第7話 謎の肉と野菜と穀物
「今日もお楽しみいただけましたでしょうか。続きはまた、この町の大通りで。それでは皆様よい一日を、ごきげんよう」
投げ銭があちこちから、三人のもとへ次々と放り込まれる。
クリアフォレストの奏でる物語に酔いしれる時間は、あっという間に過ぎていった。
ビジューの締めの口上に、周囲を取り囲む人々は賞賛と喝采を送りながら名残惜しそうに散らばっていった。
俺はまだ、身体の中をたゆたうように残っている余韻に浸って立ち止まったままだった。
三人それぞれのパフォーマーとしての実力は、俺の世界でいうならテレビやネットのランキング上位常連とでも言っていいだろう。
魅力的な曲の雰囲気と、聴衆を惹きつけてやまない物語性。
そして各人の表現力もさることながら、ひときわ驚かされたのはその奏法だった。
もといた世界でも似たようなことはできるのだろうが、なんの機械も使わずにあんなことはできない。
なにせ、
「うーーーっすごかったぁ! あのキラキラって光ると楽器の音が途中で変わるの、何回みても新鮮なんだよねー! わかる!? キクミヤ!」
そう、彼らは魔法か何かで楽器の音色を自由自在に変えることで、曲に合わせた音をその場で創ることができたのだ。
アメリがふたつの瞳から太陽を昇らせながら、俺に語りかけるこの顔が彼らのすごさを物語っている。
とにかくすごい演奏だった、語彙力が足りない。
エフェクターもアンプもシンセサイザーもない、でも魔法がある世界では、独自の音作りとはこうして行われるものなのかと感嘆するばかりだ。
「わかる。本当にすごかったとしか言えない。この世界にあんな音楽があるなんて、俺は生きててよかった……」
アリーナの全方位にスピーカーがあるライブも、プロジェクションマッピングで会場全てに色をつけるライブも見てきたけど、まるで音が変化するたびに景色も書き換わっていくような、あの感覚は初めての体験だった。
「また聞けるかな」
「きっと聞けるよ! クリアフォレストはこの町の誰でも知ってるくらい、もうずーっと演奏続けてるんだから!」
まだ呆然としている俺の言葉に、興奮冷めやらない様子のアメリがそう返す。
そうであってほしい。
生きることだけで死に物狂いになってしまってあれが聞けないなんて、砂漠で生きる虫みたいなもんだ。
頼む、俺にもこのみずみずしい音の刺激が享受できる世界であってくれよ。
……ああ、そういえばビジューが演奏前の口上でこちらに意味ありげな視線を向けてきたのが気になるな、あれはどういう意図だったんだろう。
あのメンバー紹介も、町で見かけない顔である俺に向けたファンサービスなのか、それとも別な何かなのか。
アメリが冒険者ギルドの方と言っていた方角から、鐘の音が聞こえてきた。
俺は特に答えが出るわけでもなさそうな思考を止めて、穏やかに鳴り響く鐘の音に耳を向けた。
「あっ、お昼だ。ちょうどいい時間だったね、あたしもおなかすいてきたよ、ごはん行こ、ごはん」
アメリが手を引くと、繋いだままの手がするりと抜けそうになった。
少し力を込めてその手を掴みなおす。
演奏に熱中しすぎて、手汗がひどい。
汚いものを触らせているようで申し訳ない気持ちになったが、アメリの手も同じようにじっとりと湿っていた。
ああ。
同じ気持ちを、共有していたんだ。
ライブが終わった時はいつも、隣にいる人間との間に音楽という線がかよったような感覚で帰ったんだよな。
音楽には、世界を超えてなお、人と人とをつなぐ力がある。
大げさかもしれないけど、俺はそんな風に感じてアメリの手をぎゅっと握り締めた。
「ちょっ、強い強い! なに、もう」
「あっ……ごめんなさい」
怒られた。
しまった、感慨深さで加減がきかなかった。
それからさっきの演奏の話をしながら歩いていると、ほどなくして大通りから横にそれる道に入った。
それだけで、人もまばらになって建物が壁のように感じる道幅になる。
そのせいか、大通りの喧騒はボリュームのつまみをぐいっと下げたように小さくなった。
町の外壁がだんだん近づいてきて、俺達の影が建物のそれに重なるところにくると、アメリは俺の左手を離して、立ち並ぶ建物のひとつを指差した。
「あそこだよ」
灰色の石造りの建物で、その壁にはギトギトした油がこびりついているのか、ところどころ茶色いシミがある。
そのてっぺんに生えた煙突から、もくもくと黒い煙が湧いていた。
きったねえ。
でも、なんとなく予想していた通りの店で、予想していたような匂いが鼻をくすぐる。
オシャレないい香り、ではないけど、まるでたっぷり食べることを煽るような、食欲をそそるいい匂い。
「時間なくてごはん作れないときとかにね、ここのおっちゃんとこで食べるの」
夜でも店、やっているってことかな。
仕事終わりに集まった客に、妄想の中の店主がまいどありー! とでかい声を張り上げるのを想像して俺はいったん思考が固まった。
おい待てよ。
そういえば俺、この世界の金なんて全く持ってないぞ。
門番や大通りの露店のところで金のやり取りなんて見てきたはずだし、アメリだってこの店が安いとか言ってたから思い至るきっかけはあったのに、なんで店の目の前に来るまでこんなことに気づかなかったんだ。
ポケットを慌てて探るけど、転移したときにいつの間にか着替えていた異世界風のこの服にはこの世界の金はおろか、なんなら日本円すら、いやもうまったくもって何も入っていなかった。
「何してるのキクミヤ、もぞもぞしてるけどどっかかゆいの? お薬あるよ?」
出会い頭の時に聞いたような言い回しでアメリが訊いてくる。
「ああいや、金入ってないかなって思ってさ」
「いいよいいよ、さっき門番さんにもらったお金あるでしょ。あれだけあれば二人分ごはん食べたって全然へーきだよ! どーせキクミヤお金持ってないんだろうなーって思ってたし」
「そうなんだけど、うぅん……ごめん、お願い」
「ふふん、感謝してよね! ごめんもいいけどさ!」
「あ、ありがとうございます……」
「むぉんす」
アメリは得意げにふんぞり返って変な鼻息を吹き出した。
小学生みたいな歳の女の子にごはん恵んでもらう27歳独身男性のあまりの情けなさに、俺は本当に全身がかゆくなってきそうで、実際そんな風に悶えてしまった。
そして、店内へ向かう。
アメリがたてつけの悪そうなドアに手をかけると、それは意外にもなめらかに開いた。
狭くて質素な店内にはテーブルの数は少なく、カウンター席の数も10に届かない程度だ。
飾り気はないが、外からも感じたあの匂いがより濃く満ちていて、また腹がぐうと鳴った。
今日はまだ、この店に客は入っていないようだ。
「っしゃーせー」
野太い声、場末のラーメン屋みたいな挨拶で出迎えられた。
厨房には男が一人、ちょうど何か準備を終えたところで鍋か何かを調理台の上にゴン、と置く。
白い調理帽がお辞儀をするように上下した。
壁にもひっついていたような、茶色い油汚れが袖口や胸元についた、コックコートの壮年だ。
男は厨房からこちらを見ると、肩を斜めにしてアメリの方を向く。
「おン、アメリじゃねえか。昼に来るなんて珍しい、今日どうした?」
「外からこの人連れてきたんだよ。記憶喪失ってやつみたい」
不思議そうに尋ねる男に、アメリが俺を指差して答える。
「そりゃ随分穏やかじゃねえ話だな」
この先誰にでもこう言うことになるんだろうけど、誤魔化しきれるかな。
まあいいか、異世界から来ましたとか、そういう方が大事になりそうだし。
「でしょー。武器も魔法も使わないでスライムに追っかけられてたから、冒険者ギルドに連れてって報告しとこうかなって」
スライムがスライムって呼ばれてるんだってことを、野暮かもしれないが俺はいちいち確認した。
「その前にメシに来たってこたぁ、適当言って仕事切り上げたな? 親切なこったが、ついでにダシにしとこうってのがお前らしい。どーせ夕方になってやっとギルドの方に行くつもりだろ」
「まーね! いいことした時くらい、楽させてもらわないと大変だもん、毎日さ」
「そうかそうか、サボれるときにサボっとけ。んで、アレでいいんだな? 二人分か」
「うん! おっちゃんよろしくぅー!」
アレで通じるのか。
そういえば家が近いと話してはいたけど、アメリとは結構な付き合いのようだ。
「あいよ。……おっと、よろしくって言やあ、あれだな。おン、俺はキンザだ、よろしくな兄ちゃん」
恰幅のいい男はキンザと名乗り、俺に笑いかけて軽く手を挙げる。
歯が見えるから笑っているとわかるような、口の端が少しだけ上がる笑い方だった。
きっと昔はもっと職人気質で気難しく、人に笑いかけるなんてあまりしなかった人なのだろうと俺は想像した。
「えっと、菊……キクミヤです。よーしくおいしゃす」
職場でかわしていたような雑な挨拶がつい口をついて出てしまったが、キンザは特に気にした様子もないようだった。
「キクミヤねえ、なんか変わった名前だな。んじゃ二人ともカウンター座って待ってな。お辞儀の作法も覚えちゃいねえ俺だが、うめえモンだけは食わしてやっからよ」
言うとおりにカウンターの席に腰掛けると、キンザは厨房で調理に入った。
下ごしらえは終わっていたようで、何かをフライパンで炒めはじめる。
そこに、先ほど手をつけていた鍋の中にあるスープか何かをひとすくいして加える。
三人しかいない店内に熱気が広がり、油が弾ける音と蒸気が沸き立つ音が響いてきた。
立ちこめていた匂いがいっそう深まってきて、無意識に食べ物を求めるように口をもぐもぐ動かしてしまう。
さて……何をしていようか。
俺は、手持ち無沙汰という概念をしばらくぶりに思い出した。
こっちに来てからも大概だが、向こうの世界で働いていた時だってろくに休む間もなかったから、だいぶ久しぶりの感覚だと思う。
ここは、店主の調理中に客が話をしていてもいい店だろうか。
アメリは、なにか話したいことはないだろうか。
逆にこっちから何か話したほうがいいのかな。
そんなことが気にかかってしまって、俺は椅子の上で身体を小さく揺らしながら、煙のしみこんだ天井を仰いだ。
「本当になんにもわかんないまま、あの場所にいたんだね」
カウンターテーブルになんとなく置いた俺の手を、不思議なものを見るように見つめるアメリがぽつりぽつりと話し始めた。
「キクミヤ、町の中でどこにも行こうとしなかった。あたしの手が引っ張られたのは、クリアフォレスト見て立ち止まったときだけ。町に連れてくるときはでっかい弟ができたみたいに思ったけど、なんかそういうのとも違うなって思った。ちっちゃい子みたいにどっか行ったりしないし」
「まあ、一応大人なので……」
「でも、たぶんキクミヤはこれからどうしたらいいのかも、何がしたいのかもわかんないんだよね?」
「うん。なんもわからん」
「それって迷子と一緒じゃん。大人の迷子」
「そうだね……」
外で手を繋いでいた間の挙動だけで、そんなことを考えていたのか。
この子はこうやって時々、子供の感性のままで妙に察しがいいところがあるよなあ。
そもそも、俺はこのRPGの中みたいな世界に入って冒険してみたかったとか、そういうことを日頃考えてるようなタイプじゃないんだ。
俺がこの世界のことをそれなりに理解したとしても、ここでどうしたいとか、どうなりたいとか、そういうのは果たして見つかるのだろうか。
そうやってこの先のことを考えあぐねていることさえも、まるでアメリには見透かされているような気がした。
大人の迷子か、まさしくその通りかもしれない。
俺は思考も迷子になったみたいにその言葉を反芻しながら、アメリの斜め上あたりをただなんとなく眺めていた。
と。
「お待ちどうさん」
キンザのゴツゴツした手が、横からぬっと現れた。
ごとん、ごとん、と音がして、大皿がふたつ、俺達の前に置かれる。
早いな。
チェーンの牛丼屋に勝るとも劣らない早さだ。
「まあ食えや、難しいこと考える前によ」
「おっ、きたきた! いっただっきまーす!」
アメリは皿と一緒にやってきたスプーンを手に取ると、ふうふう言いながらさっそく食べ始めた。
さっき話していた内容をどこか、テーブルの横にでも置いてしまったように。
その切り替えの早さについていきそびれた感があったが、俺の空腹もそろそろ限界だ。
ここらでひとつ、人生初体験の異世界メシをいただくとしようじゃないか。
俺は目の前の大皿に改めて目を向けた。
チャー……ハン? かな?
茶色く濃いめの焦げ目がついた、米みたいな粒の穀物。
形は水菜みたいで、厚みがチンゲン菜みたいな、緑色の、たぶん野菜。
ほぐされてて何の肉だかよくわからないけど、とにかくなんかの肉。
そういったものたちが山盛りになった皿から、なんだかよくわからんが胡椒とニンニクによく似た香ばしい匂いがする。
これは、このチャーハン然としたこの料理は、あれだな。
たとえ世界が変わっても、変わることのないザ・肉体労働者のメシだ!!
とりあえずうまそう!!
ただ。
「あの、これは……」
「ん? 特に名前もつけてねえモンだが、味は保証するぞ」
スプーンを持ったが、俺の手はそこで一旦止まった。
まいったな、目の前のチャーハン状の物体に、俺の食欲は確かに最高潮のはずなんだ。
でも、全てにおいて見たことも聞いたこともないもので構成される食べ物というのは、やはり抵抗がないとは言い切れない。
だって異世界のメシだぞ? 地球の裏側のブラジルメシですらないんだぞ?
確かにおいしそうだけど、俺の身体はコレ食っても本当に平気なのか?
俺は未知への恐怖と食欲の板ばさみになって、おなかと背中がぺったんこになりそうだった。
「んまっ! 今日もいいかんじだよ、おっちゃん!」
「そうかそうか、作った甲斐があるってもんだ。お代はもらうけどな」
「いいよ! お金あるもん!」
アメリがなんだかよくわかんねえチャーハンに似た調理物を口いっぱいに頬張っている。
ほっぺに米粒ついてるぞ、米かどうか知らんけど。
だがその顔を見ていたら、俺はいけそうな気がしてきた。
同じ音楽を聴いて感動を分かち合った人間があれだけうまそうに食ってるものを、俺が食えないわけがない。
いけ。
食せ。
俺は右手と口にそう命じて、ものを食べるのと同じ動作を行った。
「あっつ」
「おン、気をつけろよ……」
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