4.3.1:幸せの在り方
「おいアリル、早く起きろよ。いつまで寝てるんだ」
カーテンがサっと開かれ、朝陽の眩しさに目をしばたたきながら、アリルは目を覚ました。
「んー、今何時?」
「もう仕事始まるぞ、さっさと用意しろ。ったく、もう十五歳だろ? いい加減、自分一人で起きられるようになれよ」
眩しさに慣れてきたアリルの目が、その姿を真っ直ぐに捉える。
仕事着をキチっと着こなした姉の姿。
アリルは大きな欠伸をしながら、のっそりとした動きで起き上がった。
「じゃあ、私先に行ってるからな。お前も早くしろよ」
「うん、分かってるよ、姉ちゃん。私もすぐ行く」
アリルはまた欠伸をしてから、周囲に雑に散らばる服を拾い、着替え始めた。
その様子を見つめ、姉は呆れたようにため息をつき、部屋を去っていった。
それからすぐに一通りの用意を終え、アリルは鏡の前に立った。
いい加減に髪を切る頃合いかもしれない。もう腰の近くまで伸びている。
「今度、姉ちゃんに頼んで切ってもらおう」
言いながらアリルは髪を束ね、視線を下ろしていく。
仕事着としてのエプロンドレス。派手さはないが、逆にアリルはその落ち着いた感じの雰囲気が好きだった。
しかし、最近ちゃんとした扱いをサボっていたことで、ところどころに汚れやほつれが目立つようになっている。
「これもいい加減ちゃんと綺麗にしとかないとまた怒られちゃうな。まあいいや、とりあえずはこれでオッケー、と」
アリルは鏡の中の自分に微笑みかけ、仕事へと出ていった。
仕事は楽しかった。
いや、仕事そのものは楽しくもなんともなかったけれど、いつも姉の傍に居られることが楽しかった。男爵様も、他の使用人たちも皆、人当たりの良い人達ばかりで毎日が楽しかった。
今日もそうして単調ながらも幸福な一日が過ぎ、アリルは姉と二人で最後の仕事を片付けていた。
「よっし、これで終わり、っと。じゃあもう寝るか。明日はちゃんと起きて来いよ、アリル」
ふいに、アリルは衝動的に姉に抱き着いていた。
「わっ、なんだよ、どうした、アリル?」
アリルは何も答えず、きつく姉を抱きしめ続ける。
「おい?」
「……私、ずっと、寂しかった。ずっと会いたかった」
「は? 何言い出すんだよ急に。今までずっと一緒だっただろ」
姉はそう言うと、優しくアリルを抱きしめ返した。
「これまでずっと一緒だったし、これからもずっと一緒だからな」
アリルは幸せだった。満たされていた。
しかし、心の中のどこかで、変な違和感が消えず、大きく拡がっていく。
「そんなのは、まやかしだよ」
どこかで、少女の声がした。アリルは、その声に反論した。
「ここでは皆が優しくしてくれる。ここに居たいんだ」
声は静かに呼びかけ続ける。
「こんなのは嘘っぱちだよ。まやかしなんだ」
「まやかしだって、辛い現実よりは良いよ」
「現実だって、良くしていける。自分自身の意思と、行動で。それだけで良いんだ。何も世界の方を無理して捻じ曲げる必要なんてないんだよ」
その言葉を否定するように、どこかから、別の声が割り込むように聞こえてきた。
「世界を創り変える方が簡単さ。嘘も本当も、今ではすべてが思いのままだ。だったら、楽な方が良いだろう。僕がそうしてあげよう。僕が世界の全てを幸せにしてみせる」
声の主の少年はそう言うと、微笑みながら姿を現し、アリルへと手を差し伸べた。
アリルは戸惑いながらも、ゆっくりとその手を取ろうと、自分の手を伸ばした。
「辛いのは、嫌」
そんなアリルに、少女が優しく語り掛けた。
「楽しいことも、沢山あったよ。皆と出会って。こんなまやかしなんかじゃなくって、本当に優しくしてくれる人たちは沢山いた。多分、お屋敷の皆だって、僕がもっと違う接し方をしていたら……」
アリルは、ブンブンと大きく首を振った。
「いつだって私は独りだった。辛いことばかり、沢山あった」
「うん。分かってるよ」
少女は、アリルを優しく抱きしめて言った。
「でも、やっぱり僕は、これで良いんだと思う。これが正しいんだと思う。だから、決めたんだ。僕は皆と一緒に生きていく。辛いことも、楽しいことも、皆と一緒に」
アリルは少しの間黙り込み、それから、消え入るようなか細い声で少女に聞いた。
「できるかな?」
「できるさ、きっと。なせばなる!」
アリルは微笑み、少女の決意を受け入れた。
その体から光が溢れ、すべてのまやかしを洗い流していく。
後に残ったのは、ただただ白い空間と、アリルと、そして、カルム。
「まあいい。別に君を説得する必要もあるわけじゃない」
カルムは呆れたように、ため息をつきながら言った。
「こうなれば最早君も単なる生贄の一人に過ぎない。そんなに僕が間違っているというのなら、否定すればいい。できるものなら」
アリルはその言葉に首を振った。
「僕たちは、あなたを否定しに来たんじゃない。あなたを、止めに来たんだ」
「同じことだろう」
「違うよ。違う、ってことを、証明してみせる」
「話にならないな。もういいよ、君達に用は無い」
カルムはそう言い捨てると、溢れ出た光に体を滲ませ、巨大なクオラムへと姿を変えた。
アリルも同様に、エンヴレンの力を身にまとった。
突然出現したクオラムの姿に、ファイン達は驚き、立ちすくんだ。
「クオラム!? いつの間に現れた!?」
今この瞬間に出現したようにも思えるが、一方でずっとそこに居たようにも思える。
この空間に入ってから、何一つ確実と思える感覚が存在しない。
ファインは吐き気をこらえながら、とにかくベルフレスに戦闘態勢を取らせた。
クオラムは動く様子を見せない。どう動くべきか、ファインの脳裏に幾つかの選択肢が浮かぶが、そのどれもがぼんやりとし、優先順位を上手くつけられない。そのくせ、焦りは確実に募っていく。
「どうすればいいんだ!」
思わず叫びを上げ、それに続いてカノンも情けない声を上げた。
「アリルも居ないのに、どうしようもないよ!」
その瞬間、澄んだ声が辺りに響いた。
「ここに居るよ」
いつの間にか、仲間たちの中心にエンヴレンの姿があった。
ファインは急速に頭の中の靄が晴れ、冷静になっていく自分を感じていた。
そして、強い安心感を。
「僕は、ここにいる」
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