第一章その1

 第一章、始まりの春の親睦会


 八ヶ月後の四月、神奈川県鎌倉市国道一三四号線。

 桜も散り始めてようやく暖かくなってきた相模さがみ湾沿いの幹線道路を、尾崎透は爽やかな春の風を切り裂くように自転車で駆け抜ける、今日から地元の県立高校を自転車で通うことになった。

 左には江ノ電の線路、右には国道一三四号線の向こう側の相模湾は気象条件によっては薄っすらと伊豆大島いずおおしまが見える。

 透は一瞬だけ右手に視線をやると、今日は天候も良く水平線の向こう伊豆大島が見えた。

 右後方から電車のリズミカルな走行音が聞こえてくる、チラリと左に視線やると緑のクラシックな電車が透を追い抜こうとしている。自然とペダルを漕ぐスピードが速まり、あっという間に追い抜かれると電車は高校前駅で停車してその先の踏切は警報が鳴って遮断機も降りていた。

 電車が通過して踏切を抜けて坂道を漕いで登ると、今日から透の通う県立高校の校門を期待と不安で一杯の気持ちで入る。

 自転車を駐輪場に置くと、掲示板に張られたクラス表に自分の名前を探すとすぐに見つかって一年一組だった、試しに中学の知り合いがいないか探してみるとすぐに後悔した。

「げ……冗談だろ……」

 視線の先にあるのは田崎の名前だ。同姓同名の別人だと祈りたいが根拠のない楽観で目を背けるほど愚かじゃない、幸い他の奴は別のクラスで女子の方を見ると奥平唯がいる。

 田崎は奥平唯が苦手なのが救いだ、差し引きゼロだけでも良しとするかと一年一組の教室に入ると、緊張気味な表情の奴もいれば知り合いがいて安堵してる奴もいた。

「あっ! おはよう尾崎君、また高校でもよろしくね」

「おはよう奥平さん、こちらこそよろしく」

 透は安堵して頷く、唯の席は廊下を隔てる壁に面した透の席から見て左前だ。

 唯は早速、今日からクラスメイトとなる女子生徒と初対面の挨拶もしている、しばらくすると田崎も入ってくるなり大袈裟に嬉しそうな様子で歩み寄って来る。

「おおっ! おはよう尾崎! また一緒になんてな! 嬉しいぜ、安心したよ!」

 田崎の人懐っこい仮面の下には見下して弄れる奴がいて安堵したに違いない、こいつは自分より弱いものには横暴で、強いものには媚びへつらう典型的な小悪党だ。

「……奥平さんも一緒だよ」

 透は視線で教えると田崎は固まった表情になり、冷や汗を滲ませながら唯に挨拶する。

「そ、そうか……奥平さんおはよう! またよろしくね!」

「よ・ろ・し・く・ね田崎、あんまり尾崎君に意地悪しちゃ駄目だよ」

 唯は入学早々笑顔で田崎に釘を刺す。安心して良さそうだと、胸を撫で下ろした。

 そんな時だった。隣の席、つまり唯の後ろの席の女の子が座って横目で、見ると思わず釘付けになり、流れる時間が引き延ばされたかのように見えた。

 背丈は一六〇センチ代前半くらいで唯より少し低いくらいだろう、切れ長の涼しげだが憂いげな瞳に儚げな顔立ち、柔らかそうな桃色の唇に透き通った白い肌、背中まで長く艶やかなハーフアップした黒髪が神秘的な印象を与える、唯ほどではないが同年代とは思えないほどのしなやかで豊満なスタイル。

 どこかで見たことがある女の子だと透はなんとなく確信し、教室にいる男子生徒達も同じように見惚れている様子だった。

 体育館での入学式とオリエンテーションが終わって三時間目のロングホームルームが始まる、一組の担任となるのは四〇歳前後でスマートなスーツ姿で銀縁眼鏡をかけ、先生というよりは霞ヶ関かすみがせきのエリート官僚みたいな堅い印象の先生だった。

「今日からこのクラス担任を受け持つことになりました歴史担当の赤城豊あかぎゆたかです、よろしくお願いします」

 教壇に立ち、担任挨拶を手短に済ませると教室を見回す。

「――教室では皆さん一人一人が主役です。初対面の挨拶は済んでるかもしれませんが、改めて一人ずつ自己紹介してください。出身中学、部活、好きなものや趣味でも構わない、緊張せず三年間苦楽を共にするクラスメイトに何か一言を……それでは、出席番号一番の青木あおき君から」

 精悍な笑みで微笑んだ赤城先生は出席番号一番の男子生徒を指名すると、彼は席を立って教壇に上がり、自己紹介を始める。

 出席番号順に自己紹介して早くも透の出番が来ると、高鳴る緊張を抑えて教壇に上がる。

鵠沼くげぬま中学から来ました尾崎透です……」

 教室に視線を見渡すと田崎が何か期待するような顔で訴えかけてる、面白いことやれって言いたいような顔だったから無難な自己紹介で終わらせることにした。

「生まれも育ちも湘南です、よろしくお願いします」

 そこで終わらせると田崎は案の定不満げな表情で見つめ、透は席に戻る。それからクラスの自己紹介は続き、同じ中学の奥平唯が教壇に上がった。

「奥平唯です! 尾崎君と同じ鵠沼中出身で部活はバスケをやってたけど、高校では自由に過ごそうと思うので、みんなよろしくね!」

 教室で何度目かの拍手が鳴り響いて透も流石奥平さんだと感心する、こんな緊張した場面も物怖じせず自分を曝け出してる。

 次の子はハードルが上がってしまったのか、透の隣にいるどこかで見たことがある女の子はこのシチュエーションが苦手らしく、必死で緊張を押し隠してるようだった。

小野寺水季おのでらみずきです。ついこの前、熊本から引っ越してきました……よろしくお願いします」

 小野寺水季という女子生徒は小さく上品に一礼して、注目の視線から逃れるかのように自分の席に戻る。

 前の席にいる唯も見惚れた眼差しで微かに「綺麗……」と言っているように見えた。

 自己紹介が終わり、ロングホームルームが終わると高校生活第一日目が終わった。



 数日経ち、授業が始まると奥平唯はなんとか授業について行き、昼休みになると唯の属するグループで弁当を食べる。友達の方は幸い同じ中学の佐渡由香里さわたりゆかりがいてくれたが、彼女は良くも悪くも癖の強い子だ。

「はぁ~あ男子に愛想良く振る舞うの疲れるなぁ」

 由香里は小柄で黒髪ショートボブに色白で小動物みたいな可愛らしい顔立ちと、先生や上級生に盾突くことも厭わず、気が荒くて強い尚且つ裏表の激しい性格から中学時代はハニーバジャーと呼ばれていた。

「自分を偽り続けると、いつか自分自身を見失うわよ」

 冷めた口調で言ったのは女子生徒の中では一番背が高く、茶髪にショートカットの中性的で陰りのある美少年のような顔立ちの坂崎香織さかざきかおりは、自己紹介の時にミュージシャン志望だと公言していた。

「そうは言うけど香織、そうも言ってられない日がいつか来るわ」

 鶴田直美つるたなおみは唯に目をやる。ウェーブのかかった長い黒髪と艶やかな顔立ちの大人びたクールビューティーなギャルと言った雰囲気で、クラスの上位女子グループの纏め役だ。

「まぁそうよね、あたしだって空気に怯えて自分に正直でいられない時もあるよね」

 唯は自分の意見を言う。この上位グループに入ったのは殆ど成り行き、中学の時から派手なギャルをしていたが、周りの空気に合わせていけば集団から浮くことはない。

 そう悟って実際に行動に移した時、失ってはいけない大事な何かを失ったような気がした。ふと、唯は席の後ろの子――小野寺水季がいない、あの子大丈夫かな?

 文句なしの清楚系美人だし男子が放って置くわけがない。

 男の先輩とかヤンキーな奴らとか、強引に迫られたら危ないような気がする。唯は視線を落としながら紙パックの野菜ジュースをストローですすると、由香里がジト目で顔を覗き込んでいた。

「唯、また一人で何か考え事してるでしょ?」

「えっ? ああごめんごめん! 何?」

「何でもないけど、唯ってたまに心ここにあらずって顔するんだよね」

 由香里に呆れた口調で言われると、否定せずに野菜ジュースを飲み干す。

「そうね、由香里の言う通りね」

 入学して早々疲れ気味だ、勉強や将来のこともそうだが、入学して翌日辺りから始まった静かな教室内の階級スクールカーストを巡る争い、一度そこにポジションが決まってしまったらずっとだ。

 下手に這い上がろうとすれば蹴落とされて、そのまま最下層だ。

 幸い、世渡り上手な由香里について行ったおかげで今のポジションに落ち着いた、そのことに関しては由香里に感謝してる。だけど、これでよかったのだろうか? 偽りの自分自身を演じて香織の言う通り見失うのかもしれない。

 唯は昼休み中は聞き役に徹して昼休みが終わると、水季が戻って来て妙に青褪めた表情になっていて、唯はどうしたんだろうと思いながら、五時間目の眠い現代国語の授業が始まった。

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