第11話 2020年夏のイマドキ受付嬢コーデ

 開かれた扉から、もう夜にこぼれていきそうな日差しが細く長く差し込んだ。

 それとともに空気が動き出して、建物の中には風がゆっくりと入っていった。


 調度品や紙切れが風に揺れる音を聞きながら、俺は館内を見渡した。

 天井が高く吹き抜けた空間で、個別の部屋につながるドアはあまり多くない。


 正面に伸びる模様の擦り切れた赤いカーペットが、突きあたりのカウンターまで長く伸びていて、それを隔てた向こう側にはこちらに背を向けている髪の長い人の姿がある。

 まるで橋が架かっているようなそのカーペットを外れた両脇には木の床が現れていて、そこには縁にところどころ傷がついた素朴な丸テーブルがいくつか。

 テーブルの周りを囲む、肘掛けも背もたれもない椅子には何人かが座って話をしていたり、こちらの様子をちらりと見たり。


 視線を少し上に上げると、壁には大きな獣の頭の剥製や、掲示板にいくつもピン留めされた茶色がかった四角い紙、長らく誰も手を伸ばした様子がなく埃っぽい本棚がある。

 カウンターのすぐ横の壁際には階段があり、その先へ更に視線を上げると壁に沿って造られた二階が見える。


 ここが冒険者ギルド。

 埃と汗のにおいがする場所だった。

 俺は、ここで仕事を探して働くことになるのか。


 建物の中に入って、冒険者ギルドというのがやっと自分の理解できるイメージに翻訳できた気がする。

 さながらこの世界の職業安定所ってところ、さらに請けた仕事はその場ですぐスタート、か。

 早々に匙を投げたモンスターをハンティングするゲーム、あれのクエスト受けるところに似ている気がして雰囲気は腑に落ちたけど、あまり掃除が行き届いていないのが職場の事務所みたいで気になる。


 で、俺はこの世界において、スキルもなければ学歴も職歴もない無職の27歳男性、ついでに記憶喪失と。

 ここで思い返すと本当に状況は最悪だな。

 元の世界で職安行ってそんなヤツが就活するのは、確かにうまくいく気がしない。

 ここでは子供や他で働けない人も働いてるってアメリも言ってたし、冒険者ギルドで仕事を探すのは不本意ながら妥当な判断だったかもしれない。


 ギルド内の様子を一通り眺めたあたりで、アメリがカウンターの方へと歩き出した。

 俺は少し後からついていく。


「おつかれさまでーす、アメリ帰りましたー!」


 天井が低くなっていて影がかかっているカウンターの向こうへ、アメリがいつもの無駄に元気のいい声をかける。

 背を向けていた人が、腰掛けていた椅子をくるりと回して振り向いた。

 華奢な喉を鳴らして声を発したのは、フランクな雰囲気の女性だった。


「おっアメちゃんじゃーん! お疲れー、だいじょぶだった?」


「だいじょぶだいじょぶ! 今日もがんばった!」


「そっかそっか無事でよかったよ、うぃー」


「うぃー!」


 カウンターの向こうの女性は、銀色のでかい目をホチキスを閉じるみたいにバチリと細くして笑うと、アメリとハイタッチする。

 アメリも口をパカッと開けて笑う。

 その後ろで、俺は口をパカッと開けて呆然とした。


 ギャルだべや。

 異世界にギャル。


 ピンクアッシュの髪は頭のてっぺんから下にいくほど鮮やかなグラデーションになっていて、その流れに伴って華やかなウェーブがかかって肩甲骨辺りに届いている。

 銀や緑の髪はアメリやヴェールがいたし、町には他にも変わった髪色の人はいたけど、彼女はその中でも特別際立った色をしていて、それがお洒落で染めているのは俺の目にも明らかだった。


 その洒落た髪がさっき振り向き様にふわりと揺れたとき、香水と思われる匂いが鼻をくすぐった。

 ぱっつん前髪の下にある、つり目気味の銀色の大きな瞳とばさばさの睫毛からは、強めの目ヂカラが感じられた。

 我はギャル系ここにあり、という顔だった。


 顔といえば、首と顔の色が違い過ぎない白めのナチュラルメイクだったり、薄い色だけど形のはっきりした眉毛を描いていたり、血色のいいルージュを引いているあたり、なおさら転移直前である2020年の日本のギャルっぽい。

 若者が集まりそうなアーティストのライブでは見慣れた化粧だ。


 俺にとって異世界らしからぬその顔の下は、ボタンをひとつ開けた白いブラウスにリボンタイ、ダークグレーのジャケット。

 カウンターで胸から下の装いは見えないが、これでタータンチェックのプリーツスカートだったら完全に制服姿のJKだろ。

 ルーズソックスはたぶん履いてないだろうな、あれはもうギャルにとっては黎明期の遺物だし。


 いやいやしかし、まさかこの世界でこんな姿の人間に出会うとは。

 さして俺の生活を揺るがすわけでもない光景だというのに、彼女のいでたちには自分でも意外なほどに面食らった。

 好きなバンド何? って訊いたら、クリアフォレストじゃなくて俺の世界のバンドの名前が出てきそう。

 転移前の2020年8月14日と15日の境目なら、例えばオフィシャル・・・。


「そいでアメちゃん、後ろの人だれー? なんか口開いてるけど」


「は、は、はギャ」


「ちょっと口閉じてよ! えっとね、キクミヤっていうの。さっき門番さんからギルドに連れてくように言われたんだ。武器も魔召紋もないのに外にいたんだけど、おまけに記憶喪失らしくて」


 怒られた。

 俺は気を取り直して口を閉じつつ、昼間にアメリと話したことを思い出す。

 ええと、夕方に門番に引き渡されてきたことにする、だったな。

 何か訊かれたら話を合わせるとするか。


 と思っていると、珍しい生き物でも見るように、ギャルがこっちを遠慮なくまじまじと見つめてきた。

 目ヂカラが強くて実際の距離よりも顔が近いような錯覚を覚える。

 観察、警戒、記憶との照合、そしてささやかな気遣い。

 顔色から伺えるのはそんなところだろうか。

 俺は視線の後に続く言葉が気になって、閉じた口がまた開きそうになった。


「へぇー武装もしないでよく無事だったね。仕事柄いろいろ訳アリの人はたくさん見たけど、アンタ知らない顔だなー、どこの人なんだろ。名前もヘンだし」


「ヘンだよねー」


 名前は余計なお世話だ、というか今更訂正する気もないけど本名じゃない。

 ともかく、外での事実関係はアメリが話した以上に追究されなかったし、こちらを危険な人間だと思われていないようでなによりだ。


「ところでアメちゃんさ、この人ウチに連れてきてどうするつもりだったん?」


「あ、ああー。ギルドで保護してもらったりとかは……やってないよね」


「残念だけどそうだねー。ウチはそういうの期待しない方がいいかな」


「じゃあさ、ここに来るまでに二人で話してたんだけど、キクミヤが冒険者ギルドに登録するっていうのは、できる?」


「あー、そういう? それならだいじょぶだと思うよ、ウチ身元はあんまりとやかく言わないし」


「でしたら、今日登録の方をお願いしてもよろしいでしょうか?」


 俺は商用バンで配達に回っていたときのような敬語で、このフランクなギャルに問いかけてみた。

 立場的にこれでいいと思うんだけど、相手がギャルギャルしてるもんだから客観的にはずいぶん異様な光景な気がするのは気のせいか。

 いや、でも初見の相手だしさあ……あ、ほらでかい目が更にでかくなってるよ。

 一瞬にしては、どうも気まずい沈黙があった。


「ははッ、キクミヤくん喋り方固ったぁ! いいよーもう少し楽に喋ってさ。登録はサインだけだしさっさとやっちゃおっか。魔召紋も今つけてく?」


「アッハイ」


 そうか、そういう感じか。

 こういう相手との距離感掴むのは苦手なんだよ。

 ん、ちょっと待て。

 いま魔召紋もつけるって言ったか?


「じゃあ上の人呼んでくるんで、ちょっと待っててー」


 ギャルはそれだけ言ってカウンターから出て行くと奥の小部屋の方へ歩いていった。

 ちなみにカウンターに隠れていた下半身はジャケットと同じ色のタイトスカートに黒タイツ、靴はパンプスだった。

 下までJKじゃなかったか、ルーズソックスじゃないのは読んでいたけどな。


 それにしてもスカートよ。

 ケツが見えそうとか言うほどじゃないけど、仕事場でその丈はちょっと短いんじゃないか?

 二次元の萌えアニメだったら、そのくらいでいいのかもしれないけど。


 ギャルの全身が目線を動かさなくても見えるくらい離れたあたりで、俺は大きな緊張のひとかけらを剥がすようにふうと息を吐いた。

 自分の手に魔召紋をつけるというのは、俺が今までフィクションの中だけのものと思っていた異質なそれを受け入れるということ。

 だってあれいきなり火とか出すんだぞ、それをこの俺が?

 自分でそうするとは言ったものの、にわかには信じられない。


 言い知れない緊張を感じながらカウンターの前でしばらく待っていると、小部屋からギャルが戻ってきた。

 その後ろからやってくる者の姿を見て、俺は具合が悪くなった。

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