第8話 ちっちゃい先輩
「うまいっ……!」
アグゥの町、細い路地にある古びたメシ屋。
小汚く飾り気のない店内の、しかしよく磨かれたカウンターテーブルに、ひとつの『うまい』がこだました。
俺は食欲の赴くままに、スプーンですくって、それに二回息を吹きかけて、口に運び、よく噛んで飲み下す。
それを繰り返す。
チャーハンだった。
材料がなんだかよくわからねえが知ったこっちゃない。
これはまごうことなき、ニンニクチャーハンの味だッ!
「はふっ! んもんもんもんんんっ! ふうっふうっ! はふっ! んもんもんもんんんっ! はふっ!」
「兄ちゃん、えーとキクミヤだっけ? そんなに吹いたらメシ粒が吹っ飛んじまうぞ……」
キンザが厨房で作業をしながらそんなことを言っていたような気がするが、俺の耳には意味のある言葉に聞こえなかった。
ひたすら目の前のメシをかっ食らう。
「よっぽどおなかすいてたんだね、キクミヤ食べ方おもしろい!」
アメリが横でケタケタ笑っているが、俺はそれにも構わず夢中でチャーハンを頬張った。
たしかに腹は相当減っていたのかもしれない。
異世界に来た緊張から、今まで身体がよっぽどごまかしてきたのだろう。
皿が半分ほど減ってきてから俺はようやく、その味を口の中で咀嚼し、翻訳する頭が働いてきた。
やはりこれは肉体労働者御用達のメシのようで、味は濃い。
野菜は素材の味が薄いようだが塩で下味がつけてあるし、肉は香辛料をベースにしたものでしっかり漬けてあるようだ。
穀物は食感がタイ米に近いもので、外がパラパラしてやや固く、中はもっちりとデンプン質の弾力。
これが他の素材の塩っ気の濃さとちょうどよくマッチしている。
料理全体には、あのニンニクによく似た香りが広がっている。
そしてよく味わってみないと気づかなかったが、鰹節とかに代表されるような魚介の風味が溶け込んでいるんだよな。
それが絶妙に混ざることでお互いの臭みを打ち消しあい、相乗効果で純粋に旨味だけを高めあっている。
いつの間にか横においてあった水をぐっとあおると、濃い味に麻痺しかけていた味覚が再び蘇り、俺のスプーンはまた、皿と口との往復を繰り返していく。
これが、異世界で最初に口にした料理だった。
名前もなく、素材もわからないチャーハン。
スライムの襲撃からアメリに助けられ、なんとか町に入り、広場の活気に驚かされ、クリアフォレストの演奏に胸を打たれて、そうしてたどり着いた、最初のメシ。
きっとここで食べたこの味を、俺は生涯忘れることはないだろう。
大げさかもしれないが、そう感慨に浸りながら最後の一口を味わいつくした。
「うまかった」
気の抜けたような声が喉から漏れる。
周りに飯粒の散らかった皿の底は、この店の雰囲気をそのまま切り取ったような無地だった。
俺はそれを見てようやく一息つくと、キンザが厨房から俺とアメリの間に歩いてきた。
「そりゃどうも。ついでに、初めて来店したヤツの胃袋は掴んでおかないとな」
「わ、おっちゃんなにそれ!」
「俺のオヤツだよ。初見さんがうまそうに食ってくれるってのは気分がいいからな。今日だけこいつをタダでつけてやろう」
ちょっと勿体つけた言い方にも感じたが、親切で言ってくれている部分も嘘ではないのだろう。
コックコートに包まれたキンザの太い腕が俺達のテーブルに伸びると、ひんやりした空気が通り過ぎていくのを感じた。
テーブルを見ると、脚のついた小洒落たグラスに小さなアイス、たぶんアイスが乗っていた。
「甘さがちょっと足りんだろうから、このお茶飲んで間に合わせろ」
続けてキンザは紅色のお茶をアイスから少し離して置いた。
紅茶より、もう少し赤みが鮮やかだ。
その白いカップは流線型の模様で縁取られていて、同じ模様がついたソーサーにちゃんと乗っている。
淹れたてのお茶から湯気が立ち、そこから花のようなかぐわしい香りがした。
アイスの乗ったグラスもティーカップとソーサーも、きれいに磨かれている。
靴の裏に油の皮膜を感じるような店内で、それらはいささか浮いて見えるものだった。
「えーっ、おっちゃんどうしたのこれ、この店にこんな食器あったの!?」
アメリが心底意外そうに言う。
俺だってそう思ったけど、サービスしてくれた相手にそんなこと言うなよ。
「あんまりはしゃいで割るなよ。俺と嫁の大事な記念品なんでな」
キンザは苦笑いして答える。
「そんな大事なもの、使わせてしまっていいんですか」
俺は少々食器が心配でそう訊いてみたが、キンザは苦笑いを浮かべたままだった。
「それしかちょうどいいのがねえんだよ。量がなくて普段客に出してないしな」
「それは……ありがとうございます」
「いーいー、食後に出すような気の利いたモンなんてこれくらいなんだからよ。三人以上で来なくてラッキーだったな、溶ける前に食っちまいな。さっさと洗いてえんだから」
出したはいいものの、やっぱり少し照れくさいのだろうか。
キンザは他に客がいないのをいいことに客席に座ってそっぽを向いた。
俺は食器に気を遣いながら、グラスに添えられたティースプーンでアイスをすくって一口食べてみた。
確かにキンザの言うとおり、デザートとしては甘味は薄い。
そのかわりミルクのような濃厚なクリーミーさと、後からさわやかに鼻を抜けていくミントみたいなハーブの香りがあった。
言われたとおり、その後にお茶をすすってみる。
これは。
「花? の、蜜……?」
フルーツとは趣の異なる、植物が結実を迎える前の、青さの残る酸味の少ない甘さ。
それが口の中で膨らむようにじわじわと広がっていく。
不思議なもので、正直アイスよりもこのお茶の方が甘かった。
「お茶飲んだらこっちもおいしくなったよ! すごーいなにこれー! 二つでひとつみたいな?」
「おン、キクミヤ鼻が利くじゃねえか。アメリもいいとこ気づいたな」
キンザが意外そうにこちらを振り向いて笑った。
今度は目じりも少しだけ動いたのが見えた。
「そいつは砂糖じゃねえ。よそから飾りモンにならなくなった花ァかき集めて茶にすンだよ。そうすっと蜜が結構入っててな、これが甘くてうまいんだわ」
リサイクルで作ったお茶なのか、とてもそうは思えない深みと甘さだ。
「じゃ、こっちのはなーに?」
アメリがアイスの方を指してキンザに問いかける。
「そっちはアケビアの実を凍らせたやつでな。種の周りのドロッとしたとこを漉して、ミルクやハーブと混ぜるとそんな感じのオヤツになるってわけだ。花茶によく合うだろ?」
アケビアの実ってのはなんだかよくわからないが、話を聞く限りではアケビみたいなものだろうか。
気を良くしたのか、キンザがデザートとお茶について薀蓄を語り始めた。
「氷室でアケビアのペーストを凍らせるとそのオヤツが作れるんだが、そのまま食ってもなんか甘くないし味気なくてな。これもうちょっとなんとかなんねーかなってぼんやり考えてるうちに、ガキの頃花びらつまみ取って甘い蜜吸ってたのを思い出した瞬間にピンときてよ。あれむちゃくちゃいっぱいあったら結構甘くなるんじゃねーかと思いついたんだわ。んで花ァかき集めて茶にしてみるかーつって、これがまた旦那と嫁みたいにぴたっとハマるもんだから、俺達ァこれが毎日の楽しみでな……」
「おっちゃん、それ最初っからお花の蜜をオヤツに入れたらよかったんじゃない?」
アメリが水を差してもキンザの語りはとどまるところを知らなかった。
「最初は俺もそう思ったんだけどよ、蜜を絞ろうとするといつまでも出てこなくて時間ばっかりかかるし、すり潰して混ぜてみたら今度は気持ち悪ィ色になっちまってよ。しょうがねえから最後は別で茶にしてみるかって話に落ち着いてさぁ……」
俺達はしばらくその薀蓄やキンザの身の上話を聞きながら、食後のアイスとお茶に舌鼓を打った。
奥さん、今日は顔を見なかったけど、聞けば仕入れルートの新規開拓に出向いているらしい。
この店は、例えば花のお茶みたいに町の中で余った材料なんかをタダ同然で仕入れて、料理に使っているのだとか。
要はゼロ円食堂ってやつか、安くて量が多いとアメリがうたう理由はこれだったんだ。
奥さんとの結婚が決まった折に、あのカップやグラスをささやかな記念品として二人で買いに行ったという思い出話なんかも聞かせてもらった。
ティーカップが二人とも白くなったあたりで、アメリが場を切り上げた。
「おっちゃんありがと、もうそろそろ行くね。はいお代、二人分ね」
「まいど。ふん、アメリもずいぶんと先輩風吹かすようになったじゃねえか」
席からすとんと降りたアメリが、先ほど門番からせしめた硬貨を渡すと、キンザは感慨深げにそう言った。
アメリもまんざらではない様子で、大してかゆくもなさそうな頭をかきながら歯を見せて笑った。
「さっキクミヤ、いったんウチに帰るよ。さっき言ってたの、忘れてないよね?」
家事を手伝えというアレか、わかってるよ。
うなずいて、俺も席を立った。
「「ごちそうさまでした」」
たまたま声が揃った。
店を出る俺達のそんな様子を微笑ましげに受け取る表情で、キンザが見送った。
ドアを開けたその時、後ろから、店の中から声がかかった。
「キクミヤよぉ」
「はい」
「メシだけはしっかり食いな。今は白紙のお前にも、いつか自分だけの模様がきっとできあがる。そしたら、そこの先輩にちゃんと恩返ししてやれよ」
「……はい。ありがとうございます」
白紙の俺にも、自分だけの模様が。
その言葉を反芻しながら礼を言うと、ドアはゆっくりと音もなく閉じた。
先輩に恩返し、か。
昨日まで働いていた場所でなんか、そんなこと考える余裕ももう無くなってたけど。
そうだよな、そうするのが筋ってもんだよな。
職場の何人かと代わるがわるやっていたような、『悲惨だから』する気遣いとは、違うものを感じた。
キンザは一見気難しそうで、笑った顔もあんまり笑ってないように見える男だった。
けど、その言葉は人並みの親切をもらったり、あげたりすることを俺に思い出させてくれた。
「もうあんなに人いっぱいじゃないとこだけど、家までちゃんとついてきて!」
腹も膨れて元気が出てきたのか、アメリが先陣を切って揚々と歩き出す。
はぐれる心配がないと思ったのか、もう手は繋いでこなかった。
「はい先輩っ!!」
ちょっとふざけて踵をカンと揃えて溌剌とした人風の返事をすると、アメリが心底おかしそうに笑った。
「でかい後輩!!」
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