第14話 猫っぽい魔導師による気まぐれ異世界面談(1)
「少々お行儀はよくないけど、お互い聞きたいことは食べながら話すとしよう。さ、めしあがれ」
何のためにそうしているのかわからない微笑みを浮かべたまま、彼女はそう言った。
宵闇が建物の奥深くまで、水が満ちていくように入り込む時刻。
俺は西洋風の城の中の一室で、脚のとても太い椅子に腰掛けていた。
派手な装飾がごてごてついた燭台が、その闇を押しのけるようにして部屋の中の空間を明るく照らしている。
それはおとぎ話や映画の中でいくらでも見ることがあるけれど、永遠に触れることのないと思っていた、見えない隔たりがあったはずの光景だった。
しかし今、俺と白いローブの女性……グロウが囲むテーブルにあるものが、その隔たりを否定していた。
このテーブルに掛けられた、洗濯代も物自体もえらく高そうで生地の厚いテーブルクロスの上には、二人分のパンとスープと、それからステーキと呼んでいい大振りな肉が湯気と香気を立てている。
その熱と香りは、目の前の光景が印刷紙やディスプレイの向こう側ではないことを証明している。
こんなふうに、見たこともないはずの景色に懐かしささえ感じ、既視感を覚えることが今日何度あったことだろうか。
「じゃあひとまず……いただきます」
俺は両の掌を合わせそうになり、それがグロウに変わったしきたりだと映るのではないかと予想してぎくりと手を止める。
だからというわけではないけど、俺はまず自分のすぐ横にあるグラスを手に取り、そこに入った水を一口飲むことにした。
グロウの空飛ぶ箒の運転は、済ました顔に似合わずとにかく荒っぽく、まずは胃を落ち着ける必要があったからだ。
ひどいものだった。
上昇したあと、城の一角へ直進するときしか方向転換していないのに酔いそうになった。
あの時、バイクの2ケツと同じように、目の前の美少女の背中に合法的にしがみついてもよかったのかもしれないが、俺の激ショボ非モテマインドがどうしてもそれを許さず、少々心もとない柄を握ってしまったのがまた、彼女の運転のおっかなさに拍車がかかる理由になった。
水を口に含んでゆっくり飲み干すと、幾分か食欲が戻ってきた。
確かナイフは右手でいいんだったかと思いながら、両手をナイフとフォークに向かわせる。
ぎこちなく食事を始める俺をどう見ているのかはかりかねたが、グロウはその様子を見て何と言うでもなく、ナイフとフォークを手にとって食事を始めた。
彼女も向かって左の手でナイフを持ったので、小学生のときに修学旅行で習ったテーブルマナーは俺の記憶にちゃんと残っていたようだ。
俺は食べ物を口に運ぶ手が左手であることに戸惑いを感じながらも、いちいちパンをナイフで切ってフォークで口に含む。
小麦の香りがパン生地の中の空気とともに口中を満たし、これだけでも立派な城で振舞われる立派なごちそうだと思うには充分だった。
スープは野菜がたっぷり入ったもので、コンソメみたいないい匂いがする。
スプーンに持ち替えて、カブみたいなものと一緒にすくって上下の唇で閉じ込めると、根菜特有の身体を温めてくれる成分が身体に滲みていくような心地よさがあった。
SNS映えしそうなソースのかかった皿から口の中に持ってきた肉は柔らかく、噛むと脂身の少ない身から香草と肉本来の旨味が広がってきて、なんとなく牛肉に近い味だ。
これから始める対話への緊張の中でも、おいしく感じることのできるものだった。
依然として、この世界のほとんどの食材は俺にとって正体不明の物体だが、キンザの店の一件で、うまそうな匂いがするものはうまい、くらいのことは信じていいものと感じている。
俺には分不相応が過ぎるように思うこの食事も、一口ずつ食べてみればそれなりに良さがわかってきたし、空腹が和らいできたおかげでようやく話す気にもなってきた。
目の前のグロウは先にこちらの質問を待っているかのように、静かにゆっくりと食事を続けている。
「あの、いいすか……もぐもぐ」
「もぐもぐ……ん、どうぞ」
いったん口の中の肉を飲み込んでからおずおずと話を切り出すと、済ました顔と抑揚のない声でグロウは応えた。
だけど、冒険者ギルドに現れた時のように、その瞳に好奇心の光が宿り始めたのを俺は見逃さなかった……というよりは、見つけてしまった。
「今日、俺が町の外から来たこと、どうしてわかったんですか」
「そうだなぁ……キミさ、今日はあのちっちゃい女の子と一緒にいたよね。で、日中あの子と手を繋いで歩いてるとき、怒られてただろ。白いローブの男にぶつかっちゃってさ」
「え、ハイ」
なんでそんなことまで知ってるんだよ。
いや待てよ、白いローブって、まさか……?
「あれボクね」
「えっ……マジすかぁ」
……ときどき敬語が崩れるな。
グロウが特に気に留めないからよかったけど、今までこれで誰も文句を言わないような、いい加減でアウトローかぶれみたいな社風に慣れてしまっている自分がいた。
そのうちトラブルの元になるかもしれない、気をつけよう。
それにしてもだ、直前で予想がついたからマジすかぁで済んだものの、ついさっきピンとこなかったら驚いてスープを吹いていたかもしれない。
魔法って火の玉出したり空飛んだりするだけじゃなくて、変身したりもできるのか。
さんざんフィクションで見たことのあるものも、実際に目の当たりにするまでは知識のストックと一致しないもので、いちいち意外に思ってしまう。
でもそろそろ、映画やゲームで見たことあるようなものじゃあ、もう驚かない気がするぞ。
「マジマジ。町に見慣れない人が来てるなっていうのは、あの時点でもう気づいてたってわけ」
普段からああやって変身して、町の中の視察でもしているというのなら、わからない話でもない気がする。
小さな女の子に手を引かれて町の大通りを案内されている大人なんて、今考えると相当目立つ存在だっただろうなあ。
「それと、俺に興味を持った理由ってなんですか? ギルドで話してたことだと思うんですが、よくわからなくて」
「この姿で人前に出ると皆あんな調子だから、キミも混乱させちゃったかな。キミを連れてこようと思ったのは、まさしくその件が理由だね。ボク、近くに来れば微弱な魔法でも感知することができるんだ」
「ああ、だから日中ぶつかったときに何かに気づいて……ってことですか」
そういう第六感的なのは魔法のうちに入るんだろうか。
他の人は俺が普通に話してることに何の違和感も持たなかったし、俺が自分でも認識できなかったものを読み取れるのは、理屈はどうあれすごいけど。
グロウの顔を時々覗きながら、俺は分厚いステーキ肉をナイフでギコギコやる。
行儀悪いけど食べながら話そう、とは言われたけど、本当に行儀が悪いな。
「そう。昼間はちょっとした違和感くらいに感じていたけど、どうも気になってね。あの感覚を頼りにあちこち探してギルドにたどり着いたんだけど、もう一度そばまで近づいたら、これは気のせいじゃないと思ってね。だからもっとよく知りたいなーと思って、連れてきちゃった」
感覚を辿るような魔法でも使ってやってきたというところか。
グロウくらい偉くなれる魔導師なら、そういうのもありなんだろうな、よくわからないけど。
「数々の魔法を習得したボクでも初めて見るものだから、その効果を全部把握するにはいたらなくてさ、こうして時間を作ってみたわけ」
「はあ、それはどうも……」
「でも、こうしてしばらく一緒に話しているうちに、なんだかもう大体わかっちゃった」
「え?」
グロウは猫みたいな目を細めて得意げに笑う。
いわゆるドヤ顔というヤツだ。
天才は過程をすっ飛ばして結論にたどり着くとは聞くけど、やぶから棒に一体どういうことだってばよ。
「キミのその加護。見た目に派手な効果がないのに、身の回りの何かを必ず変換している。命を守るってほど大げさじゃないけど、キミの生活を支える類のものだとは思っていたよ。生きていくだけなら不自由ないこの町で、なぜそんなものが必要なのかな、とも思ったね」
そういえば、この町に元々いるなら必要ないもの、とか言ってたな。
確かにその通りだけど、ギルドにいた時点で、ある程度推察できる材料をグロウは感じ取っていたというわけだ。
「人が多い場所では常時発動していて、二人きりのこの部屋では発動したりしなかったりした。最初はそのきっかけが音かと思ったけど、食器の音には反応せず、ボクやキミの声にだけ反応した。つまり声……いや、言葉を変換するもの。そうだろ?」
二人きりになったのは、加護の発動トリガーを検証しようとしていたって事か?
はたして、魔法が感知できるってだけで、ここまで推理することができるものなのか、あまり頭のいい方ではない俺にはよくわからなかった。
おれ自身翻訳の能力については不明なところもあるけど、おそらく正解と思われる答えを出したグロウに、俺は自覚している不思議な加護とやらを改めて説明した。
「たぶんそう、翻訳、とかそういうのだと思います。俺、ここの言葉がわからないんです。でも、こうやってちゃんと普通に話せるし、さっきギルドでも書類の字が読めたし、それに名前を書こうとしたら、字がここの言葉に変わったりしたんです」
「翻訳ね、やっぱりか。君が文字を読んだり書いたりするところを見ていたら、もっと早く気づいてたかも。でもさ、効果についてはわかったけど、そういうのだと思いますーだなんて、まるで他人事みたいな言い方するんだね。なんで?」
翻訳能力についてもっと興味を示すかと思っていたけど、グロウが気にしたのは加護とやらの効果とは別なところだった。
「身に覚えがないんですよ。言葉がわかるようになってる理由も仕組みも、なんだかよくわかりません」
俺の答えに満足しないだろうなあ、興味の先を辿る糸が途絶えるから。
そう思いながら、ギコギコやった肉を口に運ぶ。
柔らかくてうまいんだけど、そのせいもあって次の質問に答える間を少しでも伸ばしたいかのように、ついつい口に含んだままになってしまう。
「ホントにぃ?」
「ふぁいっ」
グロウが不意に顔を低くして、俺の目をまっすぐ射抜くような視線を投げかけてきた。
目だけじゃなくて、その奥の網膜も視神経も、そのもっと奥の脳の中の思考すら見通してきそうなほどまっすぐ。
俺はまだ肉が口に入っているにもかかわらず、慌てて返事をした。
たぶんこの人には嘘をつけないんだろうなと、本能的に悟った。
「なーんだ、そうなのかー。なんだかんだ言って、あの加護はこのボクの知らない稀有なものだから、その興味ひとつでキミを追っかけてきたのに残念。効果が分かったのはいいけど、じゃあ君にそれを施した者や原理については、わからずじまいというわけか」
やれやれといった具合に、グロウが前かがみになった身を起こして、背もたれに預けた。
そんなことのために、わざわざ俺を探してきたのか?
王政顧問魔導師という大層な肩書きをグロウは持ってるけど、実は暇なのだろうか。
「でも不思議だなー。この国さあ、町の北側にある大河を使った貿易が盛んなんだよね。地方ごとに多少訛りくらいはあるけど、全く通じない場所なんて聞いたことがない。交易国のどれとも違う、もっと遠い国の言葉がキミの源国語って事だろ。キミどこから来たのさ……あ、それも興味あるかも」
そう言ってグロウは肉をギコギコやって頬張る。
顔が小さいだけあって、一口も小さかった。
俺と同じくらい行儀のいいほうではない食べ方をするのに、なんか上品に見えてずるい。
箒で飛んだときに見えた大水、あれは川だったのか。
その向こうにも別な国があって、そことこの国は交易が盛んである、と。
せっかく聞いたから、後々のために覚えておこう。
「うーん、そうですねえ……」
俺は口の中の肉を、この尋問みたいな状況でもおいしく嚥下すると、それが食道を通ったあたりで首を傾げてみせた。
さて、どこから来たのさ、か。
いつか誰かに話さなきゃならないとは思っていたけど、俺の出自をグロウになんと説明しようか。
詐欺師じゃあるまいし、何もかも直感だけで見透かしてくるような智慧を目からビンビン放ってるグロウ相手に、いつまでも嘘をつき通せるとは思えない。
かといって違う世界から来ましたというスケールのでかい話は、、厄介事を呼びそうなのでなるべくしたくない。
おそらくグロウには相当な権力もあるだろうし、彼女に下手なことを言って訝しがられるのは、俺の立場を危うくすることになりかねないだろう。
ちょっとこう、嘘は言ってないんだけど最低限のことだけ上手に伝える言葉はないものかと、俺は言葉をひねり出すのに少々の時間を要した。
俺は問いかけの答えを探すついでのように、深いため息をついた。
今夜は長くなりそうな予感がする。
この調子だと元の世界で仕事しているのと大して変わらない時間にしか寝れないんじゃないか?
そもそも、俺はグロウにあと何を訊かれるのか、その後俺はどうなるのか。
魔召紋を付与してくれるとグロウは話していたけど、そうなった場合、俺の冒険者ギルドで働く一日目が始まってしまうんだよな。
先のことはどう転んでも俺にとって億劫なものなのに、ついつい余計なことを考えてしまう。
さっぱり進まない食事を前に、俺はグロウに自分の出自をどう話すか考えながらスープをすすった。
スープはまだ温かかった。
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