第13話 王政顧問魔導師グロウ
クリーニング工場の事務所と同じで埃の多い館内、労働者の汗のにおい、俺と同じ時間軸からやってきたようなギャル、工場長そっくりのギルドマスター。
冒険者ギルド。
異世界であるにもかかわらず、ここには2020年8月14日の日本に俺が置いてきたものの欠片が落っこちている、そんな気にさせる場所だった。
俺の家で飼っていた猫が、その辺を歩いていても不思議じゃないような気さえした。
しかし、そんなささやかなノスタルジーから俺の心をこの世界に強く引きずり戻す声が背後、つまりギルドの入り口の扉から聞こえたのである。
トーンの高い、それでいて落ち着いた女性の声だった。
『外から町にやってきた人って、もしかしてここ来てない?』
先ほどの女性の言葉を反芻する。
要するに俺を探しに来ている。
何のために?
一瞬で緊張が走り、ゆっくりしか動かない首を回しながら振り向き、やっと声のするほうを視界に収める。
女性が身に纏っているのはうっすら光沢のある、薄紫と金の装飾が随所に施された白いローブ。
まるでふざけているかのような猫耳がついたフードを目深に被っていたため、顔はよく見えない。
開かれたままの扉から差し込む夕日もあいまって、彼女の身体の前面を覆う影は深かった。
その暗いフードの中からでも、彼女の双眸が俺達を見ていることだけは、なぜだかはっきりとよくわかった。
なにか得体の知れない妖しさを秘めて、爛々と光り輝いているとさえ思った。
そう、さながら高い知性を得た猫のように。
は、とか、す、とか、息を飲む音。
靴で床を擦るような音。
テーブルに腰掛けていた連中からのどよめき。
みな居住まいを正している、そういう音を背中に聞いた。
俺だけでなく、この場の全てに張り詰めた空気が満ちていた。
暢気なしゃべり方をしているが、この女は只者ではない。
初対面の俺でも、そう理解するのは容易だった。
女性がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
一歩踏み出してきただけで、俺の背中からもう一度どよめきが聞こえ、周囲の緊張が更に高まるのを感じる。
「これはこれはっ、王政顧問魔導師のグロウ様がなぜこんなところに?」
どこかから上ずった声が漏れ出てきた。
ケニッチだった。
なんだかよくわかんねえ肩書きが唾と一緒に飛んでくる。
相当偉い人で魔法使いっぽい立場で、名前はグロウであることはわかったけど、緊張のせいでよく聞き取れなかったぞ。
「なぜって、魔召紋の開発と普及はほとんどボクの業績みたいなものじゃないか」
魔召紋を作ったと彼女は言う。
一体、それはどれほどすごいことなのか。
間違いなくすごいのだろうけれど、アメリ以外に使っている人を知らないから俺にはよくわからなかった。
「たまにその使われようがどんなものなのか見に来るのも、別に不思議なことじゃないだろう?」
「それはそうですけれども、また急にどうされたのです? 仮にもグロウ様は政を担う方々の、いわば監督役、それがこんなところまで来て……」
政治家みたいな位置づけなのだろうか。
確かに、そんな人が出向いてきたら皆緊張くらいするのだろう。
近づいてくる足音になぜか戦慄を覚える裏で、俺はそんなことを考える。
かつん。
「ん?」
何かに気づいたように、グロウと呼ばれたローブの女性は俺のすぐ横で立ち止まった。
ケイの香水とは違う、静かに存在を訴えかけるような花の香りがした。
ぽん。
「なんだ、ここにいるじゃないか。町の外から来たのってキミだろ?」
グロウという女性は俺の前まで来ると、そう言って肩に手を置いた。
「なっ……」
即座に言い当てられた。
その時に生まれた小さな風が顔に当たる。
それがいやに乾燥している気がしたのは、該当する人間が俺だと言い当てられたせいなのか。
なぜそんなにも簡単に答えにたどり着いたのか全くわからなくて、俺はハイもイイエも返せないでいる。
ああ、テレビであったよな。
高級料理をしこたま食って、最後にこうやって肩ポンされると出演者全員の支払いをさせられるバラエティ番組。
今まさに、そのゴチしてあげなきゃいけない一人にでもなったような気分だよ。
財布の中身を持ってかれる代わりに、俺は一体どうなっちまうんだ。
「微弱だけど、何らかの魔法的な作用……加護とでも言ったらいいのかな、そういうものを感じる。おそらく、もとからここに住んでいる人間なら必要のないものを、ね」
彼女が言い当てた魔法的ななんとかってのは、俺の翻訳能力のことか。
あれがどういう風に俺に働きかけてそうなっているのか自分でも理解できないのに、彼女には何かわかるのだろうか。
近くに来るだけでそれを感知するとは、さすがナントカ魔導師なだけはある。
もっとも、今の口ぶりだとその全容を解き明かしたようではないみたいだけど。
結局、俺をどうする気なんだよ。
「あの!」
誰もが俺とナントカ魔導師の接触を固唾をのんで見守る中、ソプラノリコーダーみたいな声が俺の肩の辺りを抜けていった。
肩をつかまれているので、首だけをそっちに向ける。
アメリだった。
「あの……キクミヤ連れてっちゃうんですか?な、なんにも悪いことしてないですよ!」
茶色いエプロンを両手でぎゅっと掴み、震える声でそう言葉にするだけでも、もういっぱいいっぱいというていだった。
それでも、背中を向けている俺が不安げな顔をしていたのを悟ったように、アメリだけが動いてくれたのだ。
先輩として、何をされるかわからない後輩をかばってくれていたのだ。
「そう怯えた顔をしなくていいよ、別に取って食おうってわけじゃない」
グロウはアメリに向き直ると、いたって落ち着いた声で軽く返事をした。
そして俺の方にまた顔を向けると、グロウは言葉を続ける。
「キミに興味が湧いてここに来たんだ、せっかく見つけたのに悪いようにはしないよ。……そうだ、取って食うで思い出したんだけどさ、キミ、ちょっと話をするついでに晩ごはんなんてどうだい? ボクもちょうどお腹すいててさあ」
「え?」
なんだかよくわかんねえ魔法の話をしたと思ったらメシの話とは、会話がマイペース過ぎる。
この場全ての人間に緊張感をばら撒いていた人から、お腹すいたからごはんどう? と誘われたぞ。
新手の逆ナンだろうか、だとすればそんなことをされたのは人生で初めてだよ。
いきなり危険な目に遭うわけではなさそうなので俺は内心ほっとしたけど、話がまだ見えない。
どうすればいいのか迷っているうちに、グロウは俺の肩に乗せた手をするりと落としてケニッチに声をかけた。
「ケニッチ、ちょっと彼、借りてくよ」
「それは構いませんが、今彼は冒険者ギルドの登録中でして、魔召紋もこれから付与するところなのですが……」
「へえ、そうなの? いいよそんなのボクがやっとくから。書類はもうできたの? どーせ紙ピラ一枚なんだろうけどさ」
「え、ええ、そちらの方は既に。しかしグロウ様、よろしいのですか?」
「くーどーいー。いいって言ってるんだからいいの。キミよりずっと思慮深いの」
「ぼ、それは失礼いいい致しました」
ぼってなんだよ、ケニッチうろたえすぎだろ。
グロウは俺に向き直ると、ドアの向こうを指差した。
「キミもいいかな」
「はあ、俺は無事で済むならそれで……じゃあお願いします」
正直俺もそろそろ腹が減ってきていた。
依然として無一文なので、食事を出すと言われては付き合うほかない。
そもそも逃がしてくれそうにないしな、この人。
「話は決まったね。そうだ、さっき聞いただろうけど、出発前に一応改めて名乗っておこうかな」
そう言うとグロウは猫耳フードをはらりと取って、その素顔をあらわにした。
年齢の想像できない顔だなと思った。
一見、十代後半くらいに見えるが、そうだとしてもこんな得体の知れない、つかみどころのない雰囲気を纏ったティーンエイジャーは見たことがない。
ところどころクセのついた薄い藤色の髪、見つめた者の運命も見通してきそうな程の智慧と好奇心が濃縮還元された青い瞳。
スマートな顎のラインに小さな鼻。
この世の全てが自分の気まぐれを許しているとでも思っていそうな猫……血統書つきのロシアンブルーが知性を宿したような顔立ちだった。
だけど一瞬、ふわふわした髪の毛も、うっすらついたほっぺの肉も固そうだと思ってしまった。
その顔といったら、いっそ人間としては不自然なくらい左右対称で整いすぎていて、美少女だと感じるよりも先に、石膏でできた彫像みたいに感じたからだ。
彼女の薄い唇が最新鋭のゲームのCGみたいにモーフィングして言葉を紡ぐまで、その感覚は続いた。
「王政顧問魔導師、グロウだ。キミの名を訊こうか」
そう言ってグロウは挨拶のために右手を胸元にあてて軽く一礼する。
ローブでぼやけていた体の線だったが、それが胸元だけ浮き立って見えた。
雲上に現れたなだらかな丘がやけに蠱惑的に見えて、不躾にもじっと見てしまいそうになる。
「キッ……すぅっ、キクミヤです」
アメリと町の外で出会った時よりも噛みそうになり、俺はこれ以上名前を間違えられてはたまらないとばかりに大きく息を吸い、名乗った。
「ふーん。まるで名乗る途中でつっかえたみたいな、ヘンな名前だね」
俺の動揺を知ってか知らずか、グロウは今までと変わらない微笑をその顔にたたえたままだ。
この名前になった理由を直感で言い当てるとは、王政顧問魔導師とやらはやはり只者ではないらしい。
というか、やっぱりこの名前が変だっていうのは皆思うことなのか……。
今更名乗りなおす気も湧かないけど、やっちまったなあ。
「これ以上の話は向こうで聞こうかな。では、ボクはこれで失礼するよ。ついてきたまえ、キクミヤ君」
言うが早いか、グロウは踵を返して扉の方に歩いていく。
俺も後を追おうとすると、後ろから呼び止める声があった。
「キクミヤ!」
アメリだ。
スライムから逃げおおせた後、一日ずっと一緒に過ごしてきたけど、ここでお別れなんだろうか。
この子のおかげで、なんだかよくわかんねえ中でも、なんとかやってこれたんだけどな。
「明日、夜明けにここで集合ね! クエスト一緒に受けよう、いろいろ教えるから!」
今日一日何度もそうして見せたように、アメリは口をパカッと開けてせいいっぱい笑って、ソプラノリコーダーみたいな音色のでかい声で俺にそう告げた。
「わかった。じゃあ先輩、明日もよろしくおんしゃす」
開けっ放しだった扉の向こうにグロウがさっさと行ってしまうものだから、俺は早口に挨拶を済ませて小走りで扉をくぐった。
……アメリがそんな風に言ってくれなかったら、俺はもしかしたら足を引きずるようにして外に出ていたかもしれないな。
外は、先ほどグロウの顔を隠していた日没前の影がいっそう深まり、明るい星はすでに空に瞬いていた。
「キミも乗るといい」
いつの間にか箒のようなものの柄に横がけに座ったグロウが、隣に乗るよう促した。
その箒が、ちょっと高い椅子の座面くらいのところで浮いている。
そうか、魔法使いって本当に箒に乗るんだな。
俺は箒をまたぐようにすると、柄の部分をしっかりと握り締めた。
うう、近い。
初対面の女の子と、こんな近くに……。
実体験として全く経験のないものに乗っているのに、ヨコシマな考えが浮かんでしまうのは、俺の女性経験が悲しいくらい皆無だからである。
だが。
「出発といこうか。城まで一気に飛ぶから、振り落とされないようにね」
俺とグロウを乗せた箒は乱暴な加速で真上に上昇し、町の外からも見えた背の高い城、その一点を目指して今度は横方向にまっすぐ飛んだ。
「うぅおああああああああああ!!!」
「うるさいなあキクミヤ君、近所迷惑だよ?」
柄をしっかり握りなおしてなんとか墜落は免れたが、俺のヨコシマな考えはどっかで振り落とされた。
運転荒いですよ、グロウさん。
まっすぐ進んでいるせいか酔う心配はなさそうだけど、城下町に灯りだした明かりも、遠く山に沈む夕日も情緒を感じるにはいたらなかった。
城の向こうにたっぷりと見える大水も、川なのか海なのか湖なのか、確認する余裕もなかった。
スライムに追っかけられて、手から火の玉出す女の子に助けられて、冒険者ギルドとやらに登録したあと、とっても偉い魔導師に連れられて城へ、だなんて。
めまぐるしく変わる景色の中、俺にとって2020年8月15日だったはずの一日が、この箒みたいに猛スピードで異世界に引き寄せられていると感じるのがやっとだった。
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