第五章その5

 奥平唯はふと透と水季が、ドリンクを買いに行くにしては時間がかかり過ぎだとスマホを取り出した瞬間、何の前触れもなく着信を告げるバイブ機能が作動して思わず手から零れ落ちそうになる、透からだ。

 こんな至近距離で電話なんてどうしたんだろう? 唯は電話に出る。

「もしもし? 尾崎君?」

『奥平さん! 体育館のトイレに来てくれ! 小野寺さんが吐いた!』

「嘘っマジ!?」

 唯は教室のクラスメイト達が驚いて注目するほどの声を上げながら、跳ねるような勢いで立ち上がると、透の心苦しそうな声がして視線を気にしてる場合じゃなかった。

『本当は中まで一緒についてってやりたいんだけど……場所が場所だから』

「わかったわ! すぐ行く!」

 電話を切ると頭の中で体育館のトイレまでの最短ルートを割り出しながら、陽奈子と灰沢にも伝える。

「陽奈子、灰沢君、詳しいことは後で話すから一緒に来て!」

「わかった」

 灰沢は立ち上がり、水季の異変に気付いた陽奈子は不安げな顔で「うん」と頷く。

 体育館にある女子トイレ前に来ると、透がもどかしそうに立って待っていた。

「尾崎君、水季はまだ中!?」

「うん、かなり苦しそうだった」

 透の視線の先は女子トイレ、唯は陽奈子と中に入ると一番奥の便座の扉が閉まっていて、その向こうに水季の啜り泣く声が聞こえる。唯は慎重に言葉を選んで優しく呼び掛ける。

「水季……大丈夫? お腹壊しちゃったの? 開けてくれるかな?」

 数秒間が長く引き伸ばされる。

 鍵が開き、ゆっくり扉を引いた水季の顔は尖った上唇を下唇にかぶせ、目は真っ赤になってしゃっくりを小さく繰り返していた。右手にはスマホが握り締められていた。

「唯……陽奈子ちゃん……私……もう……」

「水季ちゃん……無理に言わなくていいよ、吐いたなら保健室に行って午後の授業は休もう、放課後迎えに行くから……ね」

 陽奈子は水季の背中を優しく擦りながら保健室に行くように促した。


 水季を保健室で休ませ、教室に戻る間に透はことの顛末を話すと灰沢は推測を口にする。

「――なるほど、恐らく小野寺は心因性嘔吐、精神的なストレスで吐いたんだ。尾崎、他に何か心当たりがあるか?」

「いや、いじめられっ子同士お似合いって言葉が引き金になったと思う」

 透は首を横に振る、確かに中三の夏休みの終わりまで尾崎君はいじめられてた。待てよ、確か水季ってトイレから出てきた時にスマホを握っていた、予鈴が鳴って五時間目が始まるまでに調べておきたいが五時間目は体育だった。


 五時間目の授業は体育館でバスケだった。唯は勘が鈍ったことを実感しながらゲームを終えて交代、その合間に直美が深刻な表情で話してを持ちかけてきた。

「ねぇ唯、水季のことなんだけどさ……あの子、中学の頃いじめられてたらしいよ」

「それマジ?」

「うん、SNSで暴露されてた。その時の写真や動画まで出回ってたわ」

 直美の深刻な表情から相当酷いものだということが見て取れる。

 授業が終わってすぐに着替えながらスマホを見て調べると、直美の言う通り水季をいじめの詳細な書き込みや写真に動画が出回っており、特に動画に関してははらわたが煮えくり返って全身の血液がマグマのように煮えたぎり、スマホを握る手に力が込められていくのがわかった。

 LINEですぐに陽奈子に連絡した。

『陽奈子、確か菅原君と同じクラスだよね?』

『うん唯ちゃんや尾崎君と同じ鵠沼中学の人だよね?』

『そうなの放課後、彼を引き留めておいて欲しいの、お願いしていい?』

『うん、わかった』

 六時間目が始まる前に透と灰沢にも伝え、いつもの六時間目の授業とホームルームが長く感じたが、幸いにも赤城先生はホームルームを手早く終わらせてくれた。

「尾崎君灰沢君、四組に行こう。陽奈子が待ってる」

 そして放課後になり、本当なら保健室に行って水季を迎えに行く予定だが「用事ができたから遅れる」とだけ伝えて廊下に出て四組に向かうと、陽奈子が必死に菅原を引き留めていた。

「――だから、俺は用事があるって、奥平に伝えろよ」

「そんなことさせない、菅原君の一言でどれだけ水季ちゃんが傷付いたと思ってるの?」

 菅原が面倒そうな顔をしてる、悪びれる様子もなさそうだから唯は遠慮無くやれそうだとどこか安心する自分に自嘲気味になる。

「お待たせ菅原、あんた……昼休みに水季が中学の頃、いじめられてたのを知ってて言ったんだよね?」

「な……あいつが勝手に傷付いただけだろ! 奥平には何の関係もないだろ!」

 菅原の表情に余裕が消え始める、唯は容赦なく追求する。

「それがあるんだよ! 覚えてる? あんたが水季に言い寄った日のこと、あの後あたしと水季は友達になったんだよ。その点だけはあんたに感謝してるわ、でもね……それとこれとは別よ!」

「何だよ冗談で言ったんだけなのに俺は悪くねぇ!」

菅原は保身に走る。透が何か言おうと唯の傍を通り抜けた瞬間、凄まじい怒気を放ってるのがわかった。

「悪くない? その冗談で忘れたい過去を思い出し、暴露された小野寺さんに謝れ!」

「何でだよ尾崎! お前もノリ悪い、空気読めない、冗談通じない、だからいじめられたんだよ!」

 菅原は大袈裟に振る舞って言い放った瞬間、透は拳を握り締める。傍に立ってた陽奈子はドン引きしたかと思った瞬間、敵意を剥き出しにした表情に豹変! 菅原の頬を思い切り引っ叩いて乾いた音が響き、廊下の空気が凍り付いた。

「……何するんだよ紺野!」

「痛かったよね? でもね……水季ちゃんはそれ以上よ!」

 陽奈子は一度俯き、次の瞬間には怒りに満ちた表情で啖呵を切る。

「冗談通じない!? ノリ悪い!? 空気読めない!? それはあなたの冗談が笑えない、センスもない、面白くもない、寒くて不愉快だからだよ! ノリ悪い? それはあなたが嫌われてることに気付いてないからよ! 空気読めない? それはあなたの思い通りならなくてふて腐れてるから言えるのよ! その癖、それを他人に責任転嫁する! 水季ちゃんに嫌われて当然よ!」

 意外と熱くなりやすいんだなと思いながら唯は陽奈子の肩にポンと手を乗せる。

「陽奈子、それくらいにしておきな」

「唯ちゃん……」

 それでようやく、陽奈子は落ち着いたようだ。

「悪いけど、止めはあたしが刺していい?」

「……うん」

 陽奈子はむしろ快く譲ってくれたようだ、唯は陽奈子に感謝しながら菅原の秘密を暴露してやることにした。

「菅原、あんたが尾崎君をいじめた理由はなんだったっけ? 確か身の程を弁えず、成績上げてかっこよくなったからって言ってたよね?」

「そ、そうだったと思う……多分」

 菅原は察してしたのかいじめっ子に睨まれたいじめられっ子のように怯えるが、一欠片も情けを与えないし慈悲も見せない、だから声のトーンを少し大きくした。

「本当は違うわ! あんたさぁ……中三になった頃、あたしに色々ちょっと冷たくて悪っぽい男アピールしてたわよねぇ?」

 野次馬で集まった生徒は耳を傾け、行き交う生徒も立ち止まる。

そして菅原はこの世の終わりだと言わんばかりにカタカタと歯を鳴らし、薬の切れた麻薬中毒者のように震えて呂律が回らなくなる。

「あわわわ……あ、あ、あ、ああ、あ……」

「それで時々『お前、俺のこと好きだろ?』とか『お前なら俺と付き合ってやるぜ』とか『俺とお前は結ばれるそれが運命デスティニーだ』って寒い告白したもんね!」

 唯は満面の笑みで物真似を交えて暴露すると、案の定周りの生徒――特に女子生徒は「プークスクス」と嘲笑してヒソヒソ話をしていた。

「それであたしにきっぱり振られた、そこまでは笑い話として許すわ……けどね!」

「はい!」

 菅原は背筋を伸ばして気をつけの姿勢になる。

「そんな中二臭い黒歴史を隠すために、尾崎君があたしに告白して振られたことを大袈裟に言いふらして! 笑い者にして! いじめた! わかる? 自分のやっすいプライドを守り、恥ずかしい失敗を隠すためにね! 尾崎君のこと、謝らなくていいわ! どうせ許さなくていいし! だからもう関わらないで! 最後に言っておくわ、尾崎君の告白……あんたなんかよりずっとかっこよかったから!」

 これが止めの一撃になったであろう、唯は清々した気持ちで踵を反す。

「行こう、もうこんな奴相手する必要ないわ」

 唯は踵を反し、四人で水季を保健室へと迎えに行くため廊下を歩いて一階の保健室に入るが、養護教諭の先生によれば水季は既に祖父母が迎えに来て帰ったという。

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