卑屈な非リアは血の涙を流して慟哭しろ!

尾久出麒次郎

プロローグ

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 梅雨明けが宣言された蒸し暑い七月中旬の夜、湘南の海岸線を走る江ノ島電鉄――通称:江ノ電の江ノ島駅は多くの人だかりで埋め尽くされ、鎌倉方面に向かう電車のホームは一度では乗り切れない程の人で溢れていた。

 電車を待つ人々は老若男女問わずで、浴衣姿の人もちらほらいる。

 尾崎透おざきとおるもその中で一人、一二分おきに来る次の電車を待つ。

 身長一七三センチでほっそりしてるが無駄なく鍛えられた体格、真っ直ぐ伸ばして整えた黒髪に端整な顔立ち、伏せられがちな長い睫毛と陰りのある目付きで、憂い顔の麗人という言葉が似合う美少年だ。

 ジーンズにスニーカー、Tシャツの上に半袖水色の上着を着て、頭にはロゴキャップを被り、目立たない服装にして時折キョロキョロと自分の親が追いかけて来てないか見回す。

 幸い影も形も見当たらない、スマホのLINEも一時的にブロックしていた。

 透は今、中学三年生で毎年楽しみにしていた鎌倉花火大会が東京オリンピックのせいで中止、更にようやく沈静化した新興感染症のせいで翌年も開催できず、数年経ってようやく今年は開催が決まった。

 例年なら車で材木座ざいもくざ海岸近くにある親戚のおじさんの家に行き、そこから由比ゆいはま海水浴場に行ってたが、今年は受験生だから家で勉強しろと言われ、親と喧嘩して家を飛び出したのだ。

 電車を待つ間、イラスト投稿サイトのpixivにアクセスするとフォローしてる絵師が新作を投稿していたが、いつもと違う雰囲気だった。

「あれ? 地元?」

 いつもは九州熊本の名所を背景に投稿してるが、旅行に来てるのか透の地元、江ノ島を背景にしている。

 この「肥後ひごのわだつみ」という絵師は熊本県在住で憂いげな美しい少女のイラストを描き、素顔は公開されてないうえに片手程度だが、ライトノベルやキャラクターノベルのイラストも描いてる。

 以前地方紙でも取り上げられ、自分と同年代のセミプロの現役女子中学生イラストレーターだという。

 あと何分で電車が来るかなと時計をチェックしようとした瞬間、スマホが震えると親からの電話だ。

「うるさい……邪魔するな」

 透は思わず舌打ちを寸前で抑え、しかめっ面になって小声で着信拒否した。あと一分程で電車が来る間、素早く親の電話に着信拒否を設定するとようやく電車が来た。

 藤沢駅からこの江ノ島駅まで既に多くの人を乗せていて、透は溜息吐くよりもいかに自分が恵まれていたことを思い知らされる。

 以前はおじさんの家から浴衣姿の両親に手を引っ張られ、弟の四人で行ったのに今は一人だと唇を噛みながらクラシックなグリーンの電車の乗る、降りる駅は長谷駅で一五分ちょっとで到着する。

 透は電車に乗るとできる限り人の流れから逸れて奥まで押し込まれるのを避けると、目の前に立つ少女の横顔と香水の匂いに思わず視線と心を奪われた。

 長い黒髪にノースリーブの白いサマードレス姿に水色のトートバッグをかけ、まるで物語に出てくる物静かで世間知らずな奥ゆかしさのある古風なお嬢様のようだ。

 一目惚れとはこういうことなのか? 透は心を奪われ、思わずお近づきになりたいと思うほどだ。

 視線に気付かれるかなと思いながら、花火大会の見物客でぎっしり詰まった電車に揺られる。

 江ノ島駅を出ると路面に敷設されたレールの上を走り、腰越駅で乗客を乗せる、降りる人達は皆無だった。

 やがて六つ目の駅である長谷駅に停車すると透の降りる駅だ。

 彼女も同じ駅なのか、それとも早くこの満員電車から降りたいのか扉が開くと人の流れに乗って電車を降りる。

 透も人の流れに乗って歩き、改札を通り抜けると踏切を渡って海岸へと歩く、その間も彼女の後ろを歩いていて一人なのか踏切で止まってる間もスマホで連絡を取ってる様子はなかった。

 殆ど人の乗ってない藤沢方面行きの電車が通過すると、遮断機が上がって人々は花火大会の会場である由比ガ浜海水浴場の砂浜に向かう間、この子ももしかして僕と同じ一人で来たのかな?

 淡い期待を抱きながら砂浜に到着すると既に一面見物客で満杯だ。

 昔のままだと、透は思わず口元が緩んで見回す。

 海の家、様々な屋台、花火を撮影しようとビデオカメラをセッテイングしてる人、家族や友達、恋人と一緒に打ち上げを今か今かと待つ人々、彼女はというと誰か合流する気配もなかった。

 透は自然と江ノ電のお嬢さんと名付けた彼女に視線が移っていき、彼女は憂いげとも悲しげとも言える眼差しで夜空を見上げている。

「一人……かな?」 

 透は思い切って声をかけてみようか? その言葉が過った瞬間、自然と心臓の鼓動が徐々に速くなり、足が重くなる。数秒間の躊躇いの後に一歩踏み締めて絶対に立ち止まるなと心で言い聞かせて歩み寄ろうとした瞬間。

「よぉ尾崎! お前一人で来たのかい?」

 後ろから左肩を叩かれ、全身が反射的にヒヤリとした。声は「一人」という言葉をやけに強調して手を置いた肩とは反対の方向からで、透は一瞬で白けた気分になって声の主に尖った口調になる。

田崎たさき君達こそ、花火を見に来たの?」

 クラスメイトの田崎定男たさきさだおだ。透より少し背の低い、勤勉で人懐っこそうな笑みを見せるが中身は藤子・F・不二雄の漫画に出てくる出てくるガキ大将の腰巾着でイヤミな奴がそのまま成長したような奴、つまり虎の威を借る狐だ。

「ああ『みんな』とね」

 田崎はお前と違って一人で来たんじゃないと言わんばかりに肩に置いた手の反対の親指で差すと、クラス内の階級スクールカースト上位男女のグループがいてその中の女子生徒が手を振る。

「お~い尾崎く~ん!」

 同じ中学の奥平唯おくだいらゆいは女子生徒しては体格も発育も良く、肩まで伸びた癖のある栗色の髪、女子バスケ部で鍛えて引き締まった四肢に発育のいい豊満な乳房、鋭利な眼差しに愛らしい顔立ちに華やかなメイクを施して、お洒落に目覚めたばかりのギャルになろうとしてる女の子だ。

 江ノ島にあるしらす丼屋の娘で、あまり接点はなかったがあることがきっかけで透のことを気にかけてくれてる優しい女の子だ。

「尾崎、俺達と一緒に花火見ようぜ!」

 田崎はニヤニヤしながら誘い、一緒にいるクラスメイトの菅原信之すがわらのぶゆきも人を見下したような口調と、黒い笑みで自撮り棒を装着したスマホを構えてる。

「そうそう、みんなと一緒が楽しいぜ!」

 菅原は趣味で動画投稿している所謂YouTuberだが、同じ空気は吸いたくないし、ましてや花火を見上げるなんて真っ平ごめんだ。

 その間に江ノ電のお嬢さんは姿を消していた、きっと何か食べようと屋台に向かったんだろう。

 田崎の邪魔が入らなければ声をかけることができるかもしれないのに、透は首を横に振る。

「いい……俺は一人で見る」

「ええっ!? ノリ悪~い一人で見るの寂しくねぇ? せっかく誘ってあげたのに~!」

 お前が声をかけなければ一人にならなかったかもしれないだろう! 田崎はわざとらしく、後ろにいるみんなにも聞こえるようなボリュームで言うと唯が心配した眼差しで透を見つめ、田崎を咎める。

「田崎、あまりしつこくすると嫌われるわよ!」

「大丈夫大丈夫、こいつは俺達のこと嫌いになることないから!」

 菅原は言うがもう既にお前らのことが大嫌いだよ! 女の子に告白してフラれたからって、クラスの笑い者にした奴らと花火なんて! 透は溜息吐いた。

「もういい……俺はもう帰る」

 白けた透は踵を返して来た道を戻る。こいつと花火を見るくらいなら最初から来なければよかった、幸い今なら帰りの電車はガラガラだ、LINEのブロックを解除すると親からメッセージが来ていて、近くに来てるから一緒に見ようというメッセージだった。

「今更遅いんだよ」

 手の平を返したような親に透はうんざりして既読スルーしてやった。

 家に帰る間も、あの江ノ電で一緒に乗ったお嬢さんの憂いげな横顔が頭から離れなかった。その数日後、透がフォローしてる肥後わだつみは花火大会を背景にしたイラストを最後に、受験に集中したいとの理由で活動休止を宣言していた。

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