第6話 晴れた森の幻想曲
母に手を引かれて、夏祭りの明かりに照らされた町に心躍らせていたのを思い出す。
四人兄弟の末っ子だった俺は、兄たちの嫉妬を買いながら、それが当たり前のように歩いていた。
いま思えば、あのときの母の手には、子供四人を育てるために重ねてきた苦労が、そこに残り続けたような感触だった気がする。
中学、高校、卒業して働いてからの日々。
誰かと手をつないで歩くことなんて、なかった。
いったい何年ぶりなんだろう、こんな。
「ちょっとキクミヤ、あんまり横に広がらないで! メーワクでしょ!」
こんなことで叱られながら、町を歩くなんて……。
しかも、ともすれば娘といってもいいくらいの女の子に、とは。
この子について行かなくちゃならない、こんな情けない状況はいつ終わるのだろうか。
気恥ずかしさから少し手を伸ばしてアメリと距離を取ってしまったが、残念ながら注意された直後に右側から来た誰かと肩がぶつかってしまった。
「おや、これは失敬」
「あ、すんません……」
トーンの高い、それでいて落ち着いた男性の声だった。
慌てて声の主に向き直ってぺこりと頭を下げる。
男性も一度俺の方を向いたようだったが、身にまとうローブのフードを目深にかぶっていたため、顔はよく見えない。
ああいう服、こういうファンタジーな世界では怪しく見られないのだろうか。
俺のいた世界で発見したら職質されそうだけど。
「いえ、こちらこそ。それでは」
男性もこちらを向いて一声添えると、進んでいた方へ去っていった。
あっちはたしか、冒険者ギルドの方だっけか。
地味な柄だけど、汚れてはいない服だった。
かすかに見えた口元が去り際に微笑んだのが見えて、生活に困窮している者ではないような余裕が感じられた。
「もー、だから広がらないでっていったでしょー」
「すんません」
アメリにぐいと腕を引っ張られた。
謝ってばっかりで職場にいるときみたいだ、やばいもうつらい帰りたい。
……どこに、どうやって?
思考の中の口癖が不意をついて現れたが、それは今までと意味が違う言葉になっていた。
そのことに気づいてしまったせいで、俺の視界が一瞬二重にブレて見えた。
「ごはんはもうすぐそこだから、そんな心配そうな顔しなくていいよ。ホラ早くいこいこ!」
そんな理由で表情を曇らせたわけじゃないんだけどな。
「ああうん、早く行こう。もう腹が減っておなかと背中がくっつきそうだわ」
「なにそれ、おもしろ! キクミヤたまにそういうこと言うよねー」
そんなにふざけてばっかりではなかったと思うけど、まあいいや。
視界を揺さぶってくる気持ちを振り払うように、俺は直近どうにかしなければならない空腹に向き合うことにした。
これはこれで、めまいがしそうだけどな。
しかしながら、そう思ったのもつかの間。
ここは都会だった。
元の世界でもこっちの世界でも、思わず目に留まる光景というものには事欠かないのが都会というものなのだろう。
相変わらず露店が続いている大通りを歩き続けていると、なにやら人だかりができているところがあって、店が連なる並びがそこだけ途切れていた。
気になってそちらに目をやると、人がまばらなところから、三人の男女の姿が見えた。
おとぎ話の魔女がかぶるような、つばが広くててっぺんのとんがった帽子の男。
マントのようなもので身体を覆い、うなじや額がすっかり見えるくらい髪が短い女。
対照的に、髪を腰に届くほど伸ばして、ハイウェストのスカートもくるぶしまで長い女。
何より俺が目を引いたのは、その三人の手元だった。
「楽器だ……」
この異世界で、音楽に出会える可能性をちらとも考えていなかった。
生き別れになった家族と再会する時って、こんな気持ちになるのだろうか。
俺はアメリと手をつないで歩いているのも忘れて、思わず足を止めた。
見慣れないけど、見慣れている。
俺の世界でメジャーなものとは少し意匠が異なるようだけど、ほとんど同じと言っていい形だ。
帽子から茶色がかった琥珀色の髪を覗かせる男がギターを。
若草色の長い髪の女がフルートを。
金髪ベリーショートの女は立ってスティックで演奏するスタイルの打楽器複数だ、ドラムセットに近かった。
三人はまるで飴玉でもばら撒くような視線を人だかりにくれてやると、それぞれの楽器をひと息、鳴らしてみせた。
小気味よい音が空気を振動させ、三人の周りを囲む人たちに期待のざわめきが起こる。
俺の身体の左側がカクンと小さく傾く。
そちらを見ると、アメリも俺がそうしたのに気づいて、同じように立ち止まってくれていた。
「見ていく?」
「うん……いいかな?」
急いでいる様子もあったし、俺はためらいがちにそう訊いてみた。
アメリは一瞬まぶたをぱちりと大きく開くけど、俺と楽器の人達を交互に見て、今度はそのまぶたを半分伏せるように静かに笑って答えた。
「そうだなあ……お昼にはちょっと早いと思ってたから、いいよ」
「ありがとう、アメリ」
あっ、と胸の中が跳ねた気がした。
そういえば俺、今アメリに初めてありがとうって言ったわ。
出会った時からずっと、助けてもらってばかりなのに。
「どういたしまして。せっかくだから、あたしも久しぶりに聴いていきたいな、クリアフォレストの曲!」
「クリアフォレスト、っていうのか……」
アメリの言葉を繰り返す。
クリアフォレスト。
それが、この三人につけられた名前。
自分が一番馴染む言葉で理解するなら、バンド名だ。
そのクリアフォレストに群がる人垣の中に入ろうとすると、アメリを見て前を譲ってくれた人たちがいた。
キッズパワーさすがだな、ラッキー。
ありがとうアメリ、ありがとう譲ってくれた人。
首をあちこちに向けながらお礼を言ってそこに立つ。
「お集まりいただき感謝、感激。クリアフォレスト、今日も皆様に歌と楽器の潤いを、お届けにまいりましたハイ拍手!」
芝居がかった前口上を流れるように発したのは、ギターの男だった。
帽子を取って恭しくも軽やかに一礼した後、すっと頭を上げて拍手を求める彼に、観衆は待ってましたとばかりに手を叩いた。
俺とアメリもそれにならって拍手を送る。
「さぁてさてー、日頃努めてお仕事にいそしむ皆様お客様、お待たせしてもいけません。われらの歌いだしにふさわしい、第一曲をすぐにでも! ……といきたいところですが、今日は初めてお目にかかるという方のために一応、名乗りを上げさせてもらいましょう」
「ジョーヌ!」
帽子の男にジョーヌと呼ばれた金髪の女性が、ドラムセットで勢いのいいフィルを披露する。
スティックを振るうたびに、身に纏ったマントが震えるように膨らんだ。
ここで周りがそうしているように拍手を送るのが普通なのだろうが、俺の身体は時間を止められたように固まってしまった。
空腹もその瞬間だけはビタリと止まって、熱いんだか寒いんだかわからない温度感が身体を駆け巡る。
『初めてお目にかかる方のために〜』というくだりを話していた時。
明らかに、彼と目が合って、ウインクされたからだ。
気のせいじゃない。
俺はライブを観にいくのが生きがいだけど、ファンサービスを自分に向けられたものと思い込むタイプのミーハーではないつもりだ。
「ねねね、いまこっち見た! あたしの方見たよ!」
ほらな、アメリがウィスパーボイスではしゃいでる。
キミ、明らかに俺と目線が違うでしょ。
そう、こういうファンいる、いるけど。
ここにいる観客はせいぜい数十人だけど。
さっきのアメリの話しぶりを思うと、この町の皆が知ってるような人たちなんだろ。
大通りを歩いていた人たちが、たとえ半分でも入れかわり立ちかわり来ていたら相当な数になる。
それを全部覚えていて、俺だけが『見ない顔』だって、気づいているっていうのか?
不意を突かれたインパクトを受け止めている間にも、時が流れていく。
「ジョーヌだよ! みんな楽しんでってね! ヴェール!」
俺が固まっているのをよそに、ジョーヌが口をパカッと開けて豪快な声をあげた。
なんだか男っぽい見た目と話し方の割に、子犬みたいなかわいげを感じる声色だ。
さっきの視線に驚きは隠せなかったかもしれないけど、俺は周りの観衆と拍手を送った。
いかん口が開いてた、慌てて閉じる。
「ヴェールです。皆様の今日に、祝福を」
フルートの女性が息のたっぷりした声とともにスカートの端を軽くつまんでお辞儀をすると、続けて軽やかなステップでその場をくるりと回り、笛の音をひと吹き響かせる。
彼女の長い緑の髪もスカートも、一緒に踊っているように翻った。
このヴェールって人、お行儀よくしているけどなんとなく茶目っ気のようなものが見え隠れしている気がする。
「そして」
ヴェールが帽子の男性を向く。
「わたくしビジュー。三人揃ってクリアフォレストでございます」
ビジューと名乗った男が右手をシェイクすると、アコースティックギターそのままと言っていい、耳によく馴染んだ音が軽快に鳴り響いた。
ときどき観衆から黄色い悲鳴が聞こえてくる。
顔もよく見えない女性の声に嫉妬しないでもないが、納得はできる。
ビジューのまつげが長くて端正な顔には、宝石細工みたいな煌びやかさがあって、見るものを惹きつける力にあふれていた。
「はぁいではではお待ちかね。かねて馴染みの皆々様には、そろそろ痺れの切らし時。胸もドキリと躍らせ時なら、興も乗ります今日の
おおっ、と歓声が上がり、三人は目配せもカウントを取ることもしないで楽器を構える。
目を伏せたビジューが緩やかなダウンストロークをギターにあてがって、演奏が始まった。
広がる荒野、吹きすさぶ砂塵に秘められた都で、蜃気楼のように消えた『蒸発王』の物語。
ドラムがページをめくる。
フルートとギターが絵を描く。
歌が、物語を綴る。
この国に伝わる伝承なのか、それとも彼らの創作なのか。
それはわからなかったけど、まるで情景が浮かんでくるような三人の表現力に、俺はただただ圧倒された。
刻まれるビート、紡がれるフレーズ、渦を巻くグルーヴ、響くメロディ。
ああ、音楽だ。
俺の知らない、でも俺の知ってる音楽だ。
毎日俺をいっぱいに満たしていたのに、半日もしないうちに心の中から消えてしまいそうだった、音楽だ。
アメリが小刻みに身体を揺らして、それがときどき俺にぶつかって、身体にリズムが伝播していくようだった。
俺にとって災害とでも言うほかなかった、この世界。
そこで初めて触れる音楽に、ここに来て、ここにいてよかったと、いま初めてそう感じた。
どんな世界にいたって、やっぱり音楽は最高なんだ。
日が高く上る、昼前の明るい大通りで、俺の皮膚は空気の振動に震え、鼓動は音楽に合わせて溶けていくようだった。
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