第10話 そして冒険者ギルドへ…

 町には朱色に変わろうとする光が差し込み、建物の影はみな一様に、通りに黒く長く伸びていた。


 大通りは昼に比べると幾分か人がまばらで、露店の並びにはもういくつか穴ができていたり、あるいは今店をたたみ始める者が出たりしている。

 日の傾きとともに静けさが訪れ始めて、鼓膜を震わせるものもだいぶ少なくなっていた。

 RPGなんかで昼のマップに鳴っていた朗らかなBGMが、夜が近づくにつれて緩やかにフェードアウトしていくように。


 俺はアメリと来た道を戻るように進み、広場を通り過ぎて冒険者ギルドを目指している。

 露店の右側と左側、町の外壁の見える側と広場の見える側、人の往来、影の形。

 いくばくかの時間をおいて逆向きに歩いているだけで、同じ通りがまるで別の景色のようだった。

 昼間と反対側に歩いていると、広場の先、大通りが続くさらにその先には、町の外からも見えていた城が小さな山のようにそびえているのが見えた。


「そういえばさ、その……風呂とかって、みんなどうしてるの?」


 俺がアメリと道すがら話すことといえば、もっぱらこの町での暮らしのことだった。

 それは質問責めと言うに等しいものだったけど、アメリは時々天を仰いだり首をひねりながら、ひとつひとつ答えてくれた。

 さっき下ごしらえした夕飯はあれで硬貨いくらくらいだとか、どこの露店で買ったのかとか。

 わからないことだらけで生まれる不安を、俺は少しでも減らせるようにする必要があった。

 で、件の風呂の話になる。


 さほど重要でないかもしれない素朴な疑問ではあるが、ことさら風呂については、基本的に毎日自宅で入浴する国で生まれ育ったので、気にはなっていた。

 掃除しているときに気づいたけど、アメリの家には風呂がなかったのだ。


「えっお風呂? ああーお風呂はね、町のあちこちに公衆浴場があるから、みんなそこで入るんだよ。なんとかって薬草につけたお湯でさ、サボンで身体洗ってから入ると、いいにおいするし気持ちいいんだぁ~。すっきりさっぱり~」


 その場を想像しながら話しているのか、目元と口元が緩んで波打ってる顔でアメリがそう答えた。

 心がもうすでに40度前後のお湯に沈んでいるみたいで、ちょっと笑いそうになる。

 でも毎回風呂に入るたびに他人がいるのって、俺はちょっと得意じゃない状況だなぁ。

 ほらアメリ、服を着なよ心の中で。


「へえーそうなんだ、大衆浴場ねえ。毎日入ってるの?」


「うん、朝にね! 身体をキレイにしてから、みんなせーのでお仕事ってわけ」


「あさっ……そ、そっか仕事の前に入ると。そういうものなんだ」


「?」


 あーいかんいかん。

 朝に入るのを意外に思った気持ちが言葉に出そうだったが、グッと飲み込んだ。

 


 アメリが勝手に勘違いしてくれた記憶喪失という設定は、しっかりと維持した方がいい。

 俺がどうしてこの世界に来ることになってしまったのか、これにはどういう意味があるのか、それが一番わからないからだ。


 風呂の話みたいに、なんとなく気になったからみたいなノリで質問できる内容ではないと思う。

 もしこの現象に何か特別な意味合いがあるとしたら、それは誰かに質問した時点でその『何か特別なもの』の当事者と見なされ、俺に何かしらの立場を付加することになるからだ。

 他人事のように、こんな人っているの? と訊いても、自分もそうですと言っているようなものだろう。


 当たり前にいるくらいだったらまだいいけど、元の世界で知ってる範囲の物語にいくつかあったような、魔王を倒すために召喚された勇者とか、何百年に一度現れる災厄の子とか、そういう扱いされたらたまったもんじゃない。

 スライム一匹から逃げるのがやっとの、昨日まで上司や営業にボロクソに言われながらクリーニング工場で働いていただけの27歳だぞ。

 そんな重い役目、俺にどうしろってんだ。


 とにかく、俺は余計で危険な使命その他を背負わされるのはごめんだ。

 今、俺は外の世界から来た菊坂フミヤではなく、記憶喪失のキクミヤでいい。

 キクミヤで、いなくては。


「風呂についてはわかった。ところで、冒険者ギルドに行ったら、俺は何したらいいの」


 心の中ばかり騒音でざわつくような短い沈黙を破ろうとして、俺は話題を変えた。


「んん? そうだなあ、最初にあたしがギルドの人に、何があったか説明するね。キクミヤは……うーん、困った人の顔しててくれればいいかな? とりあえず」


「そっかあ……」


 アメリからすれば、俺をギルドに引き渡しさえすれば自分の仕事は終わったようなもんだしな。

 確かにそこから先は、俺が自分で決めることなのかもしれない。

 自分で決める、という言葉が頭の中に浮かんだ瞬間、なぜかみぞおちの辺りがずくんと痛んだような気がした。


「そうだ、冒険者ギルドに登録するか、ちゃんと考えてた?」


「一応ね……。やっぱり俺もその、冒険者ギルドで働かなくちゃダメかな」


「たぶんね。記憶がなくてもキクミヤは大人だし、できることはあるかもしれないけど、さっき質問してるの聞いてると、なんていうか……生き方全部わかんないって感じじゃん。どっかのお店で働くとか、正直大丈夫かな?って思うよ」


 俺はアメリがやったみたいにスライムと生身で渡り合うのもおっかないので、できれば他にこんな仕事あるよとか言ってもらえることを期待したけど、答えは無慈悲なものだった。

 そりゃそうだよな、確かに俺だって露店で商売したり、キンザの店で働いたりできる気はしなかった。

 俺が海外のコンビニで働くことはがんばればできるだろうけど、言うなれば今の俺は、コンビニに置いてある商品が食べ物なのかどうか分からないくらい、ものを知らないのだから。


「冒険者ギルドはね、あたしみたいに子供でも働かなくちゃいけない人とか、他の仕事ができなくなった人もいっぱい働いてるんだ。キクミヤだって、たぶん大丈夫。たしかに危ない仕事だけど、魔召紋があればなんとかなるよ」


 言葉の最後に励ますように微笑んで話すアメリだったが、その表情には当然だが明るくないものがあった。

 他人を危険な職場に誘うのなんて、乗り気でやれることじゃないよな。

 昼間にもギルドで仕事を探してみたらと話してはいたけど、それはあくまで選択肢の提示だったから今と状況が違う。


 と。

 大通りの端が近くに見えてきた。

 T字路になった突き当りには、赤い屋根の小さな屋敷があった。

 レンガ造りのその屋敷には庭がなく、中央に頑丈そうな両開きの扉がついていて、住居にしては物々しい雰囲気が感じ取れた。


「あそこだよ」


 アメリがぽつりと俺に告げた。


「それで、どうする?」


 俺は。

 俺は悩んだ。

 様々な記憶が、走馬灯のように去来しては過ぎていった。


 元の世界で仕事をしていたときに、工場長や営業に自分のありようを蔑まれていたこと。

 結婚の話題を次第にしなくなっていった母親のこと。

 奥さんと子供に恵まれて、神奈川に家を建てた兄のこと。


 この世界に来たときに、スマホも飼い猫も車も住み慣れた町も見つからずに激しく動揺したこと。

 スライムに追いかけ回されて、必死で走って逃げたこと。

 クリアフォレストの演奏を眼前にして感動しつつも、まるではるか彼方の出来事のように思ったこと。

 キンザのチャーハンをおいしいと思いつつも、その食材が何一つ不明だったこと。

 アメリと手を繋いだとき、指先が少し固く感じたこと。


 今ここでどう行動するか、その判断基準になるようなことではなかったかもしれない。

 でも、それらは突風に吹かれて飛んできたチラシみたいに俺の顔を叩いていった。


 俺は。

 俺は心の中で身体がねじくれていくような惑いの中、やっと一言、搾り出すように言った。


「やるよ……冒険者ギルドの仕事。たぶん、やるしかないと思う」


 眉根を下げながら答えた。

 決断というには締まりのない、状況に流された末に出た、諦めに近い答えだった。

 明日をも知れない俺には、危険だとわかっていてもそうするしかない気がした。


「うん」


 アメリの返事は短かった。


「行こっか」


 続く言葉に、俺は頷きだけを返した。


 冒険者ギルドの前までやってくると、俺は両扉の取っ手の片方を両手で握って開いた。

 腕にかかる手ごたえ以上に、重たく感じる扉だった。

 俺とアメリの影は、ギルド内の床の右斜め前方に長く伸びていった。

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