞いてほしいなって思うんだけど……いいかい?」


「えっと、なんでしょう」


「魔召紋を付与するついでに、ちょっとした機能をそこに追加しようと思ってね。まず、キミがさほど危険な人間とは思えないけど、一応行動を監視するための術式を追加させてもらうよ」


「まあそうですよね。わかりました」


 魔召紋を通して、こちらが何をしているのかグロウが把握できるようにするってことか。

 さすがにそうだよな、向こうからすれば俺が正体不明の国からやってきたのが明らかになったんだし。

 窮屈な気にはなるだろうけど、燃やされないだけマシだと考えておくのが、精神衛生上いいだろう。

 もとよりここで何か悪事を働こうってわけでもなし、俺はなるべくまっとうな暮らしが送れればそれでいいんだから、たとえグロウに監視されていても咎められるようなことはないだろう。


 グロウが丸テーブルをなぞるように俺に近づいてくる。

 監視のための効果を追加するってのは、そんな顔をニヤつかせるほどのものなんだろうか?


「とりあえず立って、こっち向いて」


 言われるがままに席を立ってグロウの方を向く。


「手、出して」


「はい」


 どっちの手を出そうか逡巡し、俺は利き手である右の手を差し出した。

 甲を上にして差し出したその手を、グロウが両手でそっと包むようにする。

 年頃……に見える少女からそんな風にされたことなんてない俺は、思わず心臓が早鐘を打つのを感じた。

 掌から指の先まで柔らかで華奢な手から、俺はグロウの身体が同じように柔らかく華奢であろうことを想像せずにはいられなかったが、次の瞬間、俺の注意をそこから切り離す光景が手の中に現れた。


 俺の右手を中心にゆるやかな微風が起こり、手の甲が虹色に輝き始めたのだ。

 ブロッケン現象のように円状に放射される光彩、それが俺の手から放たれている。

 光はまるで、ブティックで色とりどりの服を手にとっては、これにしようか、それともあっちかなと選ぶのを楽しむ買い物客のように、その色彩をさまざまに変化させながら渦巻いた。


 アメリの炎、グロウの飛行と変身に探知、それからクリアフォレストの音色変化。

 この世界に来てから魔法というものを度々目の当たりにしてきたけど、自分の身体からそういったものが生まれるのは思えば初めてで、いよいよ俺がこの世界の一員として生きていくことになるという感覚が胸の中に強く迫ってきた。

 これまでこんなファンタジーな世界に首を突っ込むことに及び腰だった俺だけど、自分の身体が幻想世界に引き込まれるようなこの感覚にはさすがに高揚を感じ、そしてまた畏怖も感じた。


 鼓動が8ビートを刻むなか、そのグルーヴに水を差してきたのは目の前のグロウだった。


「そうそう、それからもうひとつ術式を追加しようと思ってるんだ。実はこっちが本命なんだけどさ」


「え」


 めまぐるしく色を変える光の中、グロウは気がかりなことを言ってきた。


「これについてはまだ効果は説明できるものではなくてさ、うまくいくかどうかもまだ未知数なんだよね」


 めまぐるしく色を変える光の中、グロウはとても気がかりなことを言ってきた。


「え」


「どうなるかよくわからないものを、キミにくっつけちゃおうってことさ」


「それって、つまり」


 グロウは俺の手を取ったままにこりと笑うと、耳打ちするように顔を近づけてくる。

 愉悦に浸る光がゆらめく目は、艶をたたえながら細められた。

 それは極上の色気があるように見えたが、俺の顔を横切ってすぐに見えなくなる。

 なにより、性的な興奮を感じていられるような状況ではなかった。


「そう、じ」


「じ?」


「ん」


「……」


「た、い」


 右の耳からウィスパーボイスが響く。

 吐息にはさっき食べた肉やスープの匂いがしたのに、口臭と呼ぶにはいささか甘ったるく芳しいような香気に感じたのは、髪の毛の匂いが混ざっているからだろうか、それとも囁く息が俺の耳をくすぐるからだろうか。


「じっけん……♪」


「マジすか!!」

 

 俺はグロウの顔がすぐ横にあるにもかかわらずでかい声を出してしまう。

 何が人体実験だよ、なんでそんなことをさも色事みたいに言うんだこの人は、どういう気分でやるんだよそれ!

 ちくしょう、そうかそういうことか。

 グロウが顔をニヤニヤさせてにじり寄ってきたのはこれが理由だったのか。


「んもう、うるさいなあ。抵抗すると燃やすよ?」


「ひぎい!!」


 俺は格闘マンガで登場から三秒くらいで処されるモヒカンみたいな声を出しながら、その場を動くことができなかった。

 目と鼻の先にあるグロウの肩の向こう、先程よりやや強い力で握られた俺の手には、やがて紫に変わろうとする光が収束を始めていた。

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