第4話 日本語がお上手ですね
小さな背中の上で、銀色の髪が揺れる。
そこには、俺の希望と絶望が混在していた。
町まで連れていってくれるというアメリのあとに続き、俺はこの世界にやってきた直後からの目標であった門を目指して歩いている。
俺のみぞおちくらいまでの身長しかないアメリからは、元の世界で見てきた同じ歳くらいの子供からは絶対に感じないようなたくましさがあった。
この背中についていけば、あの町にたどり着ける。
町の外で途方に暮れてうろうろするより、少しは安全だろう。
そう思うと、目の前のまだ幼い少女がとても頼もしく見えた。
しかし、この先どうなるのかはまだぜんぜん予想がつかない。
町に着いたとして、俺がこれから生きていくにはどうすればいい。
それに、元の世界にはいつ帰れるんだろうか。
帰ったら、どうなっているんだろうか。
不安の種は、思いをめぐらせるたびに増えるばかりだった。
あいにく俺は、この世界で生きていくことにあまり気乗りがしない。
目が覚めたらいきなり異世界だし、アメリと会うまで何ひとつ説明がないし、持ち物も何もないし。
スライムはザコモンスターの代表みたいな印象があるけど、実際鉢合わせると本能的な恐怖を感じたし。
誰が何をしたせいでこんなことになっているのか知らないが、納得いかない。
どうにもならないから、仕方なくこうしているだけだ。
元の世界で働いていたときと、同じように。
RPGやったことないわけじゃないが、それでもOKというフレンドリーさはまったく感じられない不親切さだ。
逆にやりつくした人なら、満足する光景なのだろう。
田辺さんだったら、オーイェー♪とか歌いだすところかもしれない、オタクだし。
そういやあの人、俺がぜんぜん知らないゲームとかアニメの話をわかりやすく説明するの、無駄にうまかったな。
「ねーキクミヤさー」
アメリがこちらに振り向いて話しかけてくる。
なんだゴッドファーザー、もうキクミヤでいいよ。
あのスライムみたいなのが他にもいるかもしれないのに、のんきな口調だ。
「逆に覚えてることとかないの? 名前の他に」
「ざっくりそう言われてもなあ。とりあえず目の前にあるものは全て、記憶にございません」
「なーにキクミヤ、名前も変だし話し方もへーん!」
高そうなスーツを着た、顔も覚えていないような老人たちのマネをしたら、笑いながらばっさりツッコまれてしまった。
そうだよな、こっちの政治家の常套句なんか聞く機会もないだろう、テレビもなさそうだし。
そんな調子でしばらく歩いていると、やがて車一台が通れそうな程度の、あまり飾り気のない門が見えてきた。
その両脇ににび色の人影が二人、棒状の物を持って立っているようだ。
ガチの鎧じゃん、そんな格好してるんならさっき助けてくれればよかったのに。
遠かったかもしれないけど、門の正面だっただろうが。
「外から来た人がみんな入っちゃダメってわけじゃないんだけど、ちょっと静かにしててね」
門番らしき人が二人、姿がはっきりしだしたあたりでアメリが人差し指を口の前に立てて小声で俺に伝えてくる。
そういう時のしぐさって、こっちの世界でも一緒なんだな。
どういうルールがあるのかわからないので、俺はただ黙って頷いた。
「門番さーん! 魔物に追われてる人、助けてきたよー!」
アメリがよく通るソプラノで、ニコニコしながら門番に呼びかけた。
全身を金属の鎧で覆い、国旗みたいなのがついた槍を持った門番二人は、ああいかにも門番だなって感じがした。
その鎧の二人が、興味なさそうにかちゃりと動いてアメリと俺のほうを見る。
「開けていいと思ってんの」
左の鎧がめんどくさそうに言う。
フルフェイスの兜の中でも、めんどくさそうな顔をしているのが容易に想像できる声だった。
こいつ門番のくせに口悪いな。
「まだ昼にもなっていませんよ、お嬢ちゃん」
右の鎧が子供をあやすように言う。
フルフェイスの兜の中で、内心バカにしたような顔をしているのが容易に想像できる声だった。
こいつ門番のくせに根性悪いな。
あ、こいつらも日本語だ。
異世界言語問題、たぶんクリアだな。
二人そろって性格の悪そうな門番だったが、アメリはまったく意に介していない様子だった。
もはや話を聞いていないんじゃないかと思うレベルで、一方的に言いたいことだけ言い始める。
声がいちいちでかい。
喉に拡声器でもついているような話し方をする。
ヌーの王様かよ。
「あのねー! この人、門の真正面にいたんだよ! でね、魔召紋ついてないんだよ! ほら、手出して」
アメリが手で早くしろと俺に催促する。俺は黙って両手の甲を門番に見せた。
両側からかちゃりと音がしたところで、アメリがまたでかい声で喋り始める。
「危ない目にあいそうな人を助けるのもお仕事でしょー! この人魔召紋ないし、ついでに記憶もないんだってー! 頭とか打ったのかなー! やばー!」
「門開けるか」
「門を開けましょうねえ」
はええよ。
ここまで恥も外聞もないし何の躊躇もしない必殺・秒殺・掌返しを俺は初めて見たぞ。
門番二人は鎧の腕の辺りにある隙間から鍵を取り出し、門の扉にかかっている錠前にそれぞれの鍵を差し込んだ。
ただ、どうもお人好しで開けてくれた様子ではない。
扉はけっこうな重さがあるのが、取っ手にだるそうに手をかける二人から伝わってくる。
門が開きかけたとき、そんな二人をよそに、アメリは三度目の拡声器ボイスをニコニコしながら炸裂させた。
「この人ねー! スライムに追われててすごい声出しながらー、門のほうに逃げてきたんだよー! 門番さんも、み」
開きかけた門はスッと閉じ、扉の方を向いていた二人が同時にのそりと振り向いて、アメリの顔の前に掌をビッと突き出した。
それ以上言うな、というように。
二人は腰のベルトについた皮袋をまさぐる。
ジャラジャラと音がした。
「アメをやろう」
「ハイどうぞー」
「わーい! ありがとう門番さん! もぐもぐ! おーいしー!」
もぐもぐって口で言ったぞこの子。
アメリが門番に差し出した両手には、丸くて平べったい形の金属片が数枚落ちてきた。
要するに、たぶんこれは金。
貨幣ですね、硬貨なのですね。
あ、そいういうことか。
門番、あんたら仕事したくないのね、金払ってでも。
法律か就業規則かしらないけど、門番の仕事のルールは門の周りを守ること。
立っていれば生活が成り立つ仕事なのだろう。
ただし、何もなければ、だ。
で、俺みたいに無防備な状態で外にいる人間を保護するのは、どの程度か知らないが義務であると。
そういう、こいつらにとっての余計な仕事は極力避けたいが、お咎めも食らいたくない。
その結果がこの賄賂というわけか。
拙い推理かもしれないが、大方こんなところなんだろうな。
おそらく扉の向こうはすぐ人の往来がある場所につながっているのだろう。
目の前に要救助者がいても助けなかったのを、誰かに聞かれたくなかったというわけか。
「このくらいあればいいかな、はいお釣りね」
素に戻ったアメリが手の中の硬貨を数えた後、二人の皮袋に一枚ずつ硬貨を戻す。
後で聞いたが、こういう風にしておくと同じ手が通用するとか。
まだ子供、みたいな顔して随分お上手だな、この子。
「早く行け」
「早くお帰り~」
相変わらずだるそうにしながら、改めて門番が扉を開け、アメリと俺がそれをくぐった。
ああ、俺はまたひとつ、なんだかよくわかんねえ世界に首を突っ込んでしまうよ。
母さん、俺はなんとか生きてるよ。
まさにゲームみたいな世界だと、外とは違う風の匂いを感じながら思った。
扉の先には、石とレンガでできた建物が並ぶ、中世ヨーロッパみたいな町並みが広がっていた。
その町の通りをたくさんの人間、ちゃんと人間の姿をした人間が歩いている。
その誰もが、どんな人生を歩んで今ここにいるのか、何を思い、何をして過ごしているのか、俺にはまだ知るよしもなく、想像することもできない人間たちだった。
その光景に目を奪われる俺の後ろで、門の扉が閉じられて重たい音が鳴り響く。
続いて鍵のかかる音が、余韻のように扉を伝って俺の耳に残った。
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