第六章その1

 第六章、始まりの夏の花火


 翌日、水季は体調不良で学校を休みだという。今日も雨なので四人で教室の空いてる席を拝借して一緒にお弁当を食べるが、いまいち盛り上がらず寂しい雰囲気だった。

 尾崎透は唯のすぐ隣で水季が楽しそう話していた場所、今は空席で唯も陽奈子も話す気が起きないのか、つまらなさそうに黙々とお弁当を食べていた。

「なんか……小野寺さんがいないってだけで、こんなに違うんだね」

 透はこの殺伐とした空気に耐えかねて口にすると、陽奈子も沈んだ表情で頷く。

「うん、水季ちゃんがいないだけで大事なものが欠けてるって気がするの」

「水季……大丈夫かな? ちゃんと……ご飯食べてるかな?」

 唯はすっかり水季の保護者のように心配した表情で水筒のお茶を飲んでる、灰沢も瞼を閉じて表情で重苦しい口調になる。

「やっぱり俺達は……誰一人欠けちゃ駄目なんだ、尾崎の言ってた通りだよ」

「何を言ってたの?」

 唯が訊くと、灰沢は温かく微笑んで小さく頷いて言う。

「僕達はもう僕達なんだ……ってね」

 そういえば羽鳥君もこの言葉を引用して話していた、何気ない台詞だったけど、灰沢君にとっては心に残る言葉だった。逆に言えば何気ない言葉で誰かを傷付ける、今回の場合水季がそうだった、菅原の何気ない言葉でトラウマが噴出して今日学校を休んでしまったのだ。

 唯は空笑いする。

「あははは臭い台詞……だけど、良いと思うわ」

「臭い台詞なのは同意するよ、恥ずかしいし」

 透はもしこの言葉を水季が訊いたらどんな顔をするんだろう? と、考える。

「でもこれを小野寺さんが訊いてくれたらどんな顔をするだろう? また笑ってくれるかな? 何だかさぁ……小野寺さんが絵を描いてるって話が広まってから笑わなくなったような気がするんだ」

「あたしもそう思う……前にね、香織が話してたの。水季を興味本意で触れると簡単に壊れてしまう危うさがあるって、今ならよくわかるわ」

 唯の言う通りだ、水季は儚げでガラス細工のように繊細な心の持ち主だが、それ以上に芯の強い子だ。だけど、どんなに強くても折れる時は折れてしまう。

 灰沢も侘しげな表情で水筒のお茶を飲む。

「壊れてしまったものは元に戻らない……このままでは俺達もバラバラになる」

 灰沢も危惧してるようだ、羽鳥が話してくれたことだが空気に怯えなくていいと居場所を感じていたらしい。透にとっても、水季、唯、灰沢、陽奈子の四人、一人一人がかけがえのない存在になろうとしてると実感した。


 本当にどうすればいいんだろう?

 昼休みが終わる一〇分前、透はいつものように自販機で缶コーヒーを買い飲みして教室に戻る途中、今一番話したくない田崎と鉢合わせした。

「よぉ尾崎、こうして話すのも久し振りな気がするな」

「ああ……市来君達から聞いたよ、最近は外で食べてるってね」

 そういえば外で誰と食べてるんだろう? 透は素朴な疑問を浮かべながら訊いた。

「ああ、菅原や中学の頃のダチと食べてるんだ……非リア同士で寄り集まってるとあれだしな」

「市来君達が非リアの馴れ合いで傷の舐め合いだって言いたい訳?」

 透は思わずムッとして尖った口調になる。市来君はオタクだけどイケメンで紳士だし、庭井君もデブゴンと呼ばれてるけどユーモラスで結構女子に声をかけられてる、それに一式君なんか動機は不純だけど向上心と行動力を持ってる。

 田崎は悪びれる様子もなく否定する。

「そういう訳じゃないよ、ただ……俺とあいつらとのギャップがあってさ合わない気がするんだよ……」

「なるほど、市来君達が君を置いてどんどん前に行ってしまうのから?」

 透は辛辣の言葉を投げ掛けてやると、クリティカルヒットしたのか田崎は「ビクッ!」として真っ青な表情になる。

「ま、まさかそんな……あいつらに限ってそんなこと――」

「あり得ないことなんてないよ。市来君はルックスも性格もいいから、外で彼女作ってるかもしれない、庭井君は入学した時に比べて痩せてきてるから案外イケメンになるかも? 一色君は話すまでもないかもしれないけどね」

「そ、そういう尾崎はどうなんだよ!」

 田崎は全身から冷や汗を噴き出しながら問う。言われた通り透も自問自答してみると迷いを感じず、躊躇う気にもならなかった。

「僕だって、好きになった女の子のために変わることできたんだ……だから、今度も絶対に小野寺さんを救ってみせる!」

「で、できるのか? 非リアで陰キャのお前が……良かれと思ってやっても余計に追い詰めるだけの偽善かもしれないんだぞ」

 田崎の表情から明らかに焦りが出始めてる、以前まで馬鹿にしてた相手が自分を置いて前を歩こうとしてるのがよっぽど耐えられないのだろう。

「そうかもしれない、だけど僕は一人じゃないし何もしないよりはずっといい! 小野寺さんには奥平さんや灰沢君、紺野さんだっているんだ!」

「そ、そう思ってるのはお前だけだろ? なにリア充ぶってるんだよ? 立場や身の丈ってモノがあるだろう?」

 田崎の言い分に透は唇を噛み締める、そして啖呵を切る。

「リア充とか非リアとかの問題じゃない! 立場? 身の丈? ハッキリ言う、そんなもの……クソ食らえだ! 君のおかげで決意が固まったよ! もう迷わない、今回ばかりは感謝するよ、ありがとう!」

「えっ!? ちょっと尾崎!?」

 制止しようとする田崎を振り切って透は盛大に皮肉を言って早歩きで教室に入ると、陽奈子はもう四組に帰ったようで真っ直ぐ唯と灰沢に言った。

「奥平さん灰沢君、小野寺さんと放課後――駄目なら明日直接会って話したい! 紺野さんも誘って、一緒に来てくれる?」

 透のひたむきな表情と眼差しに唯と灰沢は虚を突かれたような表情を見せるが、次の瞬間には二人とも頼もしい笑みを見せて唯は頷く。

「うん、勿論! 陽奈子もきっと一緒に来てくれるわ!」

「ああ、俺達は五人揃って初めて俺達なんだ!」

 灰沢も快く頷いてくれた、早速水季にLINEで連絡した。

『体の具合は大丈夫? 話したいことがあるんだ、できれば放課後か明日にでも会いたい』

 五時間目の授業が終わった後、水季から返信が来た。

『放課後、高校前駅の砂浜で待ってる』

待ち合わせ場所は高校前駅の道路に下にあるあの砂浜――透が絵を描いてる水季に声をかけた場所だった。


 放課後になると雨は止んでいた。下り坂の向こうに広がる相模湾に浮かぶ分厚い雲の隙間から陽光が射す、それは希望を感じさせるものだった。踏み切りと横断歩道を渡り、砂浜へと続く階段をゆっくりと降りる。

 長い黒髪に清涼感ある夏服姿――間違いない、水季が波打ち際で立っていた。透は一歩一歩踏み締めながら歩み寄る。

「……小野寺さん」

透がそっと触れるように声をかけると、数秒間の長い沈黙を経て水季は海の向こうに目を向けたまま口を開く。

「……みんな、ごめんね……今日は休んじゃって、でも私は大丈夫だから」

「水季……体の具合は大丈夫なの?」

 唯も心配した表情で歩み寄ると、水季はコクリと頷いた。

「うん、本当は風邪とか引いてないの……今日は藤沢で弁護士をしてる従兄のお兄さんに相談しに行ったの」

「わかったわ水季ちゃん、このことは絶対秘密にしておこう……学校のみんなにバレたらアカウント消して逃げられるかもしれないし」

 陽奈子の言う通りだが、灰沢は首を横に振る。

「いや、恐らくもう網に引っ掛かって逃げられないだろう、ネットに完璧な匿名なんて存在しないからな」

「そうなの?」

 唯が訊くと、灰沢は頷いて水季に尋ねながら話す。

「ああ、小野寺……その弁護士さん、プロバイダにアカウントの削除や情報開示請求ができるって話してたか?」

「うん、確かそう言ってた……裁判所を通じて損害賠償も請求できるって」

「そうか、ならもう安心だ……早ければ一週間以内に裁判所から書類が届いて自分のしたことの重大さに気付くさ……小野寺、お前の方は大丈夫なのか?」

 灰沢が訊くと水季はドキリとしたのか、唇を噛んで震えると、唯はそっと歩み寄って訊いた。

「水季、中学の頃……いじめられてたんだよね? それで湘南にやってきたんだよね?」

「……うん、父の実家がある湘南に逃げてきたの」

 水季は俯きながら話し始めた。

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