第9話 アメリの家から見る異世界生活様式
『フランスの町並み』って検索するとネットに画像が出てきそうな、道路沿いに三階建てくらいの建物が続く通り。
あいにくスマホはないし、おそらくあっても圏外だろうけど、俺はそこを少し早足で歩いている。
気がつけば無意識に、飯をたんまり食って膨れた腹を撫で回していた。
異世界のもので得た満腹感からか、なんだか少しこの世界になじんできたような気さえしてくる。
アメリの家には、キンザの店からそんなに歩かないうちに着いた。
造りはしっかりしているようだけど、乾いた茶色の壁にうっすらと緑の苔がついていて、年季を感じる家だった。
その家の前に着くなり萌葱色のワンピースの袖をまくって、アメリの眉毛はVの字になった。
「さっきも言ったけど、夕方までにできそうなのは掃除して洗濯物片付けて晩ごはんの準備して、ってとこかな。やるよキクミヤ! ギルド行くまで、ちょっとでも済ませておきたいんだから!」
俺がちょっとその勢いに飲まれそうになっている間に、アメリはずんずん進んでいく。
一階はなにか自営の商売をやるところらしいが、今は使われていないようだ。
二つある扉のうち、小さい方に向かっていく。
「ただいま! お母さん、お父さん調子どう?」
キンザの店に比べると軽そうな扉を勢いよく開けて、アメリは親御さんに呼びかける。
狭い玄関には小上がりがなく、目の前の階段を土足のまま上っていく。
二階にリビングがあるのだろうか。
俺は馴染みのない建築様式に、なんだか肩が凝ってくるような緊張を覚えた。
「おかえりー、お父さん今日だいぶいいみたい、ちょっと待っててねー」
やや間があって、通りの良さがアメリに似た声がした。
二階の廊下、近づいてくる足音はひとつ。
アメリの母親と思しき女性だった。
俺は少々意外に思った。
大黒柱が病に倒れて一家が大変だと聞いていたから、アメリの母親は仕事と看病でやつれているような想像を勝手にしてしまっていたけれど、あまりそうも見えない。
地味な色のブラウスとロングスカートに身を包んだその女性は、きょう家の中にずっといたであろうに、顔にうっすらおしろいを塗っていた。
その頬も別に、こけているとかいう感じではない。
アメリと一緒の銀色の髪と翡翠みたいな瞳を除けば、元の世界に連れて行っても普通に馴染みそうな、親しみやすそうな印象だった。
「それでどうしたのアメリ、こんな時間に。それに、そちらの方は?」
そのアメリ母だが、出迎えにでてきたのはいいものの、予想していなかった時間にやってきた俺とアメリの顔を交互に見て驚いている。
「この人は外で襲われてたのを、あたしが助けたんだよ! 夕方頃にギルドに連れて行くつもりなんだけど、それまで時間があるからお母さんのこと手伝っておきたくて、いったん帰ってきたの!」
「どうも、キクミヤといいます。娘さんには危ないところを助けてもらって、ありがとうございます」
「ふふん、すごいでしょ。あたしが一人で助けてきたんだよ!」
アメリがカブトムシを捕まえてきた少年のように会心のドヤ顔をキメて、ついでに決めポーズもキメた。
キメッキメである。
やっぱり親にはそういうの自慢したいお年頃なのか。
「それは……。ううん、がんばったね、アメリ」
「うん!!」
口をパカッと開けるアメリの笑顔はそろそろ見慣れてきたが、今はひときわ明るい。
ところでアメリ母、何か言いかけたな。
娘が町の外に出ているのが、やはり心配ではあるのだろう。
「娘さんのおかげでどうにか町に入ることができましたが、ご迷惑をおかけしまして……」
「いえ、アメリが立派にお勤めを果たしているようで安心しました。アメリの母のシャルといいます、ご無事で何よりです」
俺は母親に頭を下げると、母親もこちらを向いて一礼した。
「アメリから聞いたかもしれませんが、夫のファーロは、
「いえ、助けてもらったお礼に、少しお手伝いをと思っていまして。アメリとも約束しましたからね」
「あら、この子ったら。すみません、よその方にそんなこと」
母親は眉尻を下げて困ったように俺に笑いかけてきた。
「いーのー! せっかくキクミヤがぜひって言ってくれたんだから!」
是非とまでは言ってないが、いちいち訂正することでもないので黙っておく。
「もう、大人の人を呼び捨てにしたらだめでしょ、アメリ」
「あーそれは、いいんですお母さん。娘さんにはいろいろ教えてもらってまして、俺にとってはもう先輩みたいなものですから」
助けてくれた恩人が親から叱られるのを見るのはためらわれる。
俺はとっさにアメリのフォローに徹する姿勢をとった。
「いろいろあって身を守るものもなくて困っていて、そんな時に助けてもらったので、俺にできることなら手伝わせてください」
「そうでしたか、そう、言うのでしたら……。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね。ありがとうございます」
遠慮がちで、やはり困ったような笑顔を浮かべながらも納得してもらえたようだ。
あまり気まずい思いをさせないようにと、俺はさっそく声をかける。
「それでアメリ、これから何したらいいの。なるべくできるとこまでやっておきたいんでしょ」
「うん、お掃除から始めるよ。ほーきとぞーきん出して、二階の部屋から一緒にやろ! お母さん、今日はちょっと休んだって大丈夫だからさ、お昼寝でもしててー!」
「う、うん……お願いね」
張り切っているアメリの勢いに押し切られるシャルを尻目に、二人で掃除道具を取りに行く。
……それからしばらく、俺はアメリについていきながら家のあちこちを早歩きして家事に明け暮れた。
そうしているうちに、この町の人の生活様式というのが俺にもなんとなくわかってきた。
元の世界に帰れるあてもないわけで、しばらくこの町で暮らしていかなければならないだろうという気はうすうすしていたけれど、この辺になって俺はようやく実感がわいてきた気がする。
「キクミヤ、一回ぞーきん洗お! お水汲んできて!」
「はいはいー」
俺の今までの暮らしでいうと、掃除は箒で掃いたりぞうきんで拭いたりと、学校でやらされたそれに近いものだった。
町の雰囲気から察する文明レベルだと、水は井戸を使うものだと思っていたけどやっぱりそうだった。
うちにもあったので懐かしい気持ちになったけど、生活用水として井戸から何回も水を汲むのは初めてのことで、実際やると正直重たいしめんどくさい。
ローテクのノスタルジックさに浸る気分にはならなかった。
「なにこれ、ぞうきんにキクミヤの手形ついてる! ビンタした跡みたい、でも緑色・・・・・・ぷぷっ」
「ははは、緑のビンタとは想像力が豊かなようで……」
二階の窓拭きをしているときに、ふと思いついて窓から顔を出し、外の壁も拭いてみた時のこと。
外から見えた緑の苔は滑らかな手ごたえとともにすぐ取れて、俺の手形がついた。
まだツヤがある茶色の壁を見ていると、なんとなくこの家の懐事情が想像できた。
今にして思えば、俺の暮らしていた日本の田舎でも、家の屋根や壁に定期的な塗りなおしを行っているかどうかは裕福度のバロメータだった気がする。
ファーロといったっけ、きっとアメリの父親は家業をやっている間、それなりに稼いでいた人なのだろう。
「次、お父さんの部屋だから静かにね」
「わかった」
どんな人なのかと考えていたら、さっそくお目見えすることになるようだ。
「まあ無理だと思うんだけどさ」
「?」
雑巾の水と桶を変えた後、アメリと一緒に部屋をノックしてドアを開ける。
「お父さーん入るよー」
「失礼しまーす」
そっと声をかけて部屋に入る。
部屋のベッドに横たわっているのは、黒い短髪に茶色い瞳、眼鏡をかけた男性だった。
今はやつれているようだけれど、肩幅が広く骨格ががっしりしているのが伺えた。
こうなる前は筋肉質だったりするのだろうか。
「おっ、さっきから足音がひとつ多いような気がしていたけど、やっぱり人が来てたのかい。すまないねぇこんな格好で、僕はファーロ、君は?」
ファーロは人好きのする笑顔を見せて、本当に病人なのかと思うような軽快な口調で話しかけてくる。
「キクミヤです。いろいろあって今日はお手伝いしてます」
「ほう? どういう経緯かわからないけど、それはどうもありがとう。しかしちょっと変わった名前だね、外国の人かな? いやー僕も外の国とか知りたいんだけど見ての通り病人でさ、元気な身体になったらいっぱい稼いで妻や娘と物見遊山の旅に出ようかなんて考えててさーはっはっはゲホッゲホッ」
「もー! お父さん人が来るとすぐこれなんだもん! 病人なんだから落ち着いてってば! キクミヤ、悪いけど窓開けてその辺拭いてて……」
アメリがファーロの横に行って背をさする。
静かにできないのは、どうやらファーロのほうだったようだ。
部屋の中を拭き掃除している間、ファーロは楽しそうに、俺にずっと話しかけてきた。
たまにうっかり先を促すような相槌を打つと、俺までアメリに叱られた。
聞けばファーロは楽器職人で、クリアフォレストの楽器を作ったのもファーロなのだとか。
いかん、他にもいろいろ質問されたり、面白そうなことを喋ってた気がするけど、一番印象的だったその話しか覚えてない。
が、アメリが底抜けに明るい性格だったり、シャルが家でも化粧をしている理由がなんとなくわかった気がする。
ものすごいスピードで自分語りをするのに、ファーロとの会話には不思議といやみに感じさせないところがある。
他人の物語に興味がないと言うわけではなく、むしろどんどん話させようとする。
二人とも、そんなファーロが好きなんだろうな。
だから、彼に暗いところや切羽詰まっているところを見せたくないのだろう。
どういう病なのか詳しく聞かなかったが、なにせ彼自身が咳き込みながらもあんなにニコニコ笑っているのだから。
もしかしたらファーロがああなのも、家族を心配させないようにそうしているのかもしれないとさえ思った。
この家族は、お互いが好きだからできる、強がりの笑顔で繋がっているのだ。
その後、俺は残りの家事もアメリに煽られながら片付けていく。
「ここに手を当ててしばらくすると火がつくんだよ! まだ触っちゃダメねっ」
「マジか……! 火打石カチカチやらなくていいのは救いだわ」
「ヒューチーシってなに?」
キッチンにコンロに相当する魔召紋みたいな火起こしスイッチがあったり。
「この水を流したら……どこに行くの」
「んっとね、町の地下に汚い水を捨てるとこがあるってお父さん言ってたよ」
上水は井戸なのに下水道があって、そのおかげでトイレが水洗なのに驚いたり。
「アメリ、洗濯物の下着がファーロさんのしかないんだけど」
「えっち! 先に片付けたの! ってキクミヤたたむの早っ!」
つい検品してる気になってしまった言い訳に、記憶喪失と言ったのを忘れて危うく元洗濯屋だと口を滑らせそうになったり、してさ。
「水汲んできたよ、アメリ」
「ありがと! 流しに置いといてー」
最後に食材を水で洗って刻んだり下味をつけたりしている頃には、窓枠の影が家の中に長く伸びてくる時間になった。
日が傾いている。
「ふうー、やっぱりここまでかな。おかーさーん、そろそろ行ってくるねー」
「はーい、気をつけてねー。キクミヤさんも、お世話になりました」
アメリは廊下側のドアから、シャルの部屋に顔だけ出してやり取りを済ませる。
ここに着いてからせかせかしっぱなしだったが、アメリは再び俺と家を出るまで、あの口をパカッと開けて笑う顔をよく見せていた。
俺はそんな顔を見て、このくらいの歳の頃に家族にどんな顔をしていたのか、おぼろげな記憶を辿らずにはいられなかった。
「暗くなる前に行っちゃお!」
「お、おう! 行っちゃお!」
なんとなくノリにつられて真似してしまうと、それでアメリがまた笑った。
冒険者ギルドか、どんなところなんだろう。
この家族みたいに、いい人たちだといいな。
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