第3話 お名前は?

 まるで一両しかない新幹線が、通過駅のホームを走り去るようだった。

 ひとひらの炎が一瞬で俺の目の前に現れ、熱風の余韻を残して消えていった。


 正面、ほんの二メートル足らずのその先を見つめる。

 浅く茂る草が横一線に焼かれ、燃え残った草はブスブスとくすぶって炎の軌跡を残す。

 スライムがいたはずの地面には、焦がした砂糖みたいな茶色いシミだけが残っていた。


「……っは」


 恐怖で完全に止まっていた呼吸が再開される。

 全身の痛みと疲労感が、ついでに空腹が堰を切ったようにどっとわいてきた。


 身体が伝えてきている、危機を脱したと。

 やった、スライム死んだ。

 目の前で生き物が死んでホッとしたのは人生で初めてだ。

 町内放送でクマが射殺されたのを聞くのとは感情の落差が違う。


「生きてる」


 まだ荒い呼吸交じりに、ひとり小さく呟いた。

 今の自分にとってこれ以上ない価値あるものを、命を確かめるように。


 そこまできて、やっと左を向く気になった。

 ソプラノリコーダーみたいな声と、炎が飛んできた方を。


 そこには、俺を助けてくれた英雄と称するにはあまりに儚くて脆そうな、小さな女の子がいた。

 後藤の上の娘が七歳だったけど、あれよりはもう少し年上だろうか。

 とは言っても、まだランドセルでも背負ってそうな背格好だ。


 肩くらいまでの銀色の髪。

 萌葱色の長袖ワンピースと茶色いエプロン、生成りの革ブーツ。

 コスプレみたいな格好だと思った。


 女の子が小走りで駆け寄ってくる。

 警戒と心配と、好奇心の入り混じる表情でこちらをのぞき込んでくる瞳は、椿の葉みたいな緑色をしていた。

 声をかけづらそうにしいてる割には、子供らしくずいぶんまっすぐ俺を見てくるものだから、思わず視線を下げた。


 すると、俺はなんだか焦りのようなものを感じて背中がジリジリしてきた。

 どこの国のものとも知れない服や靴には、色褪せていたり、汚れていたり、ほつれていたり、サイズが合わないところがあったりしたから。

 俺からすれば非日常的な銀髪と緑の瞳はウィッグやカラコンではなく、その顔で日常的にこの服を着続けて生活しているという、生々しい証拠だったから。


 スライム逃走劇とあの炎で十分理解していたつもりだったけど、やっぱり俺は今まで暮らしていたのとは違う世界に来てしまったのだと感じた、その焦りだった。

 この格好はコスプレじゃないんだな、と思い直し、それは落胆を含んでいた。


「あの、おじ、お兄さんだれ? 大丈夫? どっか痛いの?」


 あのソプラノリコーダーみたいな声で、女の子が訊いてくる。

 怪訝そうな顔で、ちょっと気を遣ったような声色で。


 あーそうだよな。

 小学生くらいの君からしたら、27歳の俺ってなんて呼びかけていいか微妙な歳だよな。

 おじさんとお兄さんの境目に、俺は立っている……なんてな。

 って、ちょっと待て。


「!?」


 冷静に考えると今のおかしいよな!!!

 なに普通にネイティヴジャパニーズナチュラルスピーキングぶっかましてんだよ!!!

 お前のその格好に日本語の入り込む余地はアニメイラスト入りの下敷き一枚分しかねーわ!!!


 この異世界ファンタスティック銀髪緑眼小学生(推定)が今!

 みずから異世界感を完全にぶち壊しちゃったよ!!


 そうだ、やっぱりそうだそうにちがいない。

 俺は仕事に行きたくないあまり、自分でもなんだかよくわかんねえうちにどっかのテーマパークに車でレディゴーしちゃったのだ。

 そんでこの汚しまで手の込んだコスプレ少女もこの広大なテーマパークで迷子になっちゃったと言うわけだつまりそうだ。


「さっきの魔法近かったのかな、それともスライムにぶつかっちゃった? お薬あるよ?」


 ダメだ。

 やっぱここ異世界だ。


 さらっと魔法とか言われたし、あのスライムの重量感はテーマパークにいたらぶつかるだけで怪我人が出る。

 それにさっきの炎だ。

 やはりどう考えてもおもちゃから音と光が出るのとはワケが違う。

 あんなのは俺の世界のルール的に、子供が一人で管理して持ち歩いていいモンじゃない。

 菊坂フミヤの異世界否定説、終了。


「あ、んー、あー」


 ちょっと話しかけられただけで動揺してしまった。

 余計な期待をして余計なことを考えてしまったせいでまともに返事ができずに、気の抜けた声が口から漏れる。


 そういえばさっきから質問ばかりされている。

 どれから答えていいか考えるけど、こっちが聞きたいこともありすぎて言葉が出てこない。


「えっと、あの大丈夫だけど。ここどこなの」


 もうこの際、なんで日本語で話せるのかは考えないことにした。

 理屈がわかっても仕方がないし、言葉が通じないほうが困る。

 もろもろの質問に答えるよりも、今は人がいないと聞けないことを問うことにした。


 大丈夫そうなのは本当だ。

 時間が経つにつれて、少しずつだけど痛みが和らいできているのを感じる。

 擦り傷やアザになってるところはあるかもしれないけど、動けなくなるようなケガとかはなさそうだ。


 学生の頃に体育の授業でサッカーした時に転んで腕の骨を折ったのに比べたら、身体のどこにもああいう、すぐに引かない痛みは感じられない。

 スライムの表面に映った、あの見慣れない俺の服、けっこう丈夫なのかも。


「どこって、『アグゥの丘』だよ。お兄さんここの人じゃないの?」


「『アグゥの丘』」


 オウム返しに繰り返す。

 あの城下町に住んでるなら誰でも知ってる場所ってことか。


 そりゃそうだろうな、もう町は目の前だし。

 外に出る人にとっては当たり前に見る光景だよなあ。


『アグゥの丘』。

 どっかのプチプラ美容院みたいな名前だな。

 でもそんな地名は聞いたことがない、さすが異世界だ。


 さて、また質問だよ。

 そうだよと答えようとしたけど、そこで俺は喉をつつくような躊躇いを覚えた。

 ここの人じゃないの、か。


 この場所は平和な2020年の日本ではない。


 あの町の外から来たということに、その言葉以上の意味がある。

 そんな予感がしたからだ。


 俺は日本の、宮城の田舎に住んでいた。

 田舎では、住んでいる当人たちは無自覚だけど、『よその人』を寄せつけない雰囲気がある。

『うちの人』になるまで、顔色を伺い、あるいはその地域色に染めようとする。

 染まらなかったら、排除しようとする人もいる。


 とあるライブで遠征した後、上がりきったテンションのまま声をかけてきた東京の人としばらく話していて、ライブ参加者の仲間意識と、そのムラ社会意識の話になったから、俺も初めて気がついたことだったけど。


 この世界では、あの城下町では『よその人』はどう扱われるのだろう。

 別の国と戦争しているのだろうか。

 スライムみたいなのじゃなく、人間とまったく同じ姿のモンスターもいるのだろうか。

 そして何より、俺みたいに別な世界からやって来る人って他にいるのだろうか。


 ここの人じゃないの?

 そういう事情によって、その質問への答え方は変わってくる。


 実は俺、たぶんこの世界じゃないところからやって来たみたいです。

 ど正直ストレートに答えてもすんなり町まで案内されることもあるかもしれない。

 なんか勇者様だとか言われて歓迎されたりするかもしれない、けど。


『外』は異物。

『外』は敵。

『外』は排除。


 そう認識されてしまうと、あの炎の魔法がこの子の手からまた飛んでくるのだろうか。

 今度は、自分にも?


 なんてことないはずの質問に、俺はひどく戸惑った。

『うちの町の人』、『うちの会社の人』、『ライブに集まったもの同士』

 あの田舎でああして暮らしている限り、俺は滅多に『よその人』にはならなかったから。


 耳の後ろに汗が流れていくのを感じる。

 さっき走った時のものでも、夏場に40度の工場で働くときのものでもない、いま緊張から出た汗が。


「お兄さん? やっぱり具合悪い?」


 考えている時間はどれくらいだったのかよくわからなかった。

 だけど、歳相応のあどけない顔で答えを催促するように女の子が尋ねてくるのを見て、俺は時々詰まりながらも本当のことを言うことにした。


「あー、あー大丈夫、身体は大丈夫だよ。ただあの、俺ーあのーさっき丘の上で倒れてたんだけど、何であそこに居たのかとか、この辺どこなのかとか、あとここでどうやって生きていくのかとかー、全然わかんないん、ですよ」


 なんで最後だけ敬語になってんだよ。

 しどろもどろになっちまったけど、嘘は言ってないし余計なことは言ってないはずだ。


 女の子の顔が固まった。

 理解に時間を要する、という顔。


 次に出てくる言葉や行動を無軌道に無限に想像して、俺はまた時間の感覚があやふやになった。

 銀髪が揺れ動いて、その小さい口を動かすまで。


「えーっ! それもしかして、記憶喪失ー? ほんとにそんな人いるんだ、はじめて見た!」


 なんだ、あっけない。

 こんな手応えなら悩むことなかったじゃないか。

 田舎者のムラ社会意識にビビッてたのは、他ならぬ田舎者の俺だったんじゃないのか。


 俺の心配は杞憂に終わったのを確信させるほど、反応はやたら明るかった。

 いっそう興味深そうに目を輝かせはじめ、女の子が俺のことをしげしげと見つめてくる。


 記憶喪失か、一番都合のよさそうな受け取り方をしてくれたようだ。

 でも俺をそんなに前から横から見るな。

 見た目で記憶喪失がわかるわけでもないでしょ。


「あっ、お兄さん手に魔召紋ましょうもんついてない! やばいよそれ!」


「ま…え、なに?」


 耳慣れない言葉を聞いた。

 手に何かがついてないと、俺はやばいらしい。


「そっか、記憶ないから魔召紋もわかんないんだね。これだよこれ!」


「え、その魔召紋ってそれのこと!?」


 ちょっと誇らしげに、女の子は握った右の手の甲を俺にかざしてみせた。

 へえ……魔召紋、ね。

 そこには、ちょっと小学生がしていたらやばいヤツ認定間違いなしの、炎をかたどったと思しき赤い紋様がついていた。


 身体をかがめてよく見ると、皮膚に直接色がついているように見える。

 ガチもんのタトゥーじゃん、別な意味でも小学生がしてたらやばいぞそれ。


 いや、ここではアレがないと俺がやばいのか?

 俺の世界の基準だと、キミはクラスでイタい子扱い確定の厨二病患者なんだが。


「そ! さっきの魔法も、この魔召紋があるから使えるの! 持ってないから、逃げてたんだね」


 スライムを撃退した炎は、どうやらあのガチタトゥーによって起こせる魔法ということらしい。


「見た感じ武器も持ってないし、魔召紋もないと外は危ないよ。町の中入ろ、案内するから!」


 魔法でかばいながら自分の町まで案内するなんて、まるで自分が俺という年長者のお姉さんにでもなった気分なんだろうか。

 スライム倒せるっていっても、やっぱり子供ってどこの世界でもこういう子いるんだなあ。


 独りでさっさと話を決めると、女の子は得意げに町のほうへずんずん歩いていった。

 慌てて追いつき、ついていく。


「あの、えーと」


 追いかけながら女の子を呼ぼうとして、指を差しているのかそうでないのか、中途半端な手つきをそちらに向ける。


「ん? ああーわたしの名前? アメリだよ、お兄さんは?」


 女の子、アメリが察したようにそう答えた。


「キクッ・・・ミヤ」


 言い訳させてくれ。

 もともとあの町を目指していたとはいえ、いざ向かうとなるとなんだか途端に緊張してきたんだ。

 この世界で俺の名前ってどう思われるのかとか、一瞬そんな雑念がよぎったんだ。

 よりによって自分の名前を、生まれてこの方27年間使い続けた菊坂フミヤを、こんな時に噛んでしまうなんて。


「キクミヤー? へんな名前! キクミヤキクミヤ! じゃあ行くよキクミヤ、あっはは!」


 間違ってるしお兄さんから呼び捨てかよ。

 名乗った瞬間格下げされてないか?


 でも、そんなに連呼されると訂正する気も無くなってしまった。

 俺の名前は菊坂フミヤ。

 それを知る者は、もう誰もいないのだから。


 今日から、俺はキクミヤだ。

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