第12話 ギャルの名は。

 冒険者ギルド、奥の小部屋から出てきたギャルはウェーブのかかった髪を揺らしながらこちらに歩いてくる。

 そして、その左後方から気持ち悪いデブが、両の黒目を右下に下げて白目を剥いたみたいにしながら同じくこちらにやってきた。


 語弊がある。

 ごめんなさい。

 俺は脊髄反射的な拒否反応の直後、どこにどれだけいるかもわからない、全世界のししおき豊かな皆様に心から謝罪した。


 しかしどこの誰とも知れない、俺が無意識に謝罪したあなたに言い訳をさせてください。

 正しく申し上げますと、これは俺が個人的な理由によって見ただけで具合が悪くなる太った中年男性が入ってきたという意味です。


 禿げた頭は皮脂でてらてらと爬虫類のように光り、皺のついたシャツやベージュのベストとパンツが汗臭く、口と鼻の間に蓄えた髭は整えているつもりだろうけど不揃いで不潔な感じがして、煙草と歯垢のジャムセッションみたいな口臭を常時荒い呼気から放っているその足の短い男は、元の世界で働いていた一日14時間労働が当たり前なクリーニング工場の工場長に雰囲気がそっくりだったから、その拒否反応なのです。


「でーギルドマスター、こっちの人がその」


「おぉん、おぉーんキクミヤ君ね、あーまーいいんじゃないの? まだ若いしまともに働けそうっしょ、うん大丈夫余裕っしょ。あ、俺ギルドマスターのケニッチね」


 口調は変わらないのにさっきとはうってかわって表情の固くなったギャルの後ろから、その男……ギルドマスターのケニッチとやらは話を遮って前に出てくると、どうでもよさそうに喋りだした。

 息の臭そうな声だった。

 そういうところが筒井工場長にそっくりなんだよ。


「じゃーさっそくだけど書類にサインだけもらって魔召紋登録しちゃうかね。そこで書いてきて」


 筒井……じゃなかった、ケニッチがカウンターの方を指差して一枚の紙を俺に渡してきた。

 持ってみると少し厚い、これがファンタジーによく出てくる羊皮紙ってやつか?

 異世界だし羊の皮でできてるかは、はなはだ疑問だけど。

 あとケニッチが臭い。


 俺とアメリはカウンターへ向かい、反対側へギャルとケニッチが歩き出す。

 そういえばギャル、名前まだ聞いてないな。

 キラキラネームっぽいのだったりするのだろうか、名づけの文化的にそれでも馴染みそうだけど。


「アメちゃん、今日の報酬出すのまだだったね、ついでに今やっとこ」


「う、うん」


 相変わらず表情の固いギャルがアメリにそう促すと、俺が書類を見ている間にアメリはアメリで備え付けの羽ペンで紙にサインをしている。

 俺も同じように羽ペンを取って自分の書類に左手を添えた。


「はい、クエスト報酬。アメちゃん今日もお疲れ様でした」


「ありがと! 明日もがんばるね!」


 ギャルが硬貨を数えて、それを入れた袋をアメリに手渡しているのを、ケニッチは何をするでもなく眺めている。

 いや、ただ単にギャルの腰の辺りをチラチラ見てる気がする。

 自分でグイグイいくでもなく、触ってないからいいだろうという言い訳ができるいやらしい視線にまた既視感を覚える。

 気色悪いので俺は目の前の書類に視線を戻した。


 冒険者ギルド登録書と書いてあって、クエスト、つまり仕事の受注と契約についてとか、報酬がどうの罰則がどうのとか、規約があれこれ記載されている。

 が、何が書いてあっても俺はここで仕事を受けるしかないのでとりあえずさっさと右下の署名欄にサインしよう。

 ほい、さっさかさーっとキクミヤです、っと。


 ……いやちょっとまて。

 それは どういう ことですか。

 なんで俺、異世界の文字を読んだり書いたりできるんだ?


 書類には漢字やカナともアルファベットとも違う、見たことのない字が綴られていた。

 そして俺がカタカナでキクミヤと書いたつもりの字は、やはり同系統のものと思われる見たことのない字に置き換わっていた。


 日本語で会話できるだけで充分不思議だったけど、まさか読み書きもできるとは。

 何の特別な力も与えられずにこの世界にやってきたと思っていたけど、地味にいいものを与えられているじゃないか、出どころ不明だけどさ。

 伝説のなんちゃらソードとか最初から持ってるよりこの翻訳能力の方がよっぽどありがたい、いるのか知らんけど神様ありがとう。


 サインした書類をケニッチに渡すと、でかい判子がドンと押された。

 ギャルが登録簿らしきものへそれを綴じるのを見届けると、ケニッチはギャルとカウンターの外へ歩きだした。

 書類についてはこれだけでいいらしいが、手続きが簡素すぎて若干不安になる。

 あとは魔召紋か、どこでどうやってつけるものなんだろう。


「魔召紋付与する儀式はそっちでやるから、ついてきて」


 ケニッチが入ってきたのと別な部屋を指して、ギャルが案内する。

 他の登録者ともああいうフランクな感じで話すのだろう。

 ただ、今はちょっとぎこちなさを感じる。

 ケニッチのせいだろうか。


「あ、そうだ申し遅れました。冒険者ギルド受付嬢のJKです、よろしくお願いします」


「は!?」


 ケニッチが来てからずっと固いままの顔で、ボタンを外したままなのに急に襟を正して一礼しようとしたギャル。

 今度は俺の口から出た一文字で、引き締まった腰も途中でピタッと固まった。


「む、一応挨拶だからちゃんとしようと思ったんじゃん、そんなびっくりしないでよ。JKだってば」


「は!?」


 頭を上げてギャルがむくれている。

 俺は驚きのあまり、またしても口から一文字しか出てこなかった。

 どうして驚いているのかわからないって顔してるな。

 そりゃそうだろうよ、そうだろうけどこっちだって意味わかんねえよ。

 なんだよ名を名乗るべきタイミングでJKって。


「キクミヤどうしたの、知ってる名前? 何か思い出したの?」


 アメリも俺の驚きように合点がいかない様子で訊いてくる。


「いや、知ってるというか、なんというか……」


 言葉に詰まる。

 女子高生って概念を知らないはずなのにJKみたいな格好したギャルが、自分はJKとか言ってるのがぜんぜん理解できないって言うのを、君たちにどうやって説明すればいいんだ。


「んー……? とにかく、あたしの名前はジェイケイね、ケイってみんな呼んでるから」


「アッハイ」


「ケイねえって、キクミヤと知り合いだったの?」


「いやー、やっぱ知らないと思うんだよね。この町の人とちょっと雰囲気違うって感じだしさあ」


「おぉーん、ケイちゃんもキクミヤ君ももういい? 登録済ませてもらいたいんだけど」


 ギャルJK……もとい、ケイは訝しげにしながらも、やがて俺の先に立って歩きはじめた。

 まさかとは思ったけど、ホントに名前がジェイケイなのか。

 アホみたいなやり取りに時間使ってごめんな。

 後から盛大に笑いがこみ上げてきたけど、これ以上頭のおかしいヤツと思われたくないので俺はくしゃみをするフリをして顔を手で覆った。


 その時、後ろのギルド入り口の扉が両手で大きく開け放たれた。

 誰かが入ってきたようだ。


「ごきげんよー! ケニッチ今日さぁ、外から町にやってきた人って、もしかしてここ来てない?」


「……は?」


 暢気な口調だが凛とした姿勢を感じさせる、女性の声が背中に響いた。

 俺はまた、その場につっ立ったまま口から一文字出すばかりで、振り返ろうとした首はゆっくりとしか回らなかった。

 さっきから俺の口、鯉みたいになってばっかなんだろうな。


 イマドキギャルに、筒井工場長。

 今度は誰だよ。

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